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前回の記事では、日本経済の低迷は企業の輸出競争力が低下したことが原因であることや、日本と異なりドイツは今でも製造業大国の地位を確保していることについて解説した。ドイツが成功を持続できているのは、常に産業構造の見直しを行い、付加価値の高い分野へのシフトを続けているからである。今回の記事では、ドイツはなぜこうした産業構造シフトを容易に実現できたのか分析する。
ドイツでも産業シフトには多くの人が抵抗する
日本企業は90年代以降、高付加価値事業へのシフトに失敗し、中韓と正面からコスト勝負する形になった。日本の輸出単価は90年代以降、一貫して低下が続いており、一方のドイツはむしろ単価が上昇している。その結果、日本の交易条件は著しく悪化しており、これが国力低下を招いたことはほぼ明らかである。
日本国内では、ドイツの躍進はEU(欧州連合)の結果であって実力ではないという意見を多く耳にするが、ドイツにおける輸出単価の上昇と交易条件の持続的な向上を考えれば、そうではないことがお分かりいただけるだろう。
ドイツの躍進は積極的な産業構造の転換がもたらした結果だが、企業がビジネスモデルを変えることは、どの国にとっても簡単なことではない。90年代、日本国内でも産業シフトの必要性を主張する声が高まり、ほぼ社会的な合意も得ていたが、多くの企業は経営体質を変えることはできなかった。ビジネスモデルが変われば、人材の入れ換えが発生するため、一部からは強い反発が出る。こうした利害関係の調整ができず、改革を先延ばしにしてきた結果が失われた30年と考えて良いだろう。
新産業シフトに対する反発や抵抗が発生するのは日本だけの現象ではなく、それはドイツでも同じである。ドイツも日本と同様、中韓による追い上げと競争力低下という問題に直面したが、国家をあげてこの問題をうまく乗り越えた。
ドイツの成功事例としてよく取り上げられるのは、1998年から2005年まで首相を務めたシュレーダー氏による労働市場改革、いわゆるシュレーダー改革である。シュレーダー氏は、首相に就任すると、社会保障費の実質的な削減や、雇用保険制度の改革を実施するなど、労働市場の柔軟化を行った。一般的な解釈では、一連の改革の結果、雇用の流動化が進み、新しい産業分野への人材移転が加速したと言われる。
たしかにシュレーダー改革によって労働市場の改革が進み、これが企業のビジネスモデル転換を容易にしたというのはその通りだろう。日本でも一部の論者が、ドイツに倣って解雇規制を緩和すべきだという主張を行っている。たしかにシュレーダー改革にそうした面があるのは事実だが、この解釈はドイツの改革を片方から見ただけの分析に過ぎない。
シュレーダー改革では、労働市場の改革を実施すると同時に、企業経営改革も強力に推し進めており、それが両輪となって効果を発揮した。特に大きな影響を与えたのが、企業に対して厳格な透明性と説明責任を課すコーポレートガバナンス改革であり、一連の改革はドイツ企業の経営姿勢を一変させたとも言われる。
労働組合のあり方がまるで異なる
ドイツでは、企業が利益を出さないことは社会悪であるという共通認識が出来上がっており、企業の経営者には常に利益を上げるよう社会からプレッシャーをかけられる。企業の経営者は高い報酬と社会的地位を得ているので、それに見合った経営責任を果たすべきという価値観が確立していると言って良い。
かつてはドイツにも株式の持ち合いによる馴れ合い経営の問題があったが、ガバナンス改革以降はこうした風潮はなくなり、企業経営者は外部に対して明確な説明責任を負うようになった。ドイツの法律では経営者が債務超過の状態を一定期間以上放置すると罰則が適用される。債務超過の企業が政府の支援を受けて延々と生き延びるケースが多い日本との差は歴然としている。
日本では、経営者として十分な能力を持っているのか疑わしい人物も、年功序列によって大企業のトップに就任するケースが散見される。もしドイツ並みの社会的プレッシャーがあれば、能力の低い人物が大企業の舵取りをしてしまうリスクは相当軽減されるだろう。
もう1つ、ドイツ型の経営で特筆すべきなのは労働組合のあり方である。
ドイツの労働組合は、強固な組織であり、日本よりもはるかに強い交渉力を持っている。ドイツはつい最近まで最低賃金が存在していなかったが、それでも日本よりも圧倒的に高賃金だったのは、組合の存在が大きく影響している。だがドイツの労働組合は、企業に対して単に昇給を要求するだけの団体ではない。実はドイツの労働組合は、企業よりもイノベーションに対して積極的であり、逆に企業側に産業シフトを強く促すケースもあるのだ。
【次ページ】ドイツのたった12分の1…少なすぎる日本の「ある部門」の投資額
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