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- 2022/05/13 掲載
【独占】樋口真嗣監督に聞く、庵野秀明氏とシン・ウルトラマンで目指す「断絶の解消」
ウルトラマンをきっかけに出会った「庵野秀明」
庵野さんは学生時代に自ら演じたウルトラマンの自主制作の8ミリ映画『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(1983年)の監督をし、全国各地の自主映画上映会で上映していました。僕は制作には関わっていませんが、東京でも上映会をするという話を聞きつけ、その時にお客さんの1人として見に行き、庵野さんと初めて出会いました。それから長い月日が流れ、2人で『シン・ウルトラマン』の制作に携わることになりました。もちろん、純粋にうれしい気持ちはありますが、僕らがやらせていただける時期になったのかという感慨深い思いが強いです。
もし自分たちがもっと前にウルトラマンの映画をつくりたいと言ったとしても、おそらく今回のような規模でつくらせてもらえないので、実現しなかったと思います。
前回、2人で『シン・ゴジラ』(2016年)を制作しましたが、自分たちが年齢とキャリアを重ね、円谷プロダクションさんから「じゃあ、やってみましょう」と言っていただけるだけの機が熟したということだと思います。
『シン・ウルトラマン』では庵野さんが企画・脚本・総監修、僕が監督として制作現場を担当しました。庵野さんはウルトラマンを始めとするキャラクターやメカなどのデザインコンセプトなどはこうしたいというビジョンがあるので、彼のアイデアを取り入れる形で制作を進めていました。
庵野さんのほうが僕よりも5年も早く生まれていますし、初代ウルトラマンの本放送(1966年7月から1967年4月までTBS系列で放送)をリアルタイムで見て、それが記憶に刷り込まれています。ウルトラマンに対する愛情は深いし、ウルトラマンについてもより深く理解していますから、そこは正直、追いつけない部分があります。
僕は世代的には『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月から1972年3月にTBS系で放送)なので、庵野さんのウルトラマンに対する愛の深さを素直に映画に取り入れています。
初代版と現代人の“断絶”を解消することが自分の役割
ただ、当時のウルトラマンをそのまま見せても、今を生きている子どもたちや、初見の人たちにとっては、初代ウルトラマンは過去の物語なんです。僕らが子どもの頃に見ていた時は未来の話でしたが、現代は初代の舞台となった未来を追い越してしまっています。たとえば情報の伝わり方にしても、初代では科学特捜隊のバッジのアンテナを伸ばすと通話ができるのですが、今はそれを超えるガジェットが現実社会に浸透しています。初代は昭和の人たちが創作した未来の話になっていて、そこで現代との間にどうしても断絶が生まれてしまう。それは『シン・ゴジラ』をつくった時にも同じように感じました。
僕たちは初めてウルトラマンをテレビで見た時にとても影響を受けました。しかし、今の人たちにも同じような気持ちになってほしいと思っても、なかなかうまくいきません。そういうもどかしい気持ちがずっとあって、それを解決するためには今の人たちの感覚に合うようにつくるのが一番良かったのかなと、最近感じています。
【次ページ】最新技術も使って試行錯誤した結果、たどり着いた表現
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