- 2008/06/24 掲載
ひろさちやの究極の人生相談/経営者こそ、人間らしく生きろ(4/4)
日本語は、省略の言語なんだ
ある米国人の知り合いがいる。彼は日本語が達者で、俳句をつくったと言った。 「鎌倉に、鶴が2、3羽、おりました」これを聞いて、思わず「そんなのは俳句じゃない」と笑ってしまった。そしたら、その米国人が怒り出した。「なぜだ。5・7・5になっているし、鶴という季語も入っている。どうして俳句じゃないなんて言うんだ」とね。咄嗟に説明できなかった。つまらないとか、意味がないとかいうのは説明にはならない。もっと根本的な問題がある。しかし、それがわからなかった。 「それならば、あなたが『これが俳句だ』というものを作ってください」と言われたけど、私にはつくれない。
いろいろ考えて、はたと思い当たった。 「いいか、日本語は省略の言語なんだ。不必要なことは、言ってはいけない。英語にも省略形があるよな。でも、それは省略できる部分は省略してもいいということだろう? 日本語の場合は根本的に違う。日本語は、省略しなければいけないものは省略するという強い省略の言語なんだ。」
たとえば、「僕は」「あなたは」という主語を省略する。これは、省略しないといけない。まして、俳句は省略の芸術だ。 「いいか、『鎌倉に、鶴が二、三羽』と聞いて、誰も『おりません』とは思わない。つまり、『鎌倉に、鶴が二、三羽』だけで、『おりました』とわかるんだ。それをあえて言ってしまったら、俳句云々の前に、日本語にならないんだ」と説明したら、納得してくれた。
あるとき中国に行ったときに、店先でお客さんと店の人が口ゲンカをしている場面に出くわした。その前を通り過ぎて目的の場所まで行って、30分ほど経って戻ってきても、まだやっている。
私は感心して通訳に、「中国人は偉い。日本人だったらもうとっくに殴り合いになっている」と言った。そしたら通訳が、「違いますよ。あれはどっちが殴る権利があるか、言い争っているんですよ」と言うんだ。
つまり、お互いが、いかに自分にお前を殴る権利があるかということを主張しているというわけだ。ここで謝れば、殴られる。日本人はすぐに謝罪するけど、それは「私を殴っていい」と言っているようなものだ。
そのときに思ったことが、中国人は、なんであんなにべらべらしゃべっているのかということ。それは省略をしないからだ。
日本人にもこの傾向はある。つまり、相手に「言っておいただろう?」と言えば、それで叱ったことになる。「お前に言っておいただろう? 言っておいたよな」と強調しても、それですむ。ところが激昂してケンカになれば、「お前に言っただろう? 俺はお前に少なくともこのことをあのときに伝えたぞ」というふうに説明的になる。ふだんはこんなふうに説明的にはならない。言わなくてもわかっているはずのことは、省略してしゃべろうとするからだ。
「あれ、どうした?」「頼むぞ」とかね。
そのことを知った上で、人とのコミュニケーションを取ってほしい。気をつけなければ、日本人はとにかく省略してしまう。しかし、それではビジネスは成り立たない。命令や指示は成り立たない。あえて省略しない。日本語としては変でもいいから、心して説明的になることが求められる。
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