• 2011/05/17 掲載

大震災の経済学を展望する――復興のための論点は何か:経済学者 田中秀臣氏論考

『震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!』共著 田中秀臣氏

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東日本大震災の発生以降、復興をめぐっては多くの経済政策についての議論がなされてきた。多くの論者や有識者が復興のための財源などについて発言する中、それらをどのように読み解けばいいのか――? 近日、上念司氏との共著『震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!』(宝島社)が刊行される経済学者・田中秀臣氏に、この未曾有の震災の対応について行われている経済論戦について論じていただいた。

経済災害を防ぐために

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田中秀臣氏
 東日本大震災の発生からほぼ二カ月が経過した。震災発生まもなくから、経済学者やエコノミストそして政策担当者などの間で、活発に政策論争が展開されてきた。この論争は、誰の目にも明らかな危機的状況を前にして、はたして経済学が何らかの役に立つことができるのか否かの大きな分かれ目を形成しているようにも思える。また、事実この震災をめぐる論争の帰趨次第では、(ある特定の)既得権益と既得観念の組み合わせが経済災害を引き起こすことで、今回の大震災をより深刻化させてしまう懸念も指摘されている(田中秀臣・上念司[2011])近刊参照)。

 本稿では震災発生以降論じられてきた主要な経済的な論点を列挙し、それに簡単なコメントを加えることを目的とする。大震災以降の経済論争をカバーして論点整理につとめたものとしては、片岡剛士の一連のレポート(注1)、岩田規久男(2011b近刊)、原田泰(2011a)がある。

 原田(2011a)は震災復興の論点を6つに分けている。

1) 震災による人々の資産と負債の関係をみること。震災によって注目されているのは、生命と資産(家屋、店舗、多様なインフラなど)の損失である。他方で多くの人は負債をもっていて、これは資産が消滅しても負債が残ることが復興の制約になる

2) 円高の悪影響の指摘。これは円高による海外への生産拠点の移動それにともなう雇用の消失などの指摘

3) 復興資金の調達方法(増税か国債調達か)

4) 復興は単に過去の私的資産と社会インフラの「復元」でいいのか否か

5) 私的資産の再建と国の介入の在り方、6)再建の具体案は集権的か分権的かいずれが望ましいか

 原田氏の論点整理は、主に地震と津波被害に絞られているようだが、最も総合的であり、本稿でも準拠したい。本稿ではまずマクロ経済に大きく関係する最初の3つの論点について論じる。

 まず議論の前提になるのは、どのくらいの規模の被害が見込まれているかである。内閣府の試算が多くの論者の共通の前提であり、大概はそれを最少の見積もりとすることが多数派である。また同時にこの被害総額が、政策の失敗などで複合的な負のショック(竹中平蔵[2011]、田中・上念[2011]など)で今後拡大する可能性や、原発問題の処理如何では、「ナイトの不確実性」ともいえる状況に直面しているという指摘もある(高安秀樹[2011]、田中・上念[2011])。ここで「ナイトの不確実性」とは、予測不可能な「驚き」とも表現できる。

 いま林敏彦(2011)、岩田(2011a)、内閣府の推計を参照にすると、直接被害総額は15兆から25兆という範囲の推定値である。さらに電力供給不足、サプライチェーンの破損回復の遅れ、食料品などの風評被害を勘案するとこの被害総額はさらに拡大することでも多くの論者は一致している。これに(マクロ経済政策や政府のリスク管理などの)政策の失敗、原発問題の対応の遅れや失敗に伴うナイト的な不確実性などを考慮にいれるとより一層被害額は拡大する方向に向かうだろう。

 簡単に整理すると、被害総額自体が確定していない、というのがいまの状況だ。ただし被害総額が内閣府推計よりも過小になることはおそらくない、というのが多くの論者の共通理解であり、それゆえに多くの論者は最低でも20兆円規模を被害総額として見積もり、その上での復興案を提起している。これに反対しているのが、原田(2011b)だ。原田(2011b)は、内閣府の推計は過大だという。なぜなら東北三県の資本ストックを推計し、その被害の割合から算定すると震災の物的損害は、民間部門5兆円、公的部門6兆円であるという。民間部門の半分を国が支援しても必要な支援額は8.5兆円である、というのが原田(2011b)の指摘である。

 ところで、原田(2011a)の論点整理の冒頭ふたつはデフレが負債や雇用、企業実績に及ぼす悪影響を問題にしているといえる。デフレが経済に悪影響を与えるのは震災前からである。浜田宏一(2011)は、リーマンショック後の金融政策が他国に比較してあまりに緊縮的であったことが、円の実質実効為替レートを切り上げて、輸出産業の競争条件を厳しくしたと指摘している。震災前では、この「過度な円高」によって日本経済は潜在的な成長経路から大幅な需給ギャップ(需要不足=推計20兆円)を抱えていたと浜田はみている。ここに震災が襲ってきたわけである。

 では、このデフレによる需要不足経済は震災によってどのように変貌しているだろうか。浜田(2011)、原田(2011a)も、そして片岡(2011)、岩田(2011)、田中・上念(2011)、そして大震災について毎日のように積極的に論説を公表している高橋洋一氏(その論説の網羅は拙ブログを参照のこと)らは、依然としてデフレが継続し、そのマイナスの側面も継続しているというものだ。

 対して(デフレという物価動向に責任をもつ)日本銀行は、デフレかインフレかについて慎重な姿勢を見せている。ただし日本銀行の基本シナリオは、震災前もそれ以降も「緩やかな回復基調とデフレ率の縮小」を維持している。基本シナリオを維持しているため、ある時期から急速に元の回復経路に戻るシナリオに最近は微修正されていることに注意が必要である。例えば、今後デフレがはっきりしてきた場合には、基本シナリオを修正しないかぎり、どこかの時点で「高め」のインフレシナリオが想定されてくると思われる。その「『高め』のインフレシナリオ」によって実態はデフレにも関わらず金融引き締め的なスタンスがとられる可能性がでてくるかもしれない。

 要するに震災前からの「基本シナリオ」の保持が実態とはかけ離れた引き締めを今後生み出すかもしれない(田中[2010]では先のゼロ金利解除・量的緩和解除時点でのそのような日本銀行の基本シナリオ問題について触れている)。

 さて、浜田氏の論説から引用しておく。 「震災は、生産供給能力の低下による個別商品のボトルネックを通じて価格上昇圧力になる一方で、資金面では非常時に備えた貨幣需要や保険金支払い準備のための資金還流を通じて円建て資産の需要を増やす……円高基調はなお続いているのである。しかも震災直後の市場統計指標、例えば百貨店売上高、外食、旅行の売り上げは大幅に減少し、需要不足のシグナルを発している。また新車販売台数は供給要因もあるが激減している。需要不足経済の基調も続いているのである」(浜田[2011])。

 原田(2011a)らは、関東大震災や阪神・淡路大震災の歴史的教訓の重要性を指摘している。原田氏は特にデフレの放置が銀行の実質負債を増加させることで、昭和金融恐慌を招いたことを指摘している。これは高橋亀吉・森垣淑(1993)が以前行った指摘と同様である。また過度な円高の継続あるいはデフレ対応の失敗が、阪神淡路大震災以降の経済を苦境に陥れたことについては、いままでさんざん指摘されてきた。多くは財政政策と金融政策両面の失敗を指摘したものである。その一面であるが、97年の消費税増税によって兵庫県経済圏が震災発生時点よりも深い持続する不況に陥ったことを林(2008)は指摘している。

 原田(2011a)はさらに関東大震災の事例に則して興味深い指摘を行っている。当時の政府は旧平価での金本位に復帰しようとしていて20年代を通じて低い名目成長率を意図的に維持していたともいえる。しかし関東大震災では明示的なデフレ政策は採用しがたい。「そこで政府や日本銀行は、個別銀行の救済やさまざまな特例措置を取り続けた。これらは当然、不公平であり、非効率的な企業を存続させるものであり、世間の非難を浴びた」(原田[2011a])。

 これらの特例措置には、低利での特定産業への融資も含まれていて、石橋湛山は金融緩和政策を支持する一方で、そのような資源配分を過度に歪める産業融資を批判した(石橋湛山[1925])。同じように、今日でも政府や日本銀行はデフレ政策を明示的にとらない一方で、低インフレを目指す政策もとってはいない。そのためか、震災以降、政府系金融機関(日本政策投資銀行)と日本銀行は関東大震災のときと同様に特例措置を設定して、個別の産業・企業融資を強めている。

 このデフレ問題は、次の論点である財源問題にも大きく関わってくる。財源問題は実に奇妙な展開をみせている。2011年3月13日に菅首相と自民党の谷垣総裁との会談において復興政策の一番手として増税政策があげられた。まだ被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助が最優先の時期であった。さらにこの増税政策は、最近の復興構想会議などでも最初の具体的提案として議長や委員から提起されている。実際に復興政策として何を行うかさえもはっきりしない段階において、である。この増税と復興にかかわる政治過程については、高橋洋一氏の一連の批判的議論が参照されるべきである。


(注1) 片岡剛士氏の震災復興政策にかかわる論点整理は、メールマガジンThe Neo Economistの創刊号から現時点(第9号)まで一貫したテーマである。片岡氏自身の震災復興政策については、片岡(2011)を参照。
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