『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』著者 円堂都司昭氏インタビュー
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音楽の聴き方はもとより、触れ方までが大きく変化しつつある現状において、その実態や背景を論じた『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』(青土社)が話題だ。今、音楽の世界でどのようなことが起きているのか? 著者の文芸・音楽評論家である円堂都司昭氏に、音楽界のこれまでとこれから――その潮流についてお話をうかがった。
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「聴取」から「遊び」へ!?
『ソーシャル化する音楽』
──『ソーシャル化する音楽』は、ソーシャル・ネットワークが多くの人にとって当たり前のものとなった、ゼロ年代以降のポップミュージックの歩みや有り様について書かれた本ですよね。まずどこから着想を得たのでしょうか?
円堂都司昭氏(以下、円堂氏)■インターネットの「常時接続」と、複数の電子楽器を同期させて作るテクノ・ミュージックにおける「同期」をキーワードに、2003年時点での「つながっている」という感覚について書いた『YMOコンプレックス』(平凡社)という自著がありまして、その続編、あるいはヴァージョンアップという意識で書いたのが『ソーシャル化する音楽』なんです。
──ソーシャル化することで、音楽の受容のされ方が「聴取」から「遊び」へ重心を移し、結果として音楽がガジェット化し、「作品」「演奏」の概念も揺らいできたことが指摘されています。
円堂氏■そうですね。車が変形してロボットになったりする玩具、「トランスフォーマー」を意識して、そうした現象を「音楽のトランスフォーム」と呼んでいます。そしてそれは、大きく3つのタイプに分けられます。
──分割・変身・合体、ですね。
円堂氏■はい。例えば、iTunesでアルバムを1曲単位に分割してダウンロードするのは「分割」、楽器の演奏をチープな電子音に変えてしまう着メロは「変身」、カラオケや「太鼓の達人」といった音楽ゲームのように、楽曲に演奏者以外の人間が関わるのは「合体」、みたいなイメージです。また、トランスフォームする時には、受容する側によって+αがなされる。音と映像が同期された動画に、さらに素人が「一緒に踊る」といった行為を加えていくわけです。ニコニコ動画における「踊ってみた」「歌ってみた」のようなものですね。自分なりの同期を加えていくわけです。
──ニコニコ動画といえば、そこで大きな盛り上がりを見せた「初音ミク」のようなボーカロイドものの存在を、当初どのようにご覧になられていたんでしょうか?
円堂氏■初音ミクが、昔の曲を歌うカバー集がありましたよね。そのなかに、YMOを始めとするテクノポップのカバーもあったし、僕のようなおじさんたちも入りやすかったんです。80年代初期のテクノポップって、テクノと言っても全部の音がシンセとかではなくて、けっこう生音も入っていました。楽器の演奏なしに、デスクトップ上の作業で音楽制作を完結できる環境が、個人個人、素人のレベルでも整ったのがゼロ年代です。その後間もなくネット動画の文化もできた。かつてはプロのアーティストの専売特許であった、国境を越えて動画や音を伝えるということが、一般の人間にもできるようになったわけです。
──大衆化したということですね。
円堂氏■もっとも70年代の段階で、海外ではベートーヴェン『第九』合唱のシンセ版(ウォルター・カルロス)が作られていたし、日本の電子音楽のパイオニアである冨田勲も人の口笛をシミュレートしていた。人間の声をロボ声でやるみたいな欲望は昔からあったわけで、初音ミク的なものって、その延長線上にあるんですけどね。
──過去からの延長ということで言うと、60年代のウッドストックや、70年代のパンクなど、過去の音楽やムーブメントにもたくさん触れられていて、意外だったというか、ちょっと驚いたんですね。音楽のソーシャル化は、ネット以降の現象という思い込みがあったのですが、そうした流れや欲望は過去にもあり、現在まで脈々と続いている。だから、ネットだけでソーシャル化は語れない。
円堂氏■現在、ソーシャルメディアとの関係で起きている現象も、その芽のようなものはソーシャルメディア以前の時代に見つけられる。同期していく楽しさって、昔からあるわけだから。ライブで大合唱するとか、のってきた客が音楽に合わせてエアギターのアクションをするとか。それが、ソーシャルメディアによって、より多様な遊び方ができるようになった。年齢が年齢だから、ボーカロイドとかアニソンにどっぷりハマって聴き込んでいるわけじゃないし、もっと各論を書ける若い人はいるでしょう。だから僕は、歴史というもののなかで、近年の事象について書いてみたわけです。
『ゼロ年代の論点』
──歴史としては知っていても、実感として分からないと書きづらい話もありますものね。
円堂氏■70年代後半以降に生まれた人は、ポップ・ミュージックを「聴く」だけでなく、ヴィデオで「観る」カルチャーとして定着させた「MTV」(1981年放送開始)が登場した時の衝撃を分からないわけじゃないですか? だから、衝撃を知る自分が、さかのぼって成り立ちを解説するといったことは意識的にしました。このような書きかたは、ほぼ同時期に刊行した『ディズニーの隣の風景 オンステージ化する日本』(原書房)でもしていますし、さかのぼれば『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』(ソフトバンク新書)なども同様です。最近の事象について書いているのですが、過去と対比して書いている。現代史でありつつ、クロニクルなんです。