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- 2020/03/02 掲載
「映画館は今のままでいい」は本当? 良作がシネコンに“無視”される事情
稲田豊史の「コンテンツビジネス疑問氷解」
シネコンは効率主義の権化
前回・前々回で、映画館の経営がいかに苦しいかということが、ベテラン興行マン・A氏の口から語られた。その根底にあるのは、ランニングコストの構造的な高さだった。それに関連して筆者が都内の映画館について思うのが、平日日中のガラガラ具合である。多くの社会人は、映画を週末か仕事帰りに観る。社会人ほどではないものの、大学生も基本的には週末か学校帰りに観るケースが多い。小学生以下が対象の映画も、基本的には親が動ける週末に混む。
映画興行組合加盟会社では、平日空席対策として、毎週水曜日のレディースデイ施策を行っていたりはするが、それでも席が埋まるのはまれだ。かつて映画産業に身を置き、現在では映画興行を含むエンタテインメント業界のリサーチなどを行っているB氏はこう語る。
となると、やはり「当たりそうな映画をできるだけ多くのスクリーンで、できるだけ長く上映する」という方向性に向かわざるをえない。
ここでの主語は「配給会社」だが、興収が高ければ高いほど興行会社の実入りも多くなる(前回参照)。
映画館の運営は「文化事業ではない」
シネコンの効率重視については、筆者も言いたいことがある。その効率重視のおかげで、小品だがキラリと光る良作が、シネコンではなかなか上映されない。ミニシアターのある大都市在住の人なら観られるが、ミニシアターが少ない地方では絶望的だ。莫大な宣伝費をかけた超大作・話題作だけが全国800スクリーンで超拡大公開され、ひとつの劇場で何スクリーンも占有する。一方、多くの「地味だが佳作」の映画は、上映の機会すら与えられない。上映されても極端に少ない劇場数、かつ短期間で終了してしまう。観る映画の選択肢が狭まることは、文化的多様性の危機ではないのか。
しかし、A氏は非常に申し訳なさそうに、そして「今まで(前回・前々回)の説明でおわかりですよね」といった表情を浮かべながら、毅然として言った。
この「文化事業」が、「意義はあるが、採算を度外視した事業」という意味なのは明らかだ。映画は文化、そこに疑いはない。しかし映画産業はビジネスなのだ。映画館運営が立ち行かなくなれば映画を観る場所がなくなる。それで一番困るのは、当の映画ファンだ。
ミニシアター作品を配給する配給会社は、なぜ潤沢な宣伝予算を割けないのか。
映倫(一般財団法人 映画倫理機構)の審査料は、題名・基本宣材(ポスター)で1万8,000円、本編は1分あたり2,460円。2時間の映画ならトータル30万円ちょっとかかる。小規模公開映画であればあるほど、この必要経費は全体予算を圧迫する。
【次ページ】作品別に鑑賞料金を変えることは「できない」
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