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- 2009/06/01 掲載
【連載】ザ・コンサルティングノウハウ(7):安心の論理
安心の論理
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「おもしろいことを始めたそうじゃないか」
伊藤は、隣のチームのリーダーで、シニアコンサルタントである。シニアコンサルタントたちは、それぞれ数人のコンサルタント、リサーチャーを部下として、アシスタントの女性も含めて10数人のチームのリーダーである。伊藤が率いるのは、流通業を対象に事業戦略やマーケティング戦略のコンサルティングを行うチーム。山口と釣井が所属する岩崎のチームは、製造業を顧客としていた。まず山口が、昨日岩崎から教わった「メッセージ・ファースト」の話をすると、伊藤はうなずいた。
「メッセージ・ファーストという名前はつけていないが、うちの会社のコンサルタントの基本行動だと思うよ」
「伊藤さんは、メッセージ・ファーストの実行で、特に気をつけていることはあるんですか」
「事実の鋭い意味解釈、それにストーリーだ」
釣井の質問に、伊藤は迷わず答えた。釣井がいつもの質問をした。
「それは、たとえばどういうことですか」
「君たちがある流通業者のコンサルティングをしているとしよう。クライアントが新たに参入した、インターネットを使った通販事業の強化が命題だ。現在この事業は、鳴かず飛ばずだ。この会社の経営者は、ネット時代に遅れてはならないと思って参入したが、この事業が将来自社の柱になるか否かは自信がなかった。事業戦略そのものはすばらしい出来栄えだ。この会社の投資余力や関連するブランドなどの強みも十分。しかし、ネット販売事業の人材はスタッフ部門から集められ、彼らは事業の経験に乏しかった。配分された予算は、とりあえず事業立ち上げに必要な額だった。事業担当者たちは、とにかく会社からあてがわれた事業推進のための人員や予算を賄うだけの売上を上げようと考えていた。一方競争相手は、この会社の10倍規模の人員・予算を投入して、同様の事業を推進していた。この会社では、担当者は既存事業の第一線から選び、厳しい成長目標を与え、厳格に達成を管理した。君たちはこの事実を、どのように意味解釈するかい」
「競争相手と同等のリソースを配分しないと、この新規事業で負けてしまう脅威がある」
釣井が言った。
「素直な解釈だが、当たり前すぎる。鋭い解釈とは言いがたいな」
「経営者が、リスクをテイクして競争相手以上のリソース配分をしなければ、この会社の将来はない」
山口が言った。
「君は、想像力が豊かなようだね。今言ったことは一見正しいようだが、メッセージを正当化する事実がない。山口君。リスクをテイクして競争相手以上のリソース配分をすると、本当にこの新しい事業は成功するのか。さっき僕が言った事実のどれから、それが言える。新しい事業で成功しないと、この会社の将来は本当にないのか。そもそもこの新規事業は、市場が小さいかもしれないよ。本業が、今後もどんどん成長するかもしれない。事実がない以上、ただの思いつきだ。コンサルタントは、ただの思いつきは言わない。そんなことは、クライアントにだってできる。誰にだってできることを、高い単価をもらって行えば、信頼をなくすからね」
「伊藤さんなら、どのような解釈をするのですか」
釣井が聞いた。
「この会社では、経営者から現場まで含め、誰もこの事業を大きく成長させようと思っていない。誰も大きく成長させようと思っていない事業が、伸びるわけがない」
「なるほど」
2人は、納得した。
「鋭い解釈の達成基準は何ですか。クライアントが驚けばいいだけではないと思うのですが」
山口が聞いた。
「結果的にクライアントは驚くが、それは本質ではない。鋭い解釈とは、クライアントの命題を解くために、本質的な問題を抉り出すこと。命題解決の有力な糸口を見つけることだ。クライアントは命題が解決できていないから、解決を阻む問題が抉り出されたり、解決の糸口が見えたりすれば、当然驚く。しかしコンサルタントとして行わなければならないことは、その道のプロであるクライアントが、なぜその命題を解けないかを追求し、命題解決を阻む問題を明らかにすること。また、命題解決のヒントとなる事実を、とてもクライアントにはできない多面的な視点で解釈し、必ず効果が上がる仮説を詰めきることだ」
「事実を多面的に見て、解決できるところまで詰めきった仮説を作るのは、最近岩崎さんに鍛えられているので理解できるんですが、クライアントの命題解決を阻む問題、その道のプロであるクライアントが解けないとは、たとえばどのようなことですか」
山口が聞いた。
「その道のプロであるクライアントが、命題を解けない理由はいろいろある。たとえば僕が『安心の論理』と名づけたものがある。さっきの事例では、経営者はネット販売の推進組織を作ったから、後はなんとかなるだろうと安心したわけだ。一旦安心すると、本来その企業が持っている英知が命題に注がれなくなるから、命題は解けない。社長には、『あなたは安心していますが、あなたの会社で誰一人、この事業を大きくしようと考えていませんよ』というメッセージを示すわけだ」
「『安心の論理』で、他の事例はありますか」
今度は、釣井が聞いた。
「むかし、君たちの親分の岩崎と共同で、化学会社の製品開発力強化を支援した。この会社の開発部門のリソースは、新製品開発ではなく既存製品の改良に回されていた。いい新製品が出ていない中で、シェアを維持するためには、顧客の要求にきめ細かく対応し、既存製品を改良するしかなかったんだ。しかしこれでは、新製品開発に人が回せない。悪循環だね。ただこの問題は、クライアントも当然知っていた。しかし、限りある開発人員を既存製品の改良から引き剥がし、新製品開発に回すと、顧客の満足度が下がり、シェアを失う脅威があった。だからクライアントは、この命題を解けないでいた。もし今の悪循環が致命的なら、この会社の経営者は、リスクをテイクして開発人員を新製品開発に回しただろう。それをしなかった理由は、今まで偶然生み出されたヒット商品にあったんだ。この会社は、いよいよ苦しいという時に、偶然いい新製品が出ていた。この会社は、口では悪循環を断ち切らなければならないと言いながら、本当は『そのうち、またヒットが出るだろう』と安心していたんだ」
「伊藤さんは、どんなメッセージを言ったんですか」
「過去に出たヒット製品は、その前の代の経営者が作った、基礎研究所の成果が具現化したものだった。そして、この基礎研究所の人員さえも、改良改善に配分されていた。だから、『ヒット製品のネタは使いきりました。そろそろ構造改革の時です』と言ったんだ」
「なるほど。『安心の論理』以外にも、その道のプロである顧客が、命題を解けない理由があるんですか」
「いろいろあるよ。すべてを僕から聞いたらつまらないだろ。君たちも考えてみたらどうだい」
2人は、うなずいた。
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