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- 2013/04/23 掲載
【円堂都司昭氏インタビュー】ソーシャル・ネットワーク時代の音楽のトランスフォーム(2/3)
『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』著者 円堂都司昭氏インタビュー
「つながり」という幻想
──「音楽は『行為』であり、『演奏』『聴取』に限定されず、本質的にどんな立場からでも参加できる」という概念を紹介されています。そこで重要になってくるのが、「キャスト化」というキーワードですね。円堂氏■ディズニーランドの従業員は、清掃員も含めてキャスト──すなわち出演者として位置付けられています。で、例えばパレードとかを見ていると、キャストに促されて、ゲスト(客)も一緒に手拍子をしたり掛け声をかけたりする。その時、ゲストも「キャスト化」するんです。それと似た現象が、ソーシャルメディアを通して、音楽にも起こっていると思うんです。ニコ動の「歌ってみた」「踊ってみた」なんかは、その最たる例で。あ、ディズニーランドで思い出しましたが、『ソーシャル化する音楽』で触れなかった日本の音楽分野で、触れておくべきは「YOSAKOI」ですね(笑)。
──あ、あの群舞の。曲がダンス・ミュージック調にアレンジされたりしてますよね。
円堂氏■『ディズニーの隣の風景』で書いたのですが、YOSAKOIは、いわゆるクラブのダンス・ミュージックなどとは全然違った形で成立していて面白いんです。今の日本は、風営法の規制の関係でクラブに関しては、ライターの磯部涼さんたちが言うところの「踊ってはいけない国」になっているのに対し、YOSAKOIに関しては、地元が経済効果などを狙って「踊らせたがって」いる(笑)。このねじれは何なんでしょうね。テレビのバラエティ番組とかで、チームダンスをする感動もの企画ってあるじゃないですか? マスゲームみたいに隊列組んで歩いていって、散開してまた戻ってくるみたいな競技もある。ああいうきっちり同期するような、チームで動くようなものは褒められて、思い思いに薄暗がりで踊っているのはダメっていうのは不思議ですよね。そうだ! 地域振興の一環として、毎日1時間、クラブでYOSAKOIをやることで終夜踊れるように懐柔できたりしないかなぁ(笑)。
──アリバイ的に(笑)。なんでしょう、チームワークとか、そういった方にウェイトが置かれているというか。それつながりで言うと、日本の音楽フェスについて触れている章がありますが、ひじょうに面白かったのが、フェスにおいて、「ライブ」より「ライブ“感”」、その結果生れる「つながり“感”」に重きが置かれている、という考察です。
円堂氏■先ほどクロニクルって言いましたけど、それで言うと『ソーシャル化する音楽』は、60年代末の「コミューン幻想」から「ソーシャル幻想」へ、という変遷で整理している本なんですね。コミューンだとリアルに一緒に居なければならないところが、ソーシャルだと離れつつつながれる。80年代には、テクノ・ミュージック、ウォークマンの発売、喫茶店で会話せずに黙々とプレイするインベーダーゲームなどを象徴に、「自閉的だ」という論調があったわけです。でも今は逆で、「つながり」の方が強調される。
──それが変わったきっかけは何だったんでしょうか?
円堂氏■携帯電話が発達したあたりから大きく変わったように思います。ただ、一方で「ひきこもり」みたいな現象はあり続けるわけで、常に「つながり」と「自閉」の両面はあるわけですけど。
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