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Twitter人間関係の価値は
――ネットを通じて交友関係を増やしたい場合は、どういう手段が有効ですかね?
加野瀬氏■例えば同じ趣味の友達が欲しいとか、ある目的があってそれに関する人脈を増やしたいといった具体性があれば、Twitterはかなり有効に使えると思います。そういう具体性がなくてただ漠然と仲間を増やしたい、人と知り合いたいと考えている人にTwitterは勧められないですね。これはTwitterに限った話ではなく、ネットって「こういう目的があって情報を発信したい」、「こういう目的があってこういう人たちと仲良くなりたい」という風に具体的な目的があってツールを使う場合には、ある程度効果は期待できると思うんですけど、なんとなく使ってるだけで「Twitterを使って成功した!」とか「Twitterのおかげで彼女ができた!」なんてことはないわけで。
――「彼女を作る」が目的でナンパツールとしてTwitterを活用するならまだしも、ただ漠然とTwitterやっていても彼女はできないと。
加野瀬氏■まぁ、彼女が欲しいのだったらTwitterより女性ユーザーが圧倒的に多いmixiの方がいいと思います(笑)。Twitterは確かにすごく交友関係を拡げられるけど、自分の管理できる交友関係には限界がありますから、拡げた結果を自分が管理したり、把握できるレベルなのかは考えた方がいいです。今の交友関係で満足してるという人は、Twitterに限らず、ネットで交友関係を拡げなくてもいいと思うんですよね。今の交友関係で「こういう話がしたいのに、周りにそういう話ができる人がいない」という不満があるなら、ネットで話が合う人たちを探して、話題を共有するのは楽しいと思います。
――Twitterをやること自体が目的だったら、別にたいした収穫はないんですかね。
加野瀬氏■例えばTwitter関連のイベントに顔を出したりすれば、知り合いが増えたり、よりTwitter上でも密度の高いコミュニケーションを取ることができるとかはあると思うけど、ただTwitter上でやり取りしているだけだったら変化は起こらないんじゃないですかね。朝起きて「おはよう」、寝る前に「おやすみ」とかつぶやいていても普通は何にも起きないですよ。そういうつぶやきもTwitter上の人間関係を維持するための役には立つかもしれないけど、本当にそれだけが目的になってしまってる人もいる。あいさつを「しなきゃいけない」と思うあまり、Twitter疲れになる人もいますが、疲れの原因になるのなら、あいさつはやめちゃったほうがいいでしょう。Twitter上の人間関係といっても、それがどれだけの深さの関係なのか一度考えてみた方がいいですよね。
例えばあいさつだけする関係だったら年賀状をやり取りしてるだけの相手と変わらないわけだし、あいさつを返してるから返してくれているだけっていうのは、毎日近所の人にあいさつするとか、会社に行って守衛さんにあいさつしてるのとかと変わらないレベルだと思う。そういうあいさつする関係にホッとするっていう気持ちはもちろんわかるんですけど、それを極端に重要視して時間を費やすっていうのは少し考えた方がいいと思います。その関係を維持するためにネットにどれだけ時間を費やして、自分にどんな利点があるのかっていうのは、冷静になって考えた方がいい。
利点というといやらしいように聞こえるかもしれませんが、冷静になるための材料として、利点はわかりやすいんです。ネットにすごい時間を取られてる人って多いですからね。その時間に見合う情報や自分にとっての利点があればいいけど、実際は浅い人間関係を維持しているだけだったら、時間がもったいないです……。ネットって時間は使うけどお金は使わないから、無駄を自覚しにくいんですよ。現在のネットでのコミュニケーションは文字主体ですが、文字でのコミュニケーションは会話よりも情報量が少なくて、時間面でのコストが非常に高いということは強く意識しておきたいです。会話だったら、5分で済むことが、30分ぐらいかかったりしますから、電話をかけられる相手なら、積極的に電話を使ったほうがいいと思いますね。
――Twitterの場合、自分も書くという能動性があるから、ネットやテレビを長時間ボーッと観てるのに比べるとムダな時間を過ごしてるという感覚は起こりにくいでしょうね。
加野瀬氏■それはすごくあると思います。ネットを受動的に見てる分には「何もしてない、ヤバい!」ってムダを自覚しやすいんでしょうけど、Twitterって自分も動くから何かやってる気になっちゃって、ムダを自覚しにくい。Twitterでコメントしてるだけで充実してる気持ちになっちゃうっていうのは罠だと思いますね。
――人から反応があるという喜びに中毒になりやすいんじゃないかというのも感じます。
加野瀬氏■そうですね。淋しい人ほどそういう風にハマっちゃいますよね。mixiでも日記を書いたら、コメントがつくのを待ってずーっと見ちゃったりする人がいますし。今、ネットのコミュニケーションってすごくいいことみたいに言われてますけど、僕はそこまでいいことじゃないと思うんですよね。もちろん、ネットで濃い人間関係を作ることはできますが、気軽に繋がることができる分、気軽に離れてしまうことができてしまうんですから、大半は薄い人間関係でしかないことが多いです。
――別にネット上でのコミュニケーションが特別なわけじゃないと?
加野瀬氏■そう思うんですけど、たまに「ネットの方が本当の自分を出してるから、ネットで知り合った人の方が大事」って思ってしまっている人がいるんじゃないですかねえ。自分の悩みとかを書いたブログに「あなたは悪くないよ」とコメントしてくれる人がいたら、そういう人を大事に思ってしまう。でも、コメントしてる人は実際に現実のあなたを見て、そう言ってるわけじゃないですよね。ネットでの交友しかないのに、やたらと肯定してくる人には気をつけた方がいいですよ。たいしてその人のことを知らないのに、本人が書いた一方的な情報だけで、なんでいきなり肯定できるのかって、ちょっとおかしいでしょ。
例えばケンカした両方の言い分を知ってて、自分や相手の普段の人柄を知ってる人が『あなたは悪くない』って言ってくれるなら信頼できるけど、そうじゃないのに肯定されるのは、自分に気持ちいい言葉を言われてるだけ。その気持ち良さに溺れやすいっていうのはネットの人間関係の怖さの一つだと思います。浅い人間関係だからこそ簡単に肯定的なことが言えてるだけのことを、重要な人間関係だと勘違いしちゃう可能性が高い。
――悪口を言われた時のことを考えるとわかりやすいですよね。ネット上で見知らぬ相手に自分の悪口を言われた時は「この人私のこと全然知らないのに、なんでこんなこと言えるんだろう?」って思いますけど、それの肯定バージョンというか「私のこと全然知らないのに、なんでこんなに肯定的になれるんだろう?」という疑問を持った方がいいということですね。
加野瀬氏■その通りです。よく知らないのに罵倒したり絶賛したり、激しい感情表現をする人は疑うべきというか、それは信頼できる表現ではないと思う。それって現実でされるとすごく戸惑うことだと思うんですよ。初対面なのにいきなり罵倒されたり絶賛されたりしたら誰だって「おかしい」と感じますよね。でもネット上では「ここには私の本当の気持ちを書いてる、これが本当の私だ」っていう気持ちがあるから戸惑わずに受け入れてしまう。だから、罵倒されたらすごく傷ついてしまうし、絶賛されるとすごく喜んでしまう。結局自分の中に「ネット上で表現してる自分が本当の自分だ」という大きな誤解があるから、ネットでの評価をすごい気にしてしまうんですよ。ネット上の自分っていうのはあくまでも自分の中の一部分を切り出して見せているだけなのに。今現実に誰かと話したり生活したりしている自分も「本当の自分」だし、「ネット上の自分が本当の自分」っていうけど、ネット上の自分はあくまでも「他人にこう見えてほしい自分」なんですよ。
――ネット上の自分はあくまでも自分が意識している自分ですからね。
加野瀬氏■ネットで公開してる部分って、みんなある種ネット上のペルソナ(仮面)を作ってるんだと思うんです。僕の場合は「加野瀬未友」っていうペルソナを持ってる。ネット上での公開の場での発言と非公開の場での発言は、発言しているペルソナが違うわけだから違ってて当然だと思うんです。
今Twitterもそうですけど、なんでも公開する方向に向かってるのを感じますね。メールは非公開、ブログは公開、という風に、公開と非公開のツールやペルソナを本来みんな使い分けてたはずなのに、Twitterの出現によって「全部公開の場でやっちゃおうよ」という風潮がある。それこそ原稿の催促とかまでTwitterでやっちゃおう、みたいな話が出てますけど、それはちょっとおかしいんじゃないかと思います。メールやメッセンジャーなどの非公開の場だから言えることや、相手との信頼関係がある上でなら話せるということもあるし、ブログの文章の文体は刺々しい感じなのにメールではすごく柔らかい印象の人もいたりする。そういった違いを無視して、公開の場のペルソナだけに統一してコミュニケーションを取ろうっていうのはちょっとムリがあるんじゃないかと。
――なぜそういう「公開の場でやり取りした方が良い」という風潮になったんでしょうか?
加野瀬氏■「すべてを公開の場でやり取りした方がいい」というのは結局、フラットであることが良いことだという価値観に基づいたものだと思います。ネットは確かにフラットなんですけど、それは各人にとって機会がフラットなだけであって、実際にはネット上での注目度や発言力、影響力には差がありますよね。ネットで有名な人と無名な人が意見を交わすこともできるから、そういう意味ではフラットですけど、注目度は均等ではない。その差をいけないもののように言うことは、結局「自分はどうして有名でなかったり、注目されないんだ!」って言ってるのと同じことだと思うんです。ネット上の知名度や信頼度って、その人の活動の蓄積によって生まれているものですから、そういう蓄積が何もない人が、知名度のある人といきなり同じ場に立てるわけではない。
Twitterで注目を浴びやすい発言ってありますけど、そういう発言ばかりして一時的には話題を集めて有名人気分を味わっても、それが自分にとって何かの積み重ねになるかというと、ならないと思います。ウケ狙いの発言で人とのつながりが一瞬生まれた感じにはなるかもしれないけど、その後の深い関係にはつながらないでしょうね。飲み屋でみんなで飲んでいて、その場ではワーッてウケるんだけど、その後で「君、面白いから仕事頼みたいんだけど」って言われることはほぼないに近い。それよりは地道にやってる方が人からちゃんと信頼されるんじゃないですかね。狭い空間でウケやすい発言っていうのは常にあるわけで、そういうことを言って持ち上げられて自分がいいこと言った気分になっちゃうのは危ないですよね。ウケ狙いだと自覚して遊びでやってるんだったらいいですけど、そこに実存をかけるなって感じですね。
――はてなブックマークのような他人からの評価が見えてしまうものに振り回されないほうがいいということですかね。
加野瀬氏■そうそう、はてなブックマークに一喜一憂しちゃう人っていると思うんですよ。ネットは個人がどれだけ注目を集めているかっていうことが簡単に可視化されちゃうから、それを気にする人が増えてる。マイミクが減ったとか、フォロワーが何人減ったとかもそうですけど、ネットはサイトのアクセス数やRSSリーダーの登録数、Twitterのフォロワー、ブックマークしているユーザー数など、さまざまな注目の度合いが数字で出てきますけど、自分の存在価値みたいなものをあまりそこに重ねない方がいいと思いますよ。