- 2006/08/30 掲載
オーマイニュース成功の鍵を握る、韓国にあって日本にないもの(4/4)
微妙なバランスの上に立つ日本の民主主義とナショナリズム
そんな彼らにとって民主主義とはどんなモノなのだろうか?戦争も安保闘争も全共闘も知らない彼らにとって民主主義は生まれた時には当然のものとして存在していた訳であり、遠くはアメリカから貰ったものとして教えられてきた。
声高に主張するどころか、民主主義について語ること自体が、何か胡散臭く、わずらわしく感じさえするのではないだろうか。言わば与えられたモノをバケツリレーのように次の世代に渡していくことが求めるのだから、もちろん声をあげて権利を主張するような性質のものでもなかっただろう。
また韓国で市民メディアを発展させた両輪の1つであるナショナリズムに関してはどうであろうか?確かに日本でも若者がワールドカップやWBCなどで日の丸を肩につけたユニフォームを着て応援する様は、日本でも新たなナショナリズム台頭してくるのではという予感を感じさせる風景である。しかしながらこのナショナリズムに関して、日本では「戦争」という強烈なトラウマが存在する。日本の世論はこのトラウマが常に社会的な「スタビライザー」として働き、つねに右に行き過ぎたり、左に行き過ぎたりを制御する役割を担っている。
こうした並行感覚に囚われるあまりに、日本では「ナショナリズム」という言葉自体がどこか不健全な意味合いを持っているように捉えられ、まっすぐに育っていかない。特にこの「ナショナリズム」が政治の分野で発揮されるとき、アレルギーのように作用し拒絶反応が起こる。このような言わば体質的な問題から日本人が健全なナショナリズムを発揮するのは難しい。日本人が気兼ねなく存分にナショナリズムを発揮するのが許されるのはせいぜい野球スタジアムかサッカー場ぐらいであろう。
冷めた世代のメディア 2ちゃんねる
こうした韓国の「熱い世代」と同世代の日本の若者によって、OhmyNewsと全く正反対の性格を持つ「2ちゃんねる」というメディアが発展していったことは非常に興味深い。「2ちゃんねる」はいわば匿名という仮面をかぶせることにより「言いたくてもいえない」社会へ声を吐き出すシステムとして発展したものである。言わば鬱積したものを放出する場所であるから、意見の正当性やら発言の責任などが考慮されるものではない。公衆では抑圧されているナショナリズムも剥き出しの偏った形で現れる。よく2ちゃんねるとOhmyNewsをもって、そこで交わされている話題の内容や発言の責任を比較する議論があるが、そもそも日本と韓国という時代もバックグラウンドも違う国で、目的を異にして成長した全く別のメディアであるから、その質を比較すべきものでは無いように思える。2ちゃんねるは言いたいことを言えずに育った日本の若者世代の象徴ともいえるメディアであるともいえるかもしれない。
![]() |
創刊にあたり編集長の鳥越氏は 日本のオーマイニュースを「異なる意見戦う場に」と その想いをBlogに綴っている。 |
そういう意味でも日本の若い世代に横溢する政治や社会への「無関心」を取り払い、活発な議論を引き出すには韓国の市民メディアと全く同じものを移植するだけでは難しいだろう。おそらく日本独自の市民ジャーナリズムの形の模索も不可欠となる。
はたして「名前を出して本音を言う文化」は日本に根付くのだろうか。市民メディアに必要なもの、そして韓国にあって日本に無いもの、それは若者の「熱」だろう。そういう意味で日本のオーマイニュースの挑戦は、1つのメディアを変える挑戦である以上に、日本の若者世代を変える挑戦であるとも言えるかもしれない。
関連コンテンツ
PR
PR
PR