『震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!』共著 田中秀臣氏
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財源をめぐる大論争を追う
さて財源問題については、増税と国債調達という大きな対立軸があり、またそれとは異なる資金調達スキームを主張する論者もいる。政府の既存支出の削減で資金調達を行うべきであるという議論はほぼすべての論者が共通して言われている。ただしここでもその削減対象への評価をめぐって多様な議論が存在する。また単なる既出項目の振りかえによる財政政策では効果が限定されているという指摘もある(片岡剛士[2011]、上念司[2011]参照)。
増税での資金調達は、それが財政危機を克服する上で好ましいとするもの(清滝信宏[2011])、より具体的に政府が現在進めている「税と社会保障の一体改革」の中で勧めるべきと主張するもの(河野龍太郎氏など復興構想会議の検討部会での発言など、権丈善一[2011])がいる。他方で、増税の資金調達でもそれは「税と社会保障の一体改革」とは別個にすべきであるとの主張もなされている(森信茂樹[2011])。増税の主張だが、多くは現在政府でとりざたされている復興目的の国債での資金調達と、それと一定の時間をおいた後での復興目的の増税にわかれている。例えば消費税増税を「国民連帯税」もしくは新税としてそれで復興政策を行うべしとする主張は例外かもしれない(田近栄治[2011]、小野善康[2011])。
【お詫びと訂正】 記事初出時、田近栄治氏のお名前を誤って表記しておりました。お詫びして訂正します。
『震災恐慌!』
多くは政府案と噂されるものに近い(復興目的の国債発行、期限明示しての増税)のだが、なおかつ増税手段でも消費税によるもの(政府案)、また所得税によるもの(土居[2011])、所得税と法人税によるもの(森信[2011])とある。土居氏は「税と社会保障の一体改革」と同時に進めることを主張していて、消費税増税は社会保障給付の財源として想定されている。また「社会保障改革は、被災地の高齢者のためでもあるという説得くらい政治はすべきである」(土居・池尾・岩本[2011])と発言していることから復興政策の一翼を担っていると思われる。なので土居(2011)は消費税と所得税の両輪とみなしていいのかもしれない
(注2)。
消費税増税が復興政策として望ましいとされる理由は、国近(2011)によれば、復興ビジョンの実現を納税者も実感しやすいからだと主張している。所得税については、土居(2011)は、所得が高いほど寄付金が高ければ擬似的に所得税としての徴収が可能であり、また所得税は公的年金に課税されないので被災者に負担が発生しない点をあげている。
森信(2011)は消費税増税に反対し、他方で法人税と所得税の「付加税」を主張している。既存の法人税と所得税の体系を変更せずに、税率を一定付加する方式である。理由は既存体系を前提にするための徴税コストが低いこと、現役世代の負担増で後世代の負担にしないことがあげられている。
森信(2011)は、消費税については、「税と社会保障の一体改革」(=政府規模の適正水準の議論)とは別に議論すべきであるとするものである。「税と社会保障の一体改革」と切り離すべきであるとは、畑農(2011)も同様に述べているがその理由は、震災対応による一時的な消費税増税(畑農氏は復興のための一時的増税一般に議論を拡張している)が、経済に過大な負の影響をもたらすからである。この畑農氏の意見は、経済学の標準的な見方である。
「震災復興のための消費税引き上げが浮上しているが、消費税に限らず復興のための一時的な増税は望ましくない。ハーバード大学のバロー教授の課税平準化理論によると、震災復興のような一時の財政需要増を増税ですべて賄うことは適切ではない。一時の重い課税が消費や労働などの経済活動に負の影響を与えるからである。復興財源は国債発行で賄い、負の影響を小さくするべく長期にわたって課税することが望ましい」(畑農[2011])。
この一時の重い課税がもたらす負の影響は、阪神大震災のときの事例でも観察された。このとき被災地の経済成長率の落ち込みの方が全国平均よりも深くまた持続したことが指摘されている(林[2008])。また多くの増税反対論者の共通する根拠もこの負の影響を重んじるからである。私には、復興のための財源問題と、「税と社会保障のために一体改革」は、経済学の常識(課税平準化理論、バロー[2010]参照)に照らして別に考える政策目的であり、それに応じて適切な政策も異なる問題だと思われる。
もちろん復興のための国債もいずれ返済されなければいけないだろう。しかしこれはなるべく期間を長くとることがベストである。しかし長くとるべきではない、という主張もある。国債での資金調達を批判する論者の多くも、また同時に増税期間を来年度から(政府案)もしくは10年後から(土居[2010])求める論者の多くの根拠の多くは、国債の返済を将来世代の重い負担として理解しているからに尽きる。このような主張の多くは、現役世代のみが便益を享受し、後の世代は負担の方が過度に大きいとする観念を前提にしているのではないか。
なぜなら畑農氏も指摘しているが、「復興の果実は将来世代にも及ぶからである」。またこの復興の果実は、道路などのインフラへの支出だけに発生するのではない
(注3)。例えばいまの現役世代への生活支援や補助金などもその一部は将来世代の経済負担を軽減する。例えば母子家庭が被災していてその生活支援を行うことは、その子の将来所得を有意に向上させるだろう。被災した子供たちの教育への補助金なども同じ効果を発揮する。
畑農氏は次のように指摘する。「復興費用を25兆円と考えると、GDPの5%に達するが、一度に課税する必要はない。これほどの災害の起こる頻度が100年に一度だとすれば、25兆円を100年で賄えばよい。単純化すれば、1年あたり2500億円、GDP比で0.05%、消費税率換算でも0.1%にすぎない。50年に一度だとしても、消費税率で0.2%である。震災復興を理由に消費税を大幅に引き上げる必要はない」(畑農[2011])。
復興のための財源問題と、「税と社会保障の一体改革」の問題をわけて考える。復興のための国債発行が望ましく、またその返済期間は長い方が好ましいというのは、私の考えでもある。同じ立場に立つ論者は多い。いままであげた岩田、浜田、原田、高橋、田中・上念、上念、畑農らの論説はその意味で同じである。また飯田泰之(2011)、若田部昌澄(2011)らも同じであり、また何人かのエコノミスト、評論家、国会議員(山本幸三氏、金子洋一氏、中川秀直氏、渡辺善美氏ら)など政治家の名前をあげることもできる。
ただ、政府とりわけ復興構想会議やその検討部会ではさきほど指摘したように、復興のための財源問題と、「税と社会保障の一体改革」の問題をわけない見解、さらに国債の返済期間を短縮する観念が主流のようである。これは既得観念(財政危機の喧伝)が経済政策の場でかなりの力を得ている証拠に思える。この財政危機をめぐる既得観念が、復興支援を損ねる危険性を私は上念司氏とともに新刊で語った。もちろん財政再建が不要だと説いているわけではない。復興政策と財政再建では、政策の割り当てが異なると強調しているだけである。この財政再建問題についても新著で触れている。
(注2) 震災復興の議論とは分けて考えるべきだが、ちなみに年金や社会保障のための消費税増税論については、私は懐疑的である。少なくとも4%程度の名目成長率の実現をすれば消費税増税は回避できる公算が大きい。それでも財政が維持不可能ならば増税すればいいのではないか。この議論については、田中・上念(2011近刊)でも触れたが、消費税はむしろ地方の財源にすべきであるという主張も含む高橋(2010)も参照のこと。
(注3) また道路への復興投資は現役世代だけに恩恵をもたらすわけではない。復興投資は適切に行えば「永続」的な乗数効果も大きいことを原田(2011b)は指摘している。「復興投資で、シャッター通りを復旧すれば、復旧工事代金は今年のGDPに計上される。しかし、翌年のGDPはまったく増えない。道路が復旧して生産が再開されるときには、復旧工事が計上されるだけでなく、工場の生産がGDPに計上される。これは永続的にGDPを引き上げることになる」。
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