- 2006/08/30 掲載
オーマイニュース成功の鍵を握る、韓国にあって日本にないもの(3/4)
韓国で巻き起こったデジタルデモクラシーの波
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2002年の盧武鉉支持者の集会 一時対立候補優勢が伝えられたが、支持を呼びかける「チェーンメール」で逆転した。 |
2000年の総選挙にあたり、国会議員に対して不満をもった市民が「総選挙市民連帯」という市民団体を形成し公認反対、落選の運動を繰り広げた。こうした流れにのってOhmyNewsは次第に成長を遂げていく。
彼らネチズン運動の広がりは2002年にピークに達する。2002年といえば、日韓共催のワールドカップが行われた年として日本でも記憶されていると思うが、その12月にはこのネチズンの熱狂的な支持を受けて盧武鉉政権が誕生する。この年はまさにワールドカップという韓流ナショナリズムの格好の素材と、盧武鉉政権に代表されるデジタル民主主義の両輪がフル稼働した年であった。当時インターネットで集まった「ノサモ」と呼ばれる盧武鉉支持の団体が同候補者の支持を繰り返し呼びかけた。韓国OhmyNewsでも市民記者が韓国代表の街頭応援参加を呼びかけ、盧武鉉候補者への支持を呼びかけている。まさにOhmyNewsを代表とする市民メディアが2つの車輪を回すエンジンのような役目を果たしていたとも言える。
2004年彼らがネットの力で誕生させた盧武鉉政権が野党のハンナラ党により弾劾され、大統領権限が停止された時、ネットを通じて強烈に反対運動が繰り広げられた。「弾劾無効と民主主義守護のための100万人大会」と銘打ったキャンドル集会の呼びかけが行われたのもネットを通じてであり、OhmyNewsではこの集会の模様が動画で10時間にわたって流されていた。こうした政治的な「熱」は今もネチズンの中に残っていると言って良い。
日本に「モノ言う世代」はいるか?
翻って日本の状況を見てみよう。日本にも韓国のネチズンにあたる「モノ言う世代」は存在するのだろうか?もしくは日本で市民メディアを支えるこの「両輪」は存在するのだろうか?韓国の「386世代」と「2030世代」の同世代といえば、日本では団塊ジュニアとその下の世代にあたる。裕福な時代に生まれた彼らとて、すべてが薔薇色であった訳ではない。幼少時代には「出る杭は打たれる」的な画一的な教育を受け、厳しい受験戦争を経て学校に進学、社会人に入る前にバブル崩壊を体験、氷河期の就職を経てやっと入った会社で終身雇用の崩壊とリストラにさらされている世代だ。いわば高度成長期以来、日本に蓄積されてきた社会のひずみを正面に受け、必死にあがいているうちに大人になってしまった世代とも言えるかもしれない。がむしゃらにがんばる事による成功体験よりも、挫折の方を多く味わってきた彼らは、韓国の同世代とは違った環境・社会背景で育ってきた。
『団塊の世代』の名づけ親である堺屋太一氏は、団塊の世代が成人後に日本中に横溢していた気分を読取って「シラケ」と表現した。まさに日本の団塊ジュニアやその後の世代が脈々と受け継いできたのは、この気分である。「シラケの世代」とはいわば何かにアツくなることやめ、冷めてしまった世代ということだろう。
たしかに日本の若者は何かにアツくなっている人や、公然と夢を語る人間を敬遠する。「アツイ」と「ウザイ」は彼らにとってしばしば同義語として使われているように。こうした裏には皮肉やねたみといった負の感情もあるだろう。ただ、はたしてこうした気分は彼ら自身が進んで作り出したものだったのか。彼らは「アツく夢を語る」より「だまって地道にやる」ことこそ成功の近道であると、繰り返しインプリメントされてきた世代でもあるのだ。
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