連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第15回)
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バンダイナムコHDのIP別売上(3月期決算)によると、昨年公開された映画『ONE PIECE FILM RED』の大ヒットを背景に『ONE PIECE』は関連消費を伸ばし、2023年度売上は863億円という数字となった。しかし、それすら凌駕し1,445億円の売上を叩き出しているのが『DRAGON BALL(ドラゴンボール)』である。『週間少年ジャンプ』の連載終了から約28年が経過するドラゴンボールは、なぜ今なお強いのか。その秘密は、関連消費を支える“ファンの属性”も関係しているようだ。ドラゴンボールの売上をひも解きながら、その凄さを解説したい。
『Dr.スランプ』も数年で終息、キャラクター寿命の壁
今なおドラゴンボールが関連消費を生み出し続けていることは、どれだけ凄いことなのだろうか。
ドラゴンボールの作者である鳥山明氏の名前が世に知れ渡るキッカケとなったのが、1980年から週刊少年ジャンプで連載が始まる『Dr.スランプ』だ。これもまた大ヒットした作品であった。
漫画を描き始めて3年目の新人作家と、5年目の編集者・鳥嶋和彦氏のコンビから生まれたこの作品は瞬く間に人気作品となり、1981年春からアニメ化が実現。最高視聴率36.9%、歴代アニメ3位にも輝き、これ以降、ジャンプの漫画作品のアニメ化が促進されていく。少年ジャンプもまた、1975年に160万部だった部数が、1980年新年号で300万部越えをはたし、急成長していたタイミングでもある。
しかし、1982年の爆発的ブームは1年で収束してしまう。当時、『ドラえもん』キャラ商品300品目に対して、700品目以上の引き合いがあったDr.スランプだが、1983年1月にはブームが終息し、大量のキャラ商品の在庫を抱えてしまう。これは「アラレちゃんショック」とも呼ばれる。ただ、それは特別なことではなく、当時のキャラブームというのは大抵こんなものであった。それほど、1つのキャラが存続し続けることは難しい。
その後、1983年8月にDr.スランプは3年半の連載を終了させる。そして1983年11月に連載スタートしたのが、集英社や漫画産業自体を大きく変革することになるドラゴンボールであった。
なぜ「キャラ設定」は重要? コンテンツの人気を決める理由
漫画にとって鬼門は1巻分の10話と、3巻分の30話だ。物語の骨格が決まる10話で面白くなければ連載中止が検討される。3巻分で終わる漫画がほとんどだ。実はDr.スランプに比べてドラゴンボールはピンチから始まった作品でもある。当初、ジャンプのアンケート結果の10位にも入らない位置付けにあったのだ。
担当編集の島崎氏の残したコメントによると、ドラゴンボールに登場する多様なキャラに対し「主人公である悟空のキャラがたっていない」ことなどが人気は低迷の要因と考え、コンセプトの立て直しを検討したという。
そうして、ドラゴンボールは、「ドラゴンボールを集めて神龍を呼び出す」というエピソードを早々に切り上げ、14話から悟空とその師匠である亀仙人との「修行編」を始める。
これは、主人公・悟空を「強くなりたい」を体現するキャラとして設定しつつ、その対抗軸になるキャラとして、クリリンなどの新キャラが登場し、「修行編」から19話から登場するキャラ同士によって行われる格闘技大会を描いた「天下一武道会編」へとつなげていく。こうした変化の中で、「強さを追求する悟空」の面白さを作品の基軸を据えていったのだ。
天下一武道会編のモデル自体は、キン肉マンなど、ほかの作品などでも活用されており、当時、物珍しかったわけではないが、ここで初めてジャンプのアンケート1位を獲得。1984年に出されたコミックス第1巻も、初版220万部と、Dr.スランプ記録を塗り替える結果となった。
この1984年の3カ月目~半年の間の方向転換がなければ、ともするとドラゴンボールは存在することなく消えていった可能性すらある。
『ドラゴンボール』の売上爆増のキッカケとは
大ヒット作はもはや作者のものではなく、読者のものになる。1995年に人類史前人未踏の週刊漫画として653万部発行に到達した週刊少年ジャンプは、ドラゴンボールの連載終了時期からその後5年間で部数を半減させていく。
だからといって、ドラゴンボールのキャラ・物語への人々の興味が消失するわけでもない。1996年からは鳥山氏が脚本制作にも入らないオリジナルアニメ『ドラゴンボールGT』が放送開始、1998年に北米ケーブル局カートゥーンネットワークで放送が始まると、人気を博し、翌年には放送局自体の最高視聴率を塗り替えるほどになった。
その後、ポケモンブーム、ハローキティブームと相まって2001~2003年には北米でのドラゴンボールブームにも発展する。ちょうど週間少年ジャンプの米国展開が始まったこの時期が、まさに現在まで続く「ドラゴンボール経済圏」の最初の地固めであった。
そんなドラゴンボールも北米での売れ行きが伸びず停滞の時期を経験することになる。ここからは、そんなドラゴンボールの人気が再燃するキッカケとなった“ある転換点”と、ドラゴンボールというコンテンツの稼ぐ力に迫りたい。
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