ゲーム『ヱヴァンゲリヲン新劇場版-サウンドインパクト-』クリエイター 飯田和敏氏インタビュー
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『ディシプリン*帝国の誕生』に続く、ゲームクリエイター・飯田和敏氏の新たな挑戦は、2012年秋に完結作となる「Q」の公開を控えた、劇場アニメーション「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を題材とする音楽ゲームだった。刻んだリズムが、音となり、映像となり、ヱヴァとシンクロし、使徒のA.T.フィールドを打ち破る。誰も見たことのない「第三の音楽ゲーム」はいかにして生まれたのか、ディレクターを務めた飯田氏にお話を伺った。
作品世界を壊さずにはいられない自己表出
――『ディシプリン*帝国の誕生』の次が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 -サウンドインパクト-』というギャップに驚きました。もともとエヴァはお好きだったんですか?
飯田和敏氏(以下、飯田氏)■よくエヴァのTシャツとか着てますよ(笑)。エヴァと出会ったのは『巨人のドシン』を作っていたころで、スタッフの1人が「すごいアニメがあるよ」って教えてくれた。第4話目くらいだったかな。そのころはもう、アニメはある程度卒業してたんだけど、ハマった。エヴァって時代を映す鏡だったし、当時の事件とかさ、社会状況なんかも取り込みながらモノ作りをしていくドライブ感ってやっぱりスゴかった。あと庵野さん宛てに送られてきた中傷メールみたいなものまで使っていたし、きっとボロボロになりながら作っていたはずなんだけど、あれは庵野さん自身の実人生とリンクした、ものすごく強い表現ですよ。それをアニメっていう、エンターテイメントの最前線でやったのは強烈だった。あとは竹熊健太郎さんが編集された、太田出版の「エヴァ本」なんかも読んだし、当然劇場版も全部見に行ったし、かなり熱狂的なファンでしたよ。
――以前、別のインタビューで、初期の庵野さんが持っていたアニメへの破壊衝動のようなものと、飯田さんのゲーム作りに対するモチベーションは似ているとおっしゃっていましたよね。
飯田氏■庵野さんって、「ナウシカ」で巨神兵のシーンを任されただけあってすごく絵が巧いんですよ。でもそういうスキルがあるにもかかわらず、自分がディレクションする作品ではそれを壊してしまう。丁寧に作られた作品世界を壊してしまうほどの自己表出。その部分にはすごくシンパシーを感じます。ぼくにとっては『ディシプリン』がそれだった。
たとえば「破」も、表層的にはある少年の成長譚としてきちんと描かれてるんだけど、一方であれは『2001年宇宙の旅』に匹敵するアシッド・フィルムでもあって。最後の方で、巨大化した綾波がDATを持ってるところとか、映画館ではただ圧倒されるばかりだったけど、後からDVDやBlu-rayで見たら、わけ分かんないじゃないですか(笑)。あとものすごく重要なシーンで、70年代の古いフォークソングを持ってきたり。
――「今日の日はさようなら」と、「翼をください」ですよね。ゲームでも使われていますけど、あれは強烈だった。
飯田氏■今の若い人たちの中には、あれを「破」で初めて聞いたっていう人も多いと思うんだけど、やっぱり強烈なインパクトがあったと思うんです。そうやって歌を引き継いでいくことで、あるカルチャーを新しい形でリビルドし、エンターテイメントとして昇華していく。そのセンスはさすが庵野さんだなあって思いましたよ。
以前のエヴァは、庵野さんの自己表出という部分ではすごく危ういバランスの上にあって、そこが魅力でもあった。だけど「破」では観客の望むものを見せつつも、同時に作家的なエゴも貫いている。「序」ではリビルドっていう言い方をしていたけど、「破」ではさらにそこからはみ出していこう、壊して、組み替えていこう、っていう強い意志を感じた。
「2周目」でエヴァに挑戦できる幸せ
――グラスホッパー・マニファクチュアに入って「サウンドインパクト」を作ることになったのはどういう経緯でですか?
飯田氏■ぼくが「破」を劇場で見た、ちょうど次の日くらいに、須田さんに呼ばれたんですよ。今は同じ会社だから、さん付けちゃダメなのか(笑)。ちょうど『ディシプリン』を作り終えたころでもあって、ぼくの中ではすごく辛い時期で。
――辛かったというのは、どうして?
飯田氏■あのころ『ディシプリン』のプロモーションでいろいろやってたけど、実はディレクターとしての仕事はもう終わっていて、その間ぼくはまったくの無収入だったんですよ。もちろんあれは好きでやってたことなんだけど、作品が評価される一方で、ぼくのお金はどんどんなくなっていって。
もう1つ付け加えると、ぼくの中では『ディシプリン』って相当手応えがあったんです。あんなやりたい放題やらせてもらって、それで最終的にはWiiWareで1万2,000本くらいセールスがあって、文化庁からも褒めてもらって、あと母親にも褒めてもらって(笑)。でも、そこまでやった後に、じゃあ次は何をしたらいいんだろうって、ちょっとキョトンとしちゃってたわけです。
――やれることはやり尽くしたと。
飯田氏■でもその前の、長い長い、ゲームを作れなかった期間のことを思えば、『ディシプリン』でゲームの現場に戻って来れたのはやっぱり嬉しかった。だから次もゲームを作ろうって、それだけは自分の中で決めてたんです。そういう時期に、須田から「うちで仕事をやらない?」って声をかけてもらった。
そのころ須田とバンダイナムコゲームスの広野プロデューサーの間で、新劇場版を題材にした音ゲーを作ろうっていう企画があって、「実はこういうものがあるんだけどやってみない?」って言われたんです。で、ちょうど「破」を見てきた後だったし、『Rock Band』っていう海外の音ゲーにハマっていたし、「とうとう来たかーっ!」って思った。
――版権モノという部分で抵抗はなかったですか。
飯田氏■世間では変わったゲームばかり追求してきたように言われてますけど、ぼくも初期のころは、PCエンジンで『コブラ』とか『YAWARA!』のゲームとか作ったりしてたんですよ(笑)。あと『ロードス島戦記』とか。だから原点回帰なんですよ、キャラクターゲームって。
――じゃあ、ある意味ではクリエイターとしての出発点に戻ってきた。
飯田氏■レースで言えば2周目ですよ。ぼくは個人的な作家としては『ディシプリン』で行くところまで行った気がしてたんです。で、今度はじゃあ組織人に戻って、グラスホッパー・マニファクチュアという組織の中でゲームを作ろう、ってなった時に、レースできる場所がヱヴァだったなんてこれ以上幸せなことはないですよ。
――それだけ好きな作品と向き合うことについて、プレッシャーはなかったですか?
飯田氏■ありましたよ!! それはもう。アニメだって当時ファンの間ではいろんなことを言われていたし、それを今度は自分がやるわけだから。
――そのプレッシャーとは、どうやって折り合いを付けていったんですか。
飯田氏■ぼくね、ビビる方が好きなんですよ。ヤバい橋を渡る方が楽しい。ぼくだって20年以上ゲームを作ってきて、ある時期は一線で活躍してきたっていう自負があるし、またある時期は超挫折して、西村賢太も真っ青の地獄を見てきたっていう経験と、さらにそこからカムバックしてきたっていう運の良さもある。そういった経験を経てもう一度「原作モノ」に関わるわけだから、それなりの決意と覚悟はあった。ただ原作を借りてきただけのゲームにしたくはない。「2001年宇宙の旅」に匹敵する、最高のフィルムに負けないゲームを作ってやろう、って思った。