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- 2023/08/11 掲載
知られざるピクサー誕生物語、「ディズニーになれない」挫折した天才がたどり着いた選択
連載:企業立志伝
幼少期の夢は「ディズニーのアニメーター」
エド・キャットマル氏は1945年、米ウェストバージニア州で生まれています。モルモン教徒の開拓者の家に生まれた父アール・キャットマル氏は11歳で学校に通い始め、自ら学費を稼ぎながら家族で初めて大学を卒業、学校では数学を教えていただけに、キャットマル氏をはじめ兄弟全員が父親からの「一生懸命勉強して大学に行ってほしい」という期待を感じていたようです。キャットマル氏の幼い頃の夢は「ディズニーのアニメーター」になることでした。ディズニーのアニメが大好きで、自分でもパラパラ漫画を作っていましたが、やがて「自分には絵がうまく描けない」と思い、夢を諦めます。
そしてウォルト・ディズニー氏と並んで、もう1人の憧れの人物だったアルベルト・アインシュタイン氏のような科学者になろうと決意し、米ユタ大学に進学します。
大学に進学したキャットマル氏は、モルモン教徒として2年間の伝道経験を積むために大学生活を一時中断しますが、その中断がキャットマル氏に再び夢への挑戦を可能にします。
絵がうまく描けないならコンピューターを使って描けばいい
大学に戻ったちょうどその頃、コンピューター・サイエンス学部が開設され、キャットマル氏はその第1期生となります。1969年にコンピューター・サイエンスと物理学の学位を取得して卒業したキャットマル氏は、航空機メーカーのボーイングに就職しますが、ほどなくして同社が数千人の社員を解雇、キャットマル氏も職を失います。
大学院に入学したキャットマル氏は子ども時代の夢を思い出します。「コンピューター・グラフィックスを使えば、アニメーションの長編映画が作れるのではないか」と考えたのです。
今でこそコンピューターはあらゆる画像や映像を作り出すことができますが、当時のコンピューターはようやく静止画像を作れるようになったところでした。しかし、キャットマル氏は次のように当時を振り返っています。
「私は新たな目標を持った。それは鉛筆ではなく、コンピューターを使ってアニメーションを作る道を開くこと、そして映画に使えるくらい美しく、説得力のある映像を作ること。もしかしたら、これでようやく自分もアニメーターになれるかもしれない」(『ピクサー流創造する力』p33)【次ページ】初のアニメーション制作、訪れたディズニーで働くチャンス
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