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2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した東京工業大学 名誉教授 大隅 良典氏は先ごろ、大隅基礎科学創成財団を設立した。財団設立記念セミナーで「50年の研究生活から想う基礎科学研究」をテーマに講演した大隅氏は、基礎科学の重要性を訴えると同時に、日本の基礎科学を取り巻く深刻な状況に対して危機感を募らせた。
中国やドイツの後塵を拝する日本の自然科学研究
2000年代以降、ノーベル賞ラッシュに沸く日本。物理学、化学、医学生理学といった基礎科学分野を中心に、25名の研究者がノーベル賞を受賞している。まだ受賞に近い研究者も日本には多く存在し、彼らが今後ノーベル賞を受賞できる可能性があるという期待も膨らむ。
その一方で、日本の科学技術力の低下を憂慮し、将来を不安視する声も強い。
たとえば、国内の大学などが発表した自然科学系の論文数は、10年前からほぼ横ばい状態だが、この数年間で中国やドイツに抜かれ、世界4位に転落している。アジア圏で見ても、中国の論文数が10年前と比べて4倍に、韓国やインドも2倍以上に伸ばしている。
大隅氏らが今回の「一般財団法人 大隅基礎科学創成財団」を設立したのも、そうした懸念が背景にある。大隅氏は、日本の科学を取り巻く深刻な状況を憂い、「研究者の立場から研究支援と環境整備の活動を進める第一歩を踏み出したい」として、自らノーベル賞などの賞金1億円を拠出することで基礎研究への助成を始めた。
講演で大隅氏は「科学とは人類が歴史の中で営々と築いてきた活動そのものです。『自然の理解や生命とは何か?』という知的な欲求にドライブされてきた。そういう点で科学は文化の1つです。科学は発見であり、技術は発明です。基礎科学は技術のための基礎ではないが、技術進歩は科学の発見に依存し、また科学は技術進歩によって支えられます。このように非常にケミカルな関係にあるのです」との見解を示した。
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「人が興味のないことをやる」発想で道を究める
講演で大隅氏は、自身が歩んできた50年間の研究生活について振り返った。
大隅氏は、1945年の終戦に福岡市で産声を上げた。戦後の貧しい時代に栄養失調にもなったが、大自然に囲まれて育ったことが後の人生に大きな影響を与えたという。1963年に化学者を目指し、東京大学に入学した。将来は分子生物学を研究したいと考え、現在の研究領域に入ったそうだ。
大学院などを経て、1974年に米国ロックフェラー大学で研究員となった。このときノーベル賞を受賞する契機となる「酵母」と出会うことになる。その後、再び日本に戻って母校で教鞭をとることになり、助教授の43歳のときに、酵母オートファジーを発見する。酵母オートファジーとは、細胞が自身のタンパク質を小胞として「リソソーム」(加水分解酵素を含む細胞小器官)と融合して分解する現象を指す。
大隅氏は当時を振り返り、「酵母は醸造やパンなど、人類が長い間つきあってきた有用微生物。同時に我々の体の真核細胞のモデルとして、最も多くの情報を持ち、解析が進んだ生物という側面もあります。東大に戻ったとき、酵母を使ってどんな研究をしてもよいと言われましたが、重い課題でもあった」と回想した。
その際、人と競争することが好きではなかった大隅氏は、人が興味のないことをやろうとした。そこで植物細胞の「液胞」(Vacuole)の生理機能の解析に挑戦することにしたという。当時、液胞は「ゴミ溜」と認識されていたが、なぜ細胞の90%を占めるような大きな空間があり、それが早く成長するのか、その理由はわかっていなかった。
「私は『知ること』と『理解すること』は違うと考えています。液胞を理解することで、タケノコが1日に1メートルも成長するといった植物の謎に迫れると思ったのです。東大理学部で液胞がアミノ酸やイオンの貯蔵庫であることや、水素イオンを運んで酸性化させる大事な機構を有することなどを発見しました。液胞は多くの酵素を持っています。そこで思い切って“液胞は細胞内の分解機能を担っているのか?”という研究テーマに変えました」(大隅氏)
オートファジー機能解明までの長い道のり
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