『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』著者 円堂都司昭氏 論考
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地域の歴史と向き合う時
東日本大震災に伴い、浦安のほか各地で液状化被害が発生した。以前から液状化は予想されていたとはいえ、今回の被災家屋に従来の全壊・半壊の判定基準をあてはめようとすると、この現象特有の地盤の傾き・沈降に伴う被害を的確に測れないことが明らかになった。1995年の阪神・淡路大震災の時にも、神戸ポートアイランドなどで液状化現象は目立ったのである。ところが、意外なことに(というか、うかつなことに)その後もこのタイプの被害に関する法的な整備は進んでいなかった。このため、東日本大震災発生からしばらくして後、行政が液状化被害の判定基準を見直すという泥縄な対応がとられるしかなかった。
震災後、地盤の損傷が原因で浦安の中町・新町の多くでは上下水道が使えなくなり、一部ではガスや電気も通じなくなった(現在はいずれも応急復旧済み)。このため、市の災害対策本部がおかれた文化会館や市庁舎に近い中央図書館そばの駐車場を自衛隊が拠点とし、各所で給水支援を行った。また、いつもはミッキーマウスなどキャラクターたちの水上ショーを行っている東京ディズニーシーの人工海の水が市の生活用水に提供され(学校のトイレ用)、公共施設だけでなく東京ディズニーリゾートのホテルや周辺のスパ施設などが、水道難民と化した浦安市民に風呂の支援を展開した。
これに対し、元町ではライフラインの被害は、あまりなかった。このため、まだ昭和の風情を残す元町の銭湯やコインランドリーに中町・新町の住民が多く訪れる珍しい光景もみられた。また、震災後しばらくの間、中町・新町のスーパーや飲食店などは休業したところが多かったので、同地域の住民は元町の店舗に殺到した。
上下水道が使えず料理することもできないのだから、惣菜や飲料を買いこむのは理解できる。液状化の泥汚れをいろいろ拭きとらねばならないのだし、いつも以上にトイレットペーパーを使うだろう。すかすかになった元町のスーパーの商品棚を見て、当時の私はそう思っていた。買い急ぎはライフラインにダメージを受けた地域特有の出来事だと思い込んでいたのだ。ワンテンポ遅れて、それが被災地域以外にも広くみられた現象だと知り、驚いたけれど……。
舞浜駅をはさんでディズニーの反対側に立地する戸建て住宅地では、門のあたりや出窓に七人の小人やミッキーなどのキャラクターを飾った家が少なくない。東京ディズニーランド内でミッキーや仲間たちが住んでいるという設定のトゥーンタウンに近い雰囲気だ、と説明すればファンは想像できるかもしれない。
また、海に近い新浦安のマンション街は東京都内に通勤する人たちのベッドタウンであると同時に、周辺には椰子が植えられ、東京ディズニーリゾート・パートナーホテルと定められたホテル群が立地するなどリゾート風の景観にもなっている。そのようなテーマパーク的な平成の風景に住む中町・新町の住民が、いつもはあまり足を運ぶことのない昭和レトロな元町を訪れることになったのが、液状化被災直後の状況だった。
昔は漁村だった浦安が漁業権を放棄し、海を埋め立てることになったのは、1958年の「黒い水事件」がきっかけだった。これは、本州製紙(当時。現・王子製紙)の江戸川工場が汚水を排出し、漁場だった海の水質を悪化させた事件である。漁業ができなくなった浦安は近海を埋め立て、ディズニーランドを招致するとともに新しい住宅街・マンション街を形成することで別の形の発展を実現させたのだ。
しかし、今回、市の広い地域が液状化被害にあったことで、まちづくりのありかたをあらためて考え直さなければならなくなった。元町に住む私にとっても中町・新町は、普段から買いものや娯楽施設、病院の診察などで気軽に出かけている生活圏の範囲内である。大地震直後には心配になって液状化した地域まで自転車で出かけた。地面のあちこちから噴出した泥水は、磯臭かった。ここは海を埋め立てた場所なのだと、臭いをかぎながら思い出した。その時、浦安にとって大震災に伴う液状化は、第二の「黒い水事件」と呼べるような、地域の歴史にとって節目になる出来事なのだと実感していた。
●円堂都司昭(えんどう・としあき)
1963年千葉県生まれ。文芸・音楽評論家。著書に『YMOコンプレックス』(平凡社)、『「謎」の解像度』(光文社)、『ゼロ年代の論点』(ソフトバンク新書)がある。後者で2009年に日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を受賞。共著に『ニアミステリのすすめ』(原書房)、『バンド臨終図巻』(河出書房新社)など。
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