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- 2024/01/23 掲載
累計5億個「ベイブレード」大成功の裏側、知られざるタカラトミーの命がけの経営判断
連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第19回)
タカラの重要な分岐点、『ビーダマン』の誕生
『ベイブレード』を生み出したタカラトミーは、もともとロボット玩具とゆかりが深い企業である。たとえば、米玩具メーカー大手ハズプロ社と共同開発し大ヒット商品となった『トランスフォーマー』(日本、1985年)や『魔神英雄伝ワタル』(1988年)などがある。それもそのはず、時代は大ファミコン時代。タカラとしては、何度手を出しても失敗してしまう企業の多い家庭用ゲーム市場、バンダイが独占するアニメ玩具市場を前に、それらと違う“第三の道”を模索していた。
その末に辿り着いた答えが、“ゲーム性を持った玩具”として、ビー玉をはじき出し合う『ビーダマン』(1993年~)のコンセプトだった(4700万個販売、累計400億円)。
もはや伝統芸となっていた「変形合体」のロボット玩具の王道に、対戦コンセプトを入れた作品だ。この商品の誕生には、おそらく1987~1991年の第1次ミニ四駆ブームも大きく影響していたと考えられる。
順風満帆ではなかった?『ベイブレード』苦難の時代
ベイブレードの発明に、ビーダマンの成功の影響があったことを物語るように、開発者の真下修氏(1986年タカラ入社、2001年同社取締役、2006年タカラトミー取締役、2015年退職)は当時、次のようにコメントしている。しかし、ベーゴマに着想を得た玩具は、はじめから成功したわけではなかった。1995年に発売した商品はヒットとはいかなかったようだ。遊びを1人で達成させてしまうコンセプトだとダメ、あくまで競争性に軸を置くべきだとして、1999年に『ベイブレード』は誕生した(出典:竹森健太郎〈2002〉.「タカラ」の山~老舗玩具メーカー復活の軌跡~.朝日新聞社)。
『ベイブレード』は、パーツを組み合わせて自分だけのコマを作れる点、そしてベーゴマを回すための「紐」という熟練性が要求される部分をカットし、コマを回すための「シューター」を使うことで、誰でもバトルに参加できる形にした点で、ベーゴマとは大きく異なる。
そうは言っても、そうした“新しい遊び”が最初から流行るわけもない。ヒットのタイミングは1999年7月の玩具発売時点ではなかった。初動で20万個を売り上げるも、売上はたったの2億円足らず。この頃、月刊誌『コロコロコミック』(小学館)でのマンガ人気も高かったが、社内では「成功した」という感覚はなかったようだ(出典:竹森健太郎〈2002〉.「タカラ」の山~老舗玩具メーカー復活の軌跡~.朝日新聞社)。
それでは、その後、『ベイブレード』はいかにしてヒット商品になっていったのか。ここからは、世界的な玩具に上り詰めるまでの「3つの分岐点」を解説する。 【次ページ】タカラ、最初のヒットを掴んだ“命がけの経営判断”
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