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- 2016/08/30 掲載
いまさらこっそり確認したい「EUが発足した理由」
有名予備校人気講師、茂木 誠氏が解説する「世界」
争いはいつも「境目」から
「これまでの世界を振り返ってみると、主な紛争は、異なる文明圏の『境目』で起きてきた」そう論じたのが、アメリカの国際政治学者サミュエル・P・ハンティントンの『文明の衝突』という名著です。
たとえば、欧米の「キリスト教文明」とアラブの「イスラム文明」が接する境目で紛争が起きてきました。古くは十字軍にさかのぼり、現代の湾岸戦争やイラク戦争も、まさにキリスト教文明とイスラム文明の対決のように見えます。
また、隣国同士であるインドとパキスタンは3度にわたる印パ戦争を繰り返し、現在も対立していますが、これは「イスラム文明」と「インド(ヒンドゥー)文明」のぶつかり合いによるものです。あるいは、中国が抱える新疆ウイグル自治区の民族問題も、「中華(中国)文明」と「イスラム文明」という異なる文化圏のぶつかり合いが背景にあります。
「ヨーロッパ」は、いつ生まれたのか?
ヨーロッパが生まれたのは、古代ローマ帝国が崩壊したあとです。ローマ帝国の領土は広大でした。イタリアを中心として、東はトルコとシリアなど中東諸国、南は地中海に面した北アフリカ諸国、北はアルプス山脈を越えてカエサル(シーザー)が遠征を行い、フランスとイギリス南部にまで勢力を拡大しました。西ヨーロッパと北アフリカの全域を支配下に置いたのです。
そのためヨーロッパ人もいれば、北アフリカの人もいる、という大変な多民族国家でした。また、ローマ帝国時代の宗教は多宗教だったので、特定の宗教を押しつけることもなく、オープンな国として、なんとか成り立っていました。
領土を維持するための軍事費がかさみ、それをまかなうために増税を繰り返すという問題です。この結果、経済活動自体が収縮し、税収は減少、軍事費を維持できなくなりました。そして各地の反乱や異民族の侵入に対処できなくなり、ローマ帝国全体が疲弊し、崩壊への道をたどることとなったのです。
広大な領土を支配するあらゆる帝国は、ローマ帝国と同じ運命をたどることになります。現在のアメリカも、まさに衰退期に入ったということができるでしょう。
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