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- 2014/06/20 掲載
なぜプロ経験のないサッキがサッカーに革命をもたらしたのか
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なぜプロ経験のないサッキがサッカーに革命をもたらしたのか
クライフはオランダ代表も務めたサッカー史上屈指の名選手の1人である。「名選手必ずしも名監督ならず」のジンクスを見事に破って名監督となっている。名門バルセロナのサッカーの源流はクライフにある。
一方、サッキはプロ選手の経験を持たないどころか、営業マンとしてヨーロッパを回っていた経験を持つ。その頃に出会ったオランダサッカーに魅せられ、クライフのトータルフットボールに、守備を重視するイタリア流のサッカーを組み合わせることでゾーンプレスを考案したとされる。
独学でサッカー協会の監督コースを修了後、二流クラブの監督をつとめていたが、コッパ・イタリア(イタリアのサッカークラブによって争われるカップ戦)で名門ACミランを2度も破ったことで、後にイタリア首相にもなるACミラン会長のベルルスコーニにその手腕を見込まれ、その後同クラブの監督になった。
選手経験者でもなく、監督としても無名のため、「ミスター・ノーバディ(誰でもない人)」と揶揄されたが、自ら考案したゾーンプレスを武器に初年度にリーグ優勝、続く2年目、3年目にチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)で2連覇を達成するなど輝かしい成績を上げることになった。
スペクタクルに富む攻撃的なサッカーを展開するACミランは強く、楽しく、美しいチームであり、当時のチームは今も「グランデ・ミラン(偉大なるACミラン)」と讃えられている。
守り勝つのではなく攻め勝つサッキのサッカーは、当時の常識からかけ離れたものだった。サッキは当時を振り返ってこう話している。
「イタリアにおいて、それ(守り勝つのではなく攻め勝つこと)は逆転の発想。伝統と定説の否定であった。失敗すれば単なる異端として葬り去られることは百も承知だった。だからこそ挑む価値がある」
サッキには経験もなければ先入観もなかった。本来ならそれだけでサッカー監督は無理なはずだが、サッキは「騎手になるために、馬に生まれる必要はない」として意に介さず、自分の信じるサッカーを考案した。そのサッカーでヨーロッパを制し、1994年イタリア代表監督としてチームをワールドカップ準優勝に導いてもいる。
【次ページ】なぜ技術を知らない若手がいきなり現場に放り込まれるのか
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