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2021年末、スーパーマーケット業界を騒がせたH2Oリテイリングと首都圏の有力食品スーパー、オーケーによる関西スーパーの争奪戦は、紆余曲折を経てH2Oが勝利し、関西スーパーを経営統合することで決着した。株主総会における議決の方法などを巡って、大きな話題となった事案ではあったが、なぜ首都圏のオーケーは京阪神エリアの関西スーパーを買収しようとしたのか。なぜ、あそこまで関西スーパーの買収に固執していたのか。オーケーの成長戦略を理解すると、関西スーパー争奪の狙いが見えてくる。
スーパー業界の勝敗を分ける「特殊な事情」
首都圏スーパーマーケット業界の現状について理解するためには、20年ほど時計の針を巻き戻し、2000年以降の業界動向について確認しておく必要があろう。
大都市発祥のスーパーマーケットという業態は、当初、公共交通を軸とした買い物動線を前提に、駅前や中心市街地を主な出店場所として成長してきたため、業界のメインプレイヤーは大都市中心部に店舗網を持つ企業によって占められていた。
しかし2000年以降、どうなったかというと、都市型のスーパーの多くが伸び悩んだのに対して、郊外のロードサイドという成長余地を開拓したヤオコー(埼玉)、ベルク(埼玉)、ベイシア(群馬)といった郊外型スーパーが台頭し、主要プレイヤーの顔ぶれは大きく入れ替わった。
これはこの間に首都圏郊外、いわゆる国道16号線の外側エリアにおいて女性の免許保有者が増えたことに加え、買い物用の交通手段としての軽自動車が普及したことによって、郊外女性顧客の大半の動線がクルマに変わり、スーパーの最適立地が幹線道路沿いとなったことが関係している(詳しくは
『ベルク vs ヤオコー、埼玉県発の「郊外型・食品スーパー頂上決戦」の結末とは?』 を参照)。
こうした環境の変化によって、徒歩や自転車を交通手段の前提とした住宅地エリアの小さいスーパーや都市型スーパーの郊外店舗の多くが、広い駐車場を持つ郊外型スーパーとの戦いに敗れ、16号線の周辺から外側エリアにおいて撤退に追い込まれていった。
オーケー急成長の秘密、業界動向を逆手にとった「出店戦略」
この状況を逆手にとって急成長していったのが、オーケー(神奈川)である。23区都県境あたりから神奈川県の16号線周辺地を店勢圏としていたオーケーは、こうした他社閉店後の空き店舗(当然使える店を選んではいるが)に出店することで、着実に規模を拡大していった。
すでにナショナルブランド商品の低価格販売体制を確立していたオーケーは、他社が負けて撤退した跡地であったり、多少老朽化した店舗であっても、十分に競争可能であったため、空き店舗を次々とドル箱へと変えていくことができた。
加えて、ホームセンター島忠へのテナント出店というのもオーケーの店舗数増加にかなり貢献している。知る人ぞ知ることなのだが、島忠は集客力ある食品スーパーをテナントとして誘致するという戦略を多用しており、その大半にオーケーが誘致されている。
出店余地に乏しい首都圏内側に、店舗網構築していた島忠の店舗を出店場所として活用出来たことで、オーケーは多くの店舗を出店することが出来た。こうしたまとまった出店機会を得られたことも、オーケーの成長を後押しした。
たった20年で売上774%増、オーケーは何をしたか?
ただ、オーケーの本当の凄みは、その出店エリアの絞り込みにある。こうして16号線沿線付近で勢力を拡大しつつも、その出店エリアを原則16号線の内側に絞って展開する戦略を続けたのである。
前述の通り、新興郊外型スーパーは、新たなロードサイドの幹線道路沿いに生まれた、新たな立地に出店することで成長したのだが、オーケーはそこには手を出さなかった。その理由は簡単で、防戦一方の都市型スーパーとの競争なら、オーケーはほぼ確実に勝つことが出来たからである。
ヤオコー、ベルク、ベイシアなどの郊外型スーパーの有力企業とやり合えば、相手の戦闘力は高く、ある程度相打ちとなることを、オーケーは十分に分かっていた。そのため、相対的に戦力に劣ると判断した都市型スーパーに狙いを絞って、そのシェアを奪うことに専念した。
「強きを避けて、弱きをくじく」というオーケーの競争戦略が正しかったことは、前述の図表のオーケーの20年間での売上増減率774%という結果によって明らかであろう。
ここまでオーケーの戦略を整理してきたが、それではなぜオーケーは“京阪神エリア”の“関西スーパー”に目を付けたのか。なぜあれほど買収することに固執したのだろうか。
【次ページ】オーケーがどうしても「関西スーパー」を買収したかった事情
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