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前編では、アップルが「モデルチェンジ戦略」ですべての人にコモディティとしてアップル製品を浸透させてきたことや、グーグルとのビジネスモデルの違いを類推してきた。これを受けて後編では、アップルの歴史と買収してきた企業群を眺めることによって、推測できうる今後の市場の可能性を探ってみたい。
前編はこちら
繰り返されるアップルの歴史
1977年、アップルがパーソナルコンピュータを発売した「Apple II」時代は、表計算ソフトの元祖VisiCorp社の「VisiCalc(1979年)」によって、パーソナルコンピュータはオモチャではなく一気にビジネスマシンとして、MBAホルダーの必須のツールとなった。アップルは爆発的に市場拡大に貢献するが、シェアを持続することは最も苦手な企業だ。その後、1981年のIBMによるIBM-PCの参入によって、マイクロソフトのMultiplan(1982年)やLotus 1-2-3(1983年)などが登場し、シェアを奪われていくこととなる。
アップルは、1983年に失敗に終わったワークステーション「LISA」を発売し、そして1984年「Macintosh 128k」を発売する。コマンドベースではなく、グラフィカルなインターフェイスでマウスで操作するはじめてのパーソナルコンピュータであった。これらのアイデアはいずれも、アップル独自の技術ではなく、コピー機で有名なXEROX社のR&Dセンターであった「PARC」が試作した「Alto(1973年)」がベースにあった。ジョブズらはPARCの社員をアップルに引き抜きLISAやMacintoshを作った。
そのグラフィカルなユーザーインターフェイスは、コンピュータをクリエイティブなツールにしていった。特に、印刷などのプロ用市場で、「PARC」のページ記述言語の研究者であったジョン・ワーノック博士がAdobe社を1983年に創業し、PostScript言語をライセンスする。アップルは1985年にPostScriptを搭載した「LaserWriter」というレーザープリンターを販売し、同年、製版分野においても商業印刷においての独Linotype社が参入しプロの印刷市場も形成していく。
音楽市場においても1985年にMIDIシーケンサー・ソフトの「Performer」が発売され、Macintoshが楽曲制作の現場にツールとして浸透していく。アップルのOSのレギュレーションの中で、それぞれ業界で得意とするサードパーティーがソフトウェアを開発し、既存産業をディスラプト(破壊)するという構造で普及していく。コンピュータのプロでなくても、その職業のプロの人であれば使えるコンピュータ環境を提供した。
1991年にはノートブック型の「PowerBook」3シリーズを発売し、ハードディスク内蔵トラックボールタイプのノートパソコン市場を牽引していく。これもノートパソコン市場を変革させた。しかし、マイクロソフトが1995年に「Windows95」を発売し、アップルはシェアを強烈に奪われていくこととなる。世の中はインターネットの時代を迎え、圧倒的多数のWindows95をライセンスしたPCベンダーの数とアップル社のみが発売するというMacintoshシリーズだけという市場形成となった。
まるで現在のスマートフォン市場のiPhoneとAndroidの構図だ。
アップルは買収によってスピード経営を図ってきた
1996年、アップルはNeXT社を買収し、スティーブ・ジョブズごと引き抜いた。ジョブズはアップルのCEOに返り咲き、1998年に「iMac」を発売する。ボンダイブルーの透明ボディはトランスルーセント色という新たなパソコンブームを築いた。iMacはアップルが開発してきたデバイス、ADBポートなどを過去のレガシーとして、フロッピーなどを排除し「USB」接続というUSB新時代を築いた。モデムなども内蔵し、インターネット接続を当初から前提としたモデルとなった。1999年には「キャンディーカラー」というカラーバリエーションも投入し、パーソナルコンピュータのライフスタイルをも変化させていった。
2001年には音楽プレイヤーの「iPod」をスクロールホイールを搭載して発売した。MP3プレイヤーはいくつも発売されていたが、1999年、当時はMP3による「Napster」のファイル共有によって、音楽業界は違法コピーで大きな損害を受けていた。アップルは圧縮フォーマットとして著作権保護の仕様を持つ「AAC(Advanced Audio Coding)」フォーマットの採用や、正規ダウンロード販売ができるプラットフォーム「iTunes」を引っさげてiPodを投入していた。
音楽業界に大打撃をもたらしたファイル共有に対してはNacster社を訴訟するだけではなく、CBSソニー以外はアップルとの提携の道を歩み始めるという歴史的な転換期に参入していたのだった。アップルにとっては音楽業界を味方につけるとてもよいシナリオの環境ができていた。そう、ソニーにもできたはずだが、アップルは、ハードウェアを作って売るのではなく、音楽を聞く環境を「ウォークマン」並の文化として再発明したのだった。
さらに「iTunes」はCasady & Greene社の「SoundJam MP」の改良版であったが、iTunes事業部門に同社は吸収される。そう、自分たちで開発するだけでなく買収による人材確保と市場浸透を常に考え、アップルの生態系の中で活かしていくという道を取り続けている。
2001年のiPodは、アップルのMacintoshの価値向上のためのデバイスであったが、2002年からは、Windows対応も可能とという戦略的製品にすることにより市場を拡大する。この戦略は、マイクロソフトの音楽プレイヤー事業を困難にすることに成功した。この戦略は後の2007年発売のiPhoneにも継続され、プラットフォームに依存しない「デバイス戦略」となる。
そして、iTunesでの「アプリ」管理と流通売上の「3割」をアップルが手数料として受け取る胴元型のiOSプラットフォームのサービスが開始することとなる。こちらも当初の計画というよりも、音楽のデータ販売によって適正な流通手数料を編み出した。フィジカルなパッケージを流通させると、ソフトウェアでも、製造、流通、小売、在庫、返品と最低でも5割以上の販管費が発生するからだ。
2006年、ジョブズはグーグルのエリック・シュミットCEOをアップルの取締役に招き入れたが、2009年、グーグルの「Android」がiOSと競合関係となるため、アップルの取締役を退任する。Androidは、2003年にアンディ・ルービンらによって設立されたAndroid社を2005年にグーグルが買収し、2007年からはオープンソースとして提供されるようになった。グーグルもまた、買収によって事業規模を補強してきた企業なのであるが、両社のゴールはまったく違うビジネスモデルであった(
前編を参照)。
【次ページ】 2015年以後にアップルが買収した企業で見る、アップルの未来
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