- 会員限定
- 2023/11/10 掲載
堀江貴文「ChatGPT禁止は人権侵害」の真意、茂木健一郎と語るこれからの「人間の価値」
堀江氏が「ChatGPT禁止は人権侵害」とまで言うワケ
私に言わせれば、なぜこんなに便利なテクノロジーを積極的に利用しないのか理解できない。ChatGPTを禁止にするのは、基本的人権の侵害だとすら思う。誰がどう見ても、ChatGPTを使ったほうが有利なのは明白だろう。「ChatGPTを使うと、自分の頭で考える力が養われない」と言う人は、「自動車を使うと運動しなくなるので、足が退化する」と言っているのと変わらない。
ChatGPTが登場する以前にも、時代ごとに教育の中身は変化してきた。
たとえば、私たちの時代にはそろばんの授業があったが、今後はどうだろう。
いまやChatGPTは、計算をするだけでなく、どんな条件で何の答えが知りたいのかを入力すれば、そこに必要な数式さえ作って、答えを出してくれる。もはや計算機すら不必要になりつつある。あるいは習字の授業。アートとしては何らかの意味があるのかもしれないが、今の時代はタイピングや音声入力が当たり前なので、実用性は極めて低い。
「東大理Ⅲ」の価値にこだわる人に欠けている視点
受験勉強で試されるような知識はすでに人間がAIにかなわなくなっている。だから、受験で東大理Ⅲを目指すのも、自動車と人間が陸上競技でタイムを争っているのと本質的には変わらない。いわば「受験」という競技を行っているにすぎないのだと思う。
そもそも「価値」は時代によって変わるものだ。
ゴルフを例にとってもう少しわかりやすく説明してみよう。ゴルフのクラブには以前まで、パーシモンと呼ばれる柿の木の素材が使用されていた。現在ではご存じのように、チタン製に素材が変わり、パーシモンのクラブを見ること自体がなくなった。ある時期までパーシモンを使ったクラブにはアンティークとしての価値が認められていたが、チタンドライバーが全盛となった現在は単なるゴミになってしまった。
以前は価値があったとしても、時が経てば、その価値が変わることがある。私にとって、東大理Ⅲの話も、同じことだ。 【次ページ】茂木健一郎が語る、これからの「人間の付加価値」
関連コンテンツ
関連コンテンツ
PR
PR
PR