『超要点解説とキーワードでわかる・使えるクラウゼヴィッツの戦略』著者 守屋 淳氏インタビュー
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歴史も古典も自由に活用すべき素材
――守屋さんは少し前に渋沢栄一の『論語と算盤』を現代語に訳した本を上梓なさいました。やや大きな話になってしまうのですが、このような古典をいま現代語で誰にでも読めるような形で提示なさった、その狙いは何でしょうか。
守屋氏■『論語と算盤』に関しては、今まで講師としていくつもの勉強会に参加してきました。誰もが名前を知っているような上場企業の有名社長さんから、金融関係者、保険関係者など、さまざまな方がいらっしゃったんですが、そこで強く感じたのが、「明治に書かれた漢文調の文章は、もう現代の多くの人には正確に読みとりづらくなっている」ということでした。
たとえば具体例で言いますと、「義って、なんですか」と聞かれて、今のわれわれはパッとは答えられないと思います。ある方が、「人の踏むべき道のことでしょう」とおっしゃったんですが――確かに、辞書にはこういった意味が書かれている場合があります――「では人の踏むべき道ってなんですか」と尋ねると、さすがに詰ってしまうんですね。つまり、われわれは明治人の心象風景を、その頃の言葉使いからはもう読みとれなくなりつつあるのです。ならば、その心象風景が身近なものとして、今のわれわれのものとして読めるようにできないか、と思ったわけです。
――最近の一連の歴史ブームについては、古典に精通しているお立場から、どのようにご覧になっていらっしゃるのでしょう。
守屋氏■もうノリノリでドンドンやってほしいです(笑)。わたしは基本的に文学系の人間なので、そちらの立場から申し上げますと、歴史にしろ古典にしろ、何が正しく、何が間違っているのか、と問うていくと、それは不可知論にならざるを得ません。
たとえば、今生きている人は誰も、孫子や聖徳太子を見たことがないわけです。だから、いないという説も立てられる。でも実は、これはほかのどんな歴史上の人物でも、理論的には当てはめられるのです。誰も孔子や徳川家康を見ていないわけです(笑)。こういった場合、文学系の観点では「楽しんだ者が勝ち、うまく活用した者勝ち」という話になってきます。ほかのすべてが疑えようとも、その歴史や古典を自分自身が「楽しんだ」「活用できた」「成果を上げた」というのは疑いようのない事実だからです。この意味で歴史も古典も、自由に活用すべき素材だとわたし自身は思っています。ただ、そうはいっても本筋はこうだろう、と皆が見なす正統性は当然、歴史にも古典にもあるわけです。そこの部分がわかった上での逸脱が、粋なんだろうとは思いますが……。
――最後になりますが、今後手がけたいとお考えになっている分野やテーマをお教えいただけますか?
守屋氏■渋沢栄一を中心とする明治モノに焦点を合わせて、しばらくは仕事をしていきたいと思っています。明治に抱えていたグローバル化と伝統の問題は、まさしく現代にも当てはまるもの。この意味で、現代のわれわれには本当に示唆深い教えが転がっている時代だと思います。
●守屋淳(もりや・あつし)
1965年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
大手書店勤務を経て、現在は中国古典の研究や著述を中心として活躍中。
主な著書に『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』(プレジデント社)、『「勝ち」より「不敗」をめざしなさい』(講談社)、『「論語」に帰ろう』(平凡社新書)など。
ホームページ:
守屋淳ウェブサイト
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