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- 2023/09/26 掲載
なぜオリエンタルランド創業者は東京ディズニーランドを作れた?23年かけた桁違いの奮闘録
連載:企業立志伝
埋め立て工事のために生まれた「オリエンタルランド」
東京ディズニーリゾートのある千葉県浦安市は、かつては貝や海苔で知られた漁師町でした。そんな交通の便も悪い漁師町を一変させたのが、浦安海岸を大規模に埋め立てて造成する事業計画です。埋め立て地には公害などの関係で工場を誘致することはできず、住宅や遊園地などの施設を建てたいというのが自治体の考えでした。
そして、埋め立て工事に取り組むために、三井不動産、京成電鉄、朝日土地興行(後に三井不動産が吸収合併)の3社が出資して設立されたのがオリエンタルランドです。
埋め立てにしか興味がない男とディズニーランドに惚れた男
埋め立て工事のためには地元の漁協や漁民の説得が必要になります。その交渉には酒を飲みながら話を聞き、人としての信頼関係を築くことのできる度胸と行動力のある人物が不可欠です。そのために選ばれたのが、後にオリエンタルランドのトップとして米ディズニーとの交渉をはじめ、東京ディズニーランドの実現に剛腕を振るうことになる高橋政知(まさとも)氏です。高橋氏は、当時の三井不動産社長である江戸英雄氏たっての頼みでオリエンタルランドに入社しますが、関心があったのは埋め立ての仕事だけで、当初はディズニーランドには何の関心もありませんでした。
ディズニーランドに強い関心を持っていたのは、当時京成電鉄の社長を務めていた川崎千春氏です。1958年に仕事で渡米した際に立ち寄ったディズニーランドに魅せられます。
初めて見たディズニーランドのスケールは圧倒的で、園内にゴミ1つない、「本当にお客に気持ちよく楽しんでもらおうとするサービス精神」(『夢の王国の光と影』p36)の徹底ぶりに感激し、川崎氏は「こんな世界を日本の子どもたちにも見せてやりたい」と思うようになります。
1955年、カリフォルニア州に初めてのディズニーランドがオープンした日、ウォルト・ディズニー氏がスタッフに話しかけた「ちょっと見てごらんよ。こんなにたくさんのうれしそうな顔を今まで見たことがあるかい?こんな大勢の人間が楽しんでるところをさ」(『ウォルト・ディズニー』p287)という言葉が残っていますが、川崎氏もそれを日本で実現したいと考えたのです。
1961年、川崎氏は米国のディズニー本社を訪問。ディズニーランドの日本への誘致を願い出ようとしますが、ディズニー本社が関心を示すことなく、幹部の1人と会えただけで何の進展もありませんでした。
理由の1つは「日本人なんか信用できない」(『夢の王国の光と影』p36)というものでした。実はその少し前、ある日本企業がディズニーランドとよく似た施設を勝手に建設する出来事があり、著作権への理解も敬意もない日本人への強い不信感があったのです。
それでも川崎氏の夢は消えることはなく、オリエンタルランドで埋め立て交渉を進める高橋氏にディズニーランドのスライドを見せながら次のように語っていました。
「おれは将来これをやりたいのだ。そのために埋め立てをするんだ」(『夢の王国の光と影』p33)【次ページ】本来なら数年がかり…たった10カ月でまとめた高橋流の交渉術
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