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  • 2018/03/29 掲載

猫とSNSの親和性が高いワケ、Twitterが「ねこだらけ」なのはなぜか

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猫の飼育頭数が激増したわけではないにもかかわらず、私たちが日常的に「猫」を見る機会は増え、猫に注意を払う時間は増えた。その背景にはSNSの普及がある。なぜ猫はソーシャルと親和性が高いのか、人が猫の写真を共有したくなるのはなぜか、その親和性の高さについて解き明かしてみたい。
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なぜ人は猫の写真を共有したくなるのだろうか
(© E-LEET – Fotolia)


猫の飼育頭数がとうとう犬の飼育頭数を上回った!?

 どうやら世の中は空前の猫ブームらしい。その証拠に、2017年はとうとう猫の飼育頭数が犬の飼育頭数を上回ったという。かくいう筆者も2016年に地元のNPOから一匹、2017年に獣医さんから一匹、保護猫の里親というかたちで仔猫を譲り受け、現在キジトラとクロネコの二匹を飼っている。

 なるほど自分だけでなく周囲にも猫を飼い始めたという知り合いが数人いるし、いずれ飼いたいという言葉もよく耳にするということを鑑みると、確かに猫ブームが到来しているような気がしなくもない。

 しかし、一般社団法人ペットフード協会が2017年12月にリリースした資料によれば、猫が2016年の飼育頭数903万9,000頭から2017年の952万6,000頭へと約2パーセント増加したのに対し、犬は2016年の飼育頭数935万6,000頭から2017年の892万頭へと約5パーセント減少している。

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平成29年(2017年)全国犬猫飼育実態調査
(出典:一般社団法人ペットフード協会 報道発表)


 この猫の飼育頭数がほぼ横ばいで推移、犬が暫時減少という傾向は過去5年の数字を見ても明らかで、昨今、猫を飼う人が劇的に増えたというよりは、犬の飼育頭数が年々確実に減少していると言ったほうがいいだろう。

 しかも、飼育世帯でいうと犬が721万7,000世帯であるのに対して猫は545万9,000世帯とかなり少なく、猫はひとつの世帯で多頭飼いされているという事実が浮かび上がってくる。

 そう考えると、各種メディアが世間に振りまいているイメージほどには猫ブームというわけでもないのである。

 にもかかわらず、これほどまでに猫ブームと騒がれるのはなぜなのか? それは単純に多くの人が猫を目にする機会が増え、猫に対して注意を向ける時間が増えたためであろう。

 はたして、それはどこでかと考えると、ほかでもない、Instagramに代表される写真の投稿サービス、そしてTwitterなどのSNSにおいてである(なぜここで動画投稿サービスを含めないかは後述する)。

 データを見る限り、実のところ、猫はとりたてて大ブームになっているわけではない。ブームいえばずっとブームだったのかもしれない。ただ、写真が気軽かつ手軽に共有されるという現在的な現象に、猫という動物が本来的に持っている「何か」が非常に適合していたということではないだろうか?

 事実、筆者自身もことあるごとに自宅の猫の写真をSNSにアップしていたりする。では、その、猫と写真との親和性とはいったい何なのだろうか。

文学者と猫――猫を500匹以上飼った大佛次郎

 有史以来、人類はさまざまな理由から野生の動物を家畜化しようと試みてきた。あるときは共同体の成員たちの腹を満たす食用として、あるときは祭祀のときに神に捧げるための生贄として、あるときは農作業などの役務に利用する動力源として、またあるときは、自らの心を癒したり慰めたりするための愛玩用としてである。

 しかし、やはりこれも幾多の理由から、人類が家畜化に成功した動物の種類は驚くほど少ない。あるものは性質があまりにも凶暴すぎ、あるものは育成にコストがかかりすぎ、あるものは繁殖があまりにも非効率すぎ、またあるものは人間の傍に常時置いておくには大型すぎた。結果として犬と猫が人間にとっての主な愛玩動物=ペットとなったわけである。

 しかし、同じ愛玩用の動物でも犬と猫とではその性質が大きく異なる。一般的に犬は飼い主に従順であり、猫は気まぐれであると言われる。先述した飼育世帯における犬の圧倒的優位を見ても、やはり、ペットとしてはあくまでも犬のほうがメジャーであり、猫は多頭飼いが多く「好きな人はとことん好き」という事情が見て取れる。

 そのため、文学などの分野においても犬を題材にした作品より猫を題材にした作品のほうが目立つ傾向がある。

 海外ではシャルル・ペローの『長靴をはいた猫』(河出文庫)やエドガー・アラン・ポーの『黒猫』(新潮文庫)、ポール・ギャリコの『ジェニィ』(新潮文庫)、ロバート・ハインラインの「夏への扉」(ハヤカワ文庫SF)など、猫が登場する作品は枚挙にいとまがないが、日本においてはまず何をおいても文豪・夏目漱石による『吾輩は猫である』だろう。

 とはいえ、漱石が無類の猫好きだったかというと実はそうでもなく、同作の有名な「名前はまだない」という記述の通り、モデルとなった猫にも名前すら付けられていなかった。

 夏目家には漱石の死去まで代々三匹の猫が飼われていたようだが(『吾輩は猫である』のモデルは初代猫である)、三匹とも名前を与えらえれておらず、三代目のクロネコに至っては鏡子夫人の不注意から踏み潰されて死んでいる。

 むしろ、漱石の弟子である寺田寅彦や内田百閒などのほうが極度の猫好きであり、二人とも猫にまつわる幾篇かの文章を残している。

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大佛次郎『猫のいる日々』(徳間書店刊)。本文中にて引用した『黙っている猫』のほか、小説と童話も併録されている
 漱石門弟の最古参のひとりである寺田寅彦は『子猫』というエッセイ(岩波文庫、『寺田寅彦随筆集第一巻所収』)の最後に「私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間にいだく事のできないのを残念に思う」とまで言っている。

 また、内田百閒が愛猫ノラの失踪にまつわる顛末を綴った『ノラや』(中公文庫)における異常なまでの悲しみようは周知の通りである。

 漱石門下ではないけれども『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』などで有名な作家の大佛次郎は生涯で500匹を超える猫を飼ったという(もちろんこの数字には習慣的にエサをやっていた野良猫たちも含まれている)。

 大佛は『黙っている猫』(徳間文庫、『猫のいる日々』所収)というエッセイの中で猫の魅力を以下のように語っている。

猫は冷淡で薄情だとされる。そう云われるのは、猫の性質が正直すぎるからなのだ。猫は決して自分の心に染まぬことをしない。そのために孤独になりながら強く自分を守っている。用がなければ媚びもせず、我儘に黙り込んでいる。それでいて、これだけ感覚的に美しくなる動物はいない。冷淡になればなるだけ美しいのである。(中略)こちらからも執(しつ)こくしないで、そっと放任して置いてやれば、猫はいよいよ猫らしく美しくなって、無言の愛着を飼い主に寄せて来るのである。多少なり、こうした沈黙の美しさが感じられるひとならば、猫を愛さぬわけはないと思うのである。


【次ページ】写真の中に共存する「ステゥディウム」と「ブンクトゥム」
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