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米中対立の激化によって、半導体製造技術がビジネス面ではもちろんのこと、国家安全保障の分野においても重要な武器となりつつある。世界のトップを行くのは台湾TSMC(台湾積体電路製造)であり、残念なことに日本勢は手も足も出ない状況である。政府は国策によって半導体産業を復活させようとしているが、TSMCがなぜここまでの企業に成長したのかという本質を理解しなければ、実現は難しいだろう。
吹けば飛ぶような会社だった
台湾の半導体産業が飛躍した背景としてよく指摘されるのが官民を挙げた取り組みである。こうした観点から、日本でも国家主導で技術開発に励めば半導体産業を復活できると考える人は多く、実際、国策半導体企業であるラピダスもその思想で設立された。
台湾が国家戦略として半導体産業の育成に力を入れてきたのは事実だが、国家による取り組みの結果としてTSMCのような企業が出来上がったわけではない。この点についてしっかり理解しなければ、ジャパンディスプレイなど過去の国策半導体と同様、ラピダスも失敗に終わる可能性がある。
では、TSMCはほかの企業と比べてどこが優れているのだろうか。半導体分野は特殊とはいえ、基本的には民生分野であり、業績や技術力を決定付けるのは企業戦略にほかならない。TSMCが躍進したのは、同社の優れた企業戦略がすべてである。
TSMCが創業したのは1987年だが、当初は単なる半導体の製造下請け会社として事業をスタートさせた。筆者は約30年前、雑誌記者をしており、創業間もない同社の本社工場を取材した経験がある。当時TSMCはまったくの無名企業であり、半導体業界では単なる製造下請けのひとつとしか見なされていなかった。
吹けば飛ぶような小さな会社だが、20年先を見据えた大胆な経営戦略を描いていると聞き、話半分のつもりで取材に行ったというのが取材の経緯である。当時、日本人ジャーナリストでTSMCを訪れた人はほとんどおらず、日本の半導体業界の幹部に同社の話をしても、「技術力の低い下請けメーカーから話を聞いても何も得られないよ」と鼻で笑われた。筆者は創業当初のTSMCの様子を知る数少ない日本人の1人と言って良いだろう。
TSMCの本社工場は、台北郊外の新竹というエリアにあり、現在は新竹サイエンスパークという巨大な半導体産業集積地となっている。だが、筆者がTSMCを訪れた30年前は、ほとんど開発が進んでおらず、ポツンとTSMCの社屋が建っているだけの状態であった。新竹は米粉(ビーフン)が名産で、非常に風が強いことで知らる。とにかく殺風景な場所というのが筆者の第一印象であった。
創業当初から高い戦略性を持っていた
だが本社に入り、経営幹部から話を聞くとその印象はまったく違ったものとなった。単なる下請けとして大手メーカーから製造を受託しているだけの企業にもかかわらず、当時からTSMCは現在で言うところのファウンドリー事業の青写真をしっかりと描いており、それに向けて着々と準備を進めていく高い戦略性を持っていた。
では単純な下請けと製造そのものを戦略的に請け負うファンドリーの違いはどこから生じるのだろうか。
1つは半導体産業のパラダイムシフトである。当時の半導体産業は垂直統合の産業構造となっており、日本の半導体メーカーは絶頂を極めていた。だがパソコンの登場によって、コンピュータ業界とそれを支える半導体業界には確実にパラダイムシフトが忍び寄っており、水平分業の産業構造にシフトする可能性が指摘されていた。
重要なのは、あくまでも可能性が指摘されていただけであって、実際に目に見える形で業界が動いていたわけではないという点である。だが新興企業が巨大企業に成長するためにはゲームチェンジが不可欠であり、目に見える形で業界が動き出してからでは遅すぎるのだ。
同社創業者のモリス・チャン氏は、台湾当局からの説得で台湾に帰国して同社を創業しているので、たしかに政府が関与したという面があるのは事実である。しかし当時の台湾当局は、日本メーカーが行っている典型的な垂直統合の半導体企業をイメージしており、チャン氏のアイデアとは相反するものだった。
いつの時代も、そしてどの国でも、公務員というのは、すでに確立されたビジネスや技術しか認識できず、時代の先を行く戦略を描くことはできない。もし公務員にそうした起業家的なセンスや能力があるのなら、旧ソ連のような国家主導の社会主義的計画経済にすればうまくいくという話になってしまう。そうではないからこそ、資本主義の世界では起業家というプロフェッショナルが存在しているのだ。つまり政府が戦略を描くという段階ですでに大きなリスクを抱えているという現実についてまず認識する必要がある。
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