『情報社会と共同規制』著者 生貝直人氏インタビュー
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『情報社会と共同規制』(勁草書房)では、日本、アメリカ、EUのインターネット政策の制度を比較検討して論じ、増田雅史弁護士との共著『デジタルコンテンツ法制』(朝日新聞出版)においては、デジタルコンテンツビジネスのインフラとなる法制度の変化を追った、社会情報学の俊英・生貝直人氏。情報社会のビジネスには欠かせないルールについて、周到に論じた2冊を中心に、その研究についてお話を伺った。
イノベーションのためには、政府の規制は少ない方がいいのか?
──ご著書『情報社会と共同規制』では、インターネットで起こる多くの問題に対して、政府と業界団体やプラットフォームを担う企業サイドという公私の力によって行う「共同規制」について論じられています。なぜこのような観点から研究を行おうとなさったのでしょうか?
『情報社会と共同規制』
生貝直人氏(以下、生貝氏)■インターネット上ではプライバシーや著作権の保護、あるいは暴力や性表現などの情報からいかに青少年を守るかといった多くの政策問題が論じられていますが、これらの議論の根底に常に存在するのは、情報社会を規律するルールを国家(政府)の側が作るのか、あるいは市場や企業の側が自律的に問題を解決していくのかという、伝統的な公と私の二項対立図式であると言えます。
『情報社会と共同規制』は、規制という問題を取り扱っていることもあり、一見すると法律学の本に見えるかもしれないのですが、実は私自身、学部時代はインターネット・ビジネスの経営学を中心に勉強していて、大学の非常勤講師としても数年来、経済学を教えたりしていた関係から、どちらかというとインターネットの法制度よりも、新しいサービスやイノベーション、市場競争のあり方などに興味が強い人間でした。
そのようなこともあり、本書を書き始めた当時は、インターネット上のルール形成をできる限り市場や企業の側で進めていくことができないか、つまり「自主規制(self-regulation)」によっていろいろな問題を解決していくことができないか、という問題意識が念頭にありました。インターネットの自由、そしてイノベーションを進めていくためには、政府の規制は少ない方がいいというのが一般的な考え方だと思います。さらに国境のないグローバルなインターネットの上では、従来の一国政府が規制できること自体が限られてくるという現実的な問題もあります。
しかし一方で、完全に自主規制に任せてしまうことにもやはり問題があります。しっかりとしたルールが作られないかもしれない、作られても守られないかもしれない。あるいは既存の巨大企業が作ったルールによって、イノベーションの源泉となる若いベンチャー企業が排除されてしまうかもしれない。こうした自主規制の持つリスクや不完全性を政府の側が補完し、柔軟性や当事者の知識といった自主規制のメリットを最大限に生かしつつも、安定的なルール形成を進めていこうというのが、本書の主題となる共同規制(co-regulation)の考え方です。
インターネット上で生じるさまざまな問題は、政府による直接的な規制だけでも、あるいは企業による自主規制だけでも解決できない問題が大部分です。このような古典的な公か私かの二項対立の難しさを背景として、共同規制という手法は、『情報社会と共同規制』の中で詳しく取り上げたように、EU・米国を中心として非常に広く用いられるようになってきています。
しかし日本では、つい最近に至るまでそのような公私連携的なインターネット上の秩序形成のあり方自体が、学問的にも、あるいは実務的にも真剣に取り上げられることはあまりありませんでした。そうした状況に対し、現在情報社会で生じているさまざまな問題を俯瞰的に捉えられる新しい視点、メタなルール形成概念を導入できないかと考えたのが、本書を書いたきっかけとなります。
──『情報社会と共同規制』では、日本、アメリカ、そしてEUの情報政策を主に比較しつつ、SNSやライフログ、動画共有サービスといった幅広いサービスの問題を取り扱っています。共同規制という考え方がとくに重要になると考えられるのは、具体的にはどのような場面なのでしょうか。
生貝氏■とくに第5章で取り上げた、近年日本でも大きな関心を集めるネット上のプライバシーの問題が典型的だと言えます。ネット社会のプライバシーのあり方というのは、その問題の捉え方そのものについて、いまだ広範な社会的コンセンサスが存在していない状況にあります。スマートフォンやライフログ、ビッグデータといった私たちのプライバシーに影響を与える技術革新は日進月歩ですし、何よりプライバシーの概念自体、私たち1人ひとりによっても異なります。だからこそ、まずは企業や市場の自律的なルール形成を促しつつも、政府が一定の監視と介入を行うという共同規制の手法が不可欠となるわけですが、それを支える各国の法制度は、現在世界的に大きな2つの流れに分かれようとしています。
EUでは現在、1995年に作られた「データ保護指令」を全面的に改正し、違反企業への罰則の強化や、さらにはネット上に拡散した個人情報を全体的に消去する権利を消費者に認める「忘れられる権利」の導入をはじめとする、政府主導の、非常に強い直接規制を重視した法制度を構築するための議論が進められています。一方で米国では、2012年に入ってからオバマ大統領から「プライバシーの権利章典」という文書が出され話題を呼びましたが、その内容は、インターネットの自由な発展とイノベーションを重視する観点から、ネット上のプライバシー保護は極力企業による自主規制を重視していくという内容です。
とはいえネット上のプライバシーという同じ問題を扱うにあたって、政府主導と市場主導、どちらか両極端のいずれかが正しいということはありません。EUにおいては、一見非常に強い規制の中にも企業による自主的なルール形成を促す領域を設けたり、逆に米国では、自主規制に対する政府の監視や強制力の付与が継続的に進められるなど、消費者保護とイノベーションを両立するにあたり、実質的にはさほど変わりない公私の共同規制が構築されつつあります。
我が国としても、今後諸外国の動向を見極めつつ、グローバルな情報社会に対応したプライバシー保護の取組を進めていかなければならない中で、その公私の協力関係という側面に焦点を当てなければ、本当に機能する制度枠組みを構築することはできないと言えると思います。
『デジタルコンテンツ法制』
──また、生貝さんは『デジタルコンテンツ法制』において、これまでの10年の変化、そして今後生じるであろう動向についても論じられています。とくにこの10年の変化で大きかった点はどういった点とお考えでしょうか?
生貝氏■非常にいろいろな変化があったと思いますが、ざっくりと言ってしまえば、「デジタルコンテンツ法制」に関わる政策議論における「著作権」の比重が、だんだんと相対的に少なくなってきたということが言えると思います。2000年代の前半まではで、デジタルコンテンツに関わる法制度の議論はほとんど著作権の問題に終止してきたと言えます。
インターネットという広大なフロンティアが突如出現し、そこでさまざまなビジネスが行われるようになる中で、まずは最も基本的な法制度である財産権の保護が焦点になったことは自然な流れであったと思います。
しかしそうした著作権に関する論争も、「より強い保護」を求める権利者のサイドと、「より自由な利用を求めるネット企業・利用者」という綱引きの間で一定の膠着状態に入りつつあります。さらにインターネットが私たちの生活の基本的インフラとしての地位を確立してくる中で、人間社会の歴史の中でも、表現の自由やプライバシーといった「高級な」権利が比較的後になって論じられるようになってきたことと同様に、財産権以外の人々の権利をいかに保護し、そしてどのような場合に制限する必要があるのかという問題に徐々に焦点が移り始めていると言えます。
──デジタルコンテンツまわりの法制度については、今後の10年で起き得る変化として、どのような方向を想定されていらっしゃいますか?
生貝氏■ここでもやはり、市場や私企業による自律的なルール形成の重要性というものが拡大してくると考えています。『情報社会と共同規制』では第6章で論じましたが、近年のインターネット上の著作権侵害への対策に関わる議論では、著作権侵害を行った無数の個人を追跡して訴訟するというよりも、動画共有サイトのようなCGMサイト、あるいはインターネット接続を提供するISPのレベルで著作権コンテンツを特定し、削除を行うためのブロッキング技術の導入というところに焦点が当たり始めています。
このような対応は法制度によって義務付けられる場合もありますが、その技術的詳細や、あるいは運用の基準といったところは、実際にはかなりの程度ネット企業の側、あるいは著作権者団体とネット企業などの私的な交渉に委ねられている部分があります。
さらに近年大きな問題となりつつあるスマートフォン上のアプリケーションにおけるプライバシーの問題についても、個別の開発者やアプリケーションそのものを政府の側が監視することは限界があるため、アプリケーションを集中的に取り扱うアプリストアの側で、プライバシー保護水準の強固な事前チェックを義務付けようとする議論もあります。このようなある種の「規制の民営化」、あるいは「法執行の民間委託」とも言うべき動きは、情報社会では不可避であるものの、そこで生じる新たなリスクへの対応も視野に入れた制度設計を行わなければなりません。
いずれにせよ、インターネットの技術革新が続く限り、政府の作る法律は、絶対にそれに追いつくことができません。そのような中で、技術革新を先導する企業と、その適切性を担保する各国政府がどのような協力関係を結び、新しいルール形成のあり方を確立していくのかを考える必要があるのだと思います。
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