• 2022/01/09 掲載

橋爪 大三郎氏と佐藤 優氏が語る、文明とは何か?世界のすみ分けができた時代を探る

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激変する世界秩序を読み解くには、これまでのコンテクストを理解しておく必要がある。文明と国家をめぐって、いまどういう世界史の分岐点にさしかかっているのかを理解するには「文明」を理解しておくのが有効だ。橋爪 大三郎氏と佐藤 優氏という「知の巨人」たちは「文明」をどう定義し、どのような目線でひも解いているのか。今回は、文明の起源から現代の世界の「すみ分け」ができた時代がどこにあったのかを探る。
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※本記事は『世界史の分岐点 激変する新世界秩序の読み方』を再構成したものです。

文明とは何か

橋爪氏:いまわれわれは、文明と国家をめぐって、どういう世界史の分岐点にさしかかっているのか。行く末を考えるのには、来し方をふり返らなければならない。そこで、少し古い昔にさかのぼります。

 まず、文明とは何か。

 文明と似たものに、文化があります。

 文化はローカルなもので、言語と結びつき、民族や自然環境と結びつき、伝統や歴史や風俗と結びついている、生活のスタイルです。たとえば、日本人の生活のスタイルは、日本語や日本人や日本の自然環境や歴史や……と結びついているので、日本文化です。世界中に、その土地に根づいた文化があります。

 文化は英語でCulture、地面を耕すという意味ですね。農業のことです。定着して動きませんから、世界中に、その土地に根づいた文化が営まれています。

 文明は、これに対して、文化を束ねたものです。

 たとえば、イスラム教は、文明です。多言語です。アラビア語を重視しますが、トルコ語、ペルシャ語、ベンガル語……どんな言語が母語の人びとも、ムスリムです。多民族です。自然環境や歴史がさまざまの人びとが、イスラム世界を構成しています。イスラム教は、いくつもの文化を束ね、文化の上のレヴェルになる。これを文明civilizationといいます。キリスト教も、多民族、多言語で、いくつもの文化の集まり、つまり文明であると言えます。

 文明は、文化の違い、民族の違いを超えて、人類をひとつに統合しようという理想をもっています。文明は、人びとの共通項目として、普遍的な価値を掲げます。普遍的な価値によって、民族やさまざまな集団のあいだの紛争を克服し、平和をもたらします。

 現代に生き残っている文明は、西欧キリスト教文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、中国儒教文明、の四つです。いずれも巨大な文明で、数千年の歴史をもち、いずれも宗教を基盤としています。これら文明は、異なる点か多いものの、つぎの共通点をもっていることに注意すべきです。

 文明の共通点。正典canonをもっていること。キリスト教の聖書、イスラム教のクルアーン、ヒンドゥー教のヴェーダ聖典、儒教の五経、がそれぞれの正典です。そこには真理が、「人間はこう考えるのが正しい」「人間はこう行動するのが正しい」というかたちで書いてある。正典は、人びとの考え方と行動様式の規準である。人びとは同じ本を読み、同じように考え、同じように行動するようになる。さまざまな文化の相違を超え、共通の基盤に立つようになるのです。同じ本を読んでいるので、互いの考えを理解でき、互いの行動を予測できる。ならば、仲間です。信頼が生まれる。信頼があるから、ビジネスができる。同じ法律に従うことができる。政治的に統一して帝国をつくることができる。などなど。古代からこうして文明が興亡し、現代に生き残ったのが、四つの大文明だ。

 なぜ大文明は、ひとつではなく四つなのか。それは古代の、技術の制約による。物資や軍隊の移動を考えると、カバーできる範囲はさしわたし数千キロがせいぜいだった。大陸はもっと広い。そこで、普遍性を主張する文明が複数、併存するのです。

 グローバル化の時代、これら四つの文明は、互いに密接に連関することになった。その相互関係を、これから考えていこうと思います。

佐藤氏:文化というのは、日本的な文脈では、その土地と、その土地でとれる穀物によって共同体ができてくる。律令制が入る前に、原型としてそういうものがあったということですね。

 ところで1つ教えていただきたいのですが、一昔前のように唯物史観的な考えが強かったころは、原始共同体から、生産力が発展したことで奴隷制になり、封建社会になったという生産力史観でした。でも今は、たとえば西田正規さんが『人類史の中の定住革命』(講談社学術文庫)などで唱えているように、「定住革命」が農業の起源の説明に使われることが多いですよね。要するに、農業によって定住が進み、権力が生まれたのではなく、権力のほうが先行しているという話ですが、このあたりは、どう考えておられますか?

橋爪氏:農業が始まるためには、栽培植物ができていないといけない。野生種に人間が継続的に介入して、その結果、栽培種ができる。これにはかなり時間がかかります。中東の産地で、タルホコムギとヒトツブコムギが元になって、コムギができた、などがわかっている。紀元前7000年ぐらいだと思います。

 コムギが手に入って、農業がスタートしたはじめは平和だった。人口が増え、周辺から異民族が入ってきます。大規模灌漑農業で奴隷制になるまで、数千年かかっています。私有財産がうまれて、階級闘争になると、乱暴に言ってしまえばそうです。でもマルクス主義が外れているわけではない。

佐藤氏:なるほど、わかりました。

ソフトとハードでみる文明のメカニズム

橋爪氏:さて、文明のメカニズムには、ハードとソフトの両面があります。ソフトのほうが大事だと思います。ソフトとは、宗教ですね。

 宗教の特徴は、人間がコントロールできない、ということです。政治でも、経済でも、文化でもコントロールできない。宗教は、政治や経済や文化を派生させるけれども、それ自身は、それらを超えている面がある。

 一神教圏では、その超越的な特性を、神といいます。神は、人間を超えている。インドでは、神というかたちを必ずしもとらないが、人間を超えている真理がある、と考える。中国では、神は出てこないが、いまを生きる人びとの現実を超えた、理想的な過去が絶対の規準だという信憑があります。つまり、どの文明も、超越の場所をもっており、そこからテキスト(正典)がもたらされたことになっている。文字は、人間が書くものなのですが、このテキストに限っては、人間が書いたものではないことになっている。

 人間が書いたものではないから、人間が手を加えたり、勝手に解釈したりできない。ただ読むことができるだけである。そのテキストがみんなに開かれていて、人びとがそのテキストを読んで、なるほどと思う。「人間はこう考えるのが正しい」「人間はこう行動するのが正しい」と書いてあるからです。迷ったり困ったりしたら、これを読む。

佐藤氏:一種の鋳型になってくるわけですね。

橋爪氏:鋳型ですね。同じように考え、同じように行動する人が大量に生産されます。そして社会秩序が形成されます。テキストにこの機能があると気がついたのが、宗教です。

佐藤氏:非常に説得力ありますね。1つ付け加えるならば、そのテキストは、最初は膨大にあったものが、キャナリゼーション(正典化)の過程で、全員が読了できるくらいの適性に収斂するんですよね。

橋爪氏:読み切れないのではカノンにならないですね。ヒンドゥー教、仏教はテキストが多くてそこが曖昧なんですけれど。儒教、ユダヤ、キリスト、イスラムでは、テキストの分量は適切に短いです。

佐藤氏:人間にとって完全に暗記可能なぐらいの量、ということなのでしょう。

 近代人は記憶力が弱くなっているので、聖書全体を暗記することはできなくなっていますが、近代より前、特に活版印刷が普及する前は、神学部では聖書をすべて暗唱することがカリキュラムに組み込まれていて、通常、みんなできましたよね。日本でも、小学生ぐらいの子どもが論語など丸暗記していました。今でもイスラム圏の子どもたちはコーランを朗唱します。やはり「暗記できる量」ということが重要だと思うんです。いったん暗記すれば、任意に引っ張り出すことができますから。

橋爪氏:おっしゃるとおり。ランダムアクセスができなければカノンにならない。

 さて、このカノンが、人びとの考え方や行動様式を深く規定するわけであって、カノンは書き換えられない。これが、文明の自己同一性の根源です。

佐藤氏:キャナリゼーションとは、つまり閉ざされるということですからね。正典化が行なわれたら、そのあとは付加も削除もされない。

橋爪氏:はい。強いて例外を言うなら、キリスト教です。

佐藤氏:なるほど。

橋爪氏:キリスト教は、旧約聖書(ユダヤ教の正典)を、字義どおりに読まないということを、イエスが始めたことになっている。字義どおりに読まなかったら、どう読むのか。新約は字義どおりに読むのかと言えば、それもしないことになっている。

佐藤氏:ただし、神学の中でもアンティオケイア学派(キリストを論じる上で、人間性や歴史性を重んじた一派)の人たちは字義どおりに読みたがるのに対して、アレクサンドリア学派(信仰と理性の調和を目指し、聖書を比喩的に解釈した一派)の人たちは、新約でも寓意的に読みます。だから、両方の傾向がある。

橋爪氏:キリスト教の場合、考え方や行動を拘束する力が、字義どおりではなくて、でもこれはカノンなんだ、という信念だけあって。キリスト教はその後、不思議な流れをとっていきます。現実世界を生きるのに、正典の効力が届かないので、法律をつくるということを、キリスト教徒はやります。その法律は世俗の法律です。これがイスラム、ユダヤ、ヒンドゥー、儒教とちょっと流れが違う。

佐藤氏:なるほど。

橋爪氏:文明のソフト面、宗教についてひと通りみてきました。

 ハード面に目を向けると、金属がとても大事です。石器では、軍隊は編制できない。金属で、槍や刀、ヘルメットや楯をこしらえないとダメです。

 金属の製造には技術が必要です。最初に、青銅(ブロンズ)が実用化しました。青銅は銅とすずの合金で、加工しやすいが高価です。そこでごくひと握りの人びとが武装した。彼らは馬をつないだ戦車に乗り、戦場を支配して貴族階級になった。農民の歩兵は主役にならなかった。青銅器時代は階級社会で、貴族制です。

 やがて鉄器が実用化した。鉄は製造がむずかしいが、いったん生産されると材料が豊富で安価なので、農民の歩兵も武装できた。重装歩兵の密集部隊が戦車に代わって戦場を支配し、戦力の主体となった。メソポタミアや中国で、貴族制が解体して行きます。中国では官僚制が発展し、農民も参加できるようになった。

佐藤氏:そこではメリトクラシーがとられるわけですね。

橋爪氏:そうです。貴族は、世襲ですけれども、官僚制は能力主義。これで、文明はさらに文明らしくなった。

 金属がハードの一面だとすれば、もう一つの側面は、文字です。

 文字は、学習しさえすれば、誰でもどんなテキストも読めるという、オープンな性質があります。口承伝承と、そこが違う。文字は税金を集める際の記録に使った、文明を支える統治技術の一環です。この文字を応用して、宗教のテキストを編纂し、正典にした。だから、世俗の統治技術と、宗教の正典は、互いを刺戟しあって形成されたと思います。この正典の影響下にある社会が、文明なのですね。

【次ページ】陸の文明と海の文明
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