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- 2021/02/04 掲載
洋菓子部門トップ企業が語る、同族経営の“残念あるある”から脱却する方法
【連載】成功企業の「ビジネス針路」
前編はこちら(※この記事は後編です)
赤字転落を招いた経営体質
──アンリ・シャルパンティエ(現在・シュゼット・ホールディングス)に入社された当時の社内の状況を教えてください。蟻田剛毅(以下、蟻田)氏:私のアンリ・シャルパンティエでのキャリアは、池袋の百貨店の店舗アルバイトとしてはじまりました。もともと菓子業界に詳しいわけでもなかった私は、現場で1から学びたい考え、現場で働くことからはじめました。また、現実問題として現場をスキップし経営層に入っても、敵を多く作ってしまうのではないかと感じていた部分もあります。
それから本社勤務となり、経営会議に参画するようになったのですが、本社の経営会議で話されていることと、現場で見てきたことが大きく乖離(かいり)していることに気が付きました。当初は、業界における知見が無いために感じる違和感だと思い、聞き流していましたが、あるとき、この違和感が正しかったのだと確信できる出来事がありました。
それは、販売成績に関する会議でのことです。会議では「売上前年対比101%です」と誇らしげに成績が報告がされる一方、別の資料から売上推移を確認すると、自社の101%という伸長率は他社より劣っていることが分かったのです。つまり、当社だけが一人負けしていたにも関わらず、誰もその事実に目を向けようとしていなかったのです。
さすがにこの状況はまずいと思い、経営会議で発言をしようとしましたが、周りから止められ「大丈夫です、こういうものです」と制されてしまいました。当時は自分も経験が浅く、それ以上のことはできませんでした。
ところが、そうした経営を続けている内に、あっという間に赤字に転落していったのです。これが、私が入社した当時の状況でした。
創業者の経営改革プロジェクト
──今ではまったく想像のつかないような大変な時期があったのですね。蟻田氏:アンリ・シャルパンティエは、先代が1から作ってきた会社です。先代の影響力が強すぎたために、自分も含め、誰も率先して発言しようとしない雰囲気が社内にはありました。そのため、会議も結論が出ず、延々と続くこともありました。
こうした状況に危機感を抱き最初に行動したのは、経営会議に出席していた誰でもなく、先代自身でした。
こうしてはじまったのが「経営改革プロジェクト」です。先代は、NHKで放映された有名企業の工場改革の話を参考に、それを実現させた製造エキスパートを自社に招集したり、経営戦略の策定においてもその筋の専門家に声をかけたりと、外部のあらゆる意見を取り入れながら改革を進めていました。
先代は病気を患っていたこともあり、あまり会社には来られなかったのですが、経営改革プロジェクトは鬼気迫るといった様子で取り組んでいたことを覚えています。
──そうした状況下で、蟻田さんが社長に就任されたとのことですが、どのような気持ちだったのでしょうか。
蟻田氏:先代がスタートさせた「経営改革プロジェクト」が進んでいたとき、すでに私が社長になることは決まっており、その準備期間として1年間は無任所で副社長を務めていました。その1年間は、先代の選んだ外部の方が社長を務めていました。その期間、私は経営会議でも発言しないという約束がありましたので、発言したいことはありましたが発言を控えていました。
しかし、あるとき経営会議で製造部長、マーケティング部長、販売部長から、それぞれまったく異なる商品を企画して販売しようといったお粗末な提案がなされ、それを当時の社長があっさり承認した状況を目の当たりにした私は、我慢の限界に達し、声を上げたのです。
思い返せば、私は家も学校も、すべてアンリ・シャルパンティエのお菓子に与えてもらった。そのかけがえのないアンリ・シャルパンティエのお菓子がめちゃくちゃなことになりかけている。その状況が耐えられなかったのだと思います。
こういったときに同族経営の特性がでますよね。蟻田家と会社が一心同体。それが、たまたま会社の危機を打開する力となり、良い方向に流れていったのだと思います。
こうしたやりとりを経て、社長に就任後、最初に取り組んだのが、当社の看板商品でもある“フィナンシェ”の見直しでした。
【次ページ】起死回生につながった商品改良とは
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