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- 2015/11/26 掲載
マイクロマネジメントとは何か? 日本のマネージャーが陥る永遠の病

「マイクロマネジメント」がいつ、どこで生じるのか?
上司が部下に対して、細かいマネジメントをする「マイクロマネジメント」。そもそもなぜ、上司は部下に対して過度に干渉するマネジメントを行わねばならないのだろうか?不確実性に満ちた「現場」におけるマネジメントとは、成果を出すための過程を「誰かに委ねつつ、制御する」ということである。
これはつまり、「成果を出すことを約束させて、その達成状況を把握する」ということである。どんなアプローチをとろうとも関係なく、期日通りに指定した結果を出してくれれば、何の問題もない。結果が出れば、期待値を上げて次にはより大きな仕事を任せ、結果が出なければ、その後は期待値を下げ、権限の幅を縮小する。
こうした関係性は、企業間取引の場では当たり前に見られるものである。発注したものが期日通りに、十分な品質で納品されなかった場合に、二度とその相手と取引する必要はない。十分に時間をかけて良い取引相手を探しだすことができれば、その後は幸福な取引関係を築くことができる。
しかし、多くの日本の企業組織内で、そのような関係性は実現されることはない。なぜならば、マネージャにはその業務の熟練者が任命されるものが普通であり、結果責任だけでなく、育成・品質管理責任を持たされ、かつ人事権を持たないからだ。
日本のマネージャーは「自分も目標を背負わされて実務に忙殺され、メンバーと大きな給料の差があるわけでもなく、それでもなお結果責任に対するプレッシャーだけは背負わされている人々」だ。
彼らは成果に対する最終責任を負い、そのアプローチについても明確なビジョンを持っている。一方でメンバーはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、自分なりには真面目にやっていても、熟練者の目からすると頼りないことこの上ない。そこにあるのは、「さまざまなことをメンバーを任せたいにも関わらず、それができない」というストレスである。
そのような状況で「成果を出すことを約束させて、その結果に応じてその後の処遇を決定する」方式のマネジメントを実行しようものなら、往々にして結果は出ず、上からは「部下を育成する力なし」の烙印がおされ、下からは「丸投げ無責任上司」と非難され、散々な結果しか待っていない。
というわけで、日本のマネージャーは、「自分だったらこのようなアプローチをとる」という業務シナリオに完全に合わせる形で、部下のあらゆる行動を規制することになる。 これこそが、昨今の日本の企業社会で猛威を振るう新たなストレス、「マイクロマネジメント」が生まれるメカニズムといえる。
【次ページ】「マイクロマネジメント」の病から逃れる唯一の方法
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