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- 2022/08/08 掲載
ホワイトハッカーは本当に「正義」か? 国家や法執行機関も利用するスパイウェア
「ハッカー」か「クラッカー」か…は過去の議論
遠い昔、サイバー犯罪者、IT技術を悪用する者を「ハッカーと呼ぶな」という議論が起こったことがある。コンピューターやネットワークに精通した専門家を、本業や趣味かどうかにかかわらずGeek(ギーク)、Techie(技術者)、あるいはGuru(導師・達人)、そしてHacker(ハッカー)と呼ぶ文化は30年以上前から存在していた。だが、彼らの一部が愉快犯を含む初期のコンピューター犯罪に手を染めるようになり、メディアなどが「ハッカー」と呼んだ。そうではないハッカーたちが、「ハッキングは純粋に技術的な活動であり、犯罪や違法行為を伴うものは『クラッカー』『クラッキング』として区別すべきだ」と主張した。
近年、この議論が蒸し返されることはない。メディアや大衆に「ハッカー=犯罪者」ではないという認知が広がったため、記事などで「ハッカー」という言葉が使われても、コンテキストによって「技術の達人」か「犯罪者」か意味を取り違えることが少なくなったからだろう。また、代わりに「ホワイトハッカー」という言葉も生まれ、その区別をより明確にしたことも理由の1つだ。
国家が行使すれば正義なのか
これで議論は終わったかに見えた。しかしここにきて、ホワイトハッカーは本当に「正義」の側なのだろうか──そんな疑問を抱くような出来事が増えてないだろうか。言うまでもなく、国家支援型と呼ばれるサイバー攻撃だ。政府や特定の国が「ホワイトハッカー」を定義づけたりすることに対しても違和感を覚える。まず、歴史を紐解いても「正義」とは絶対的なものではなく、時代ごとの常識や社会を反映した相対的なものである。現代社会においてとうてい正義とはいえない奴隷制、魔女裁判、切腹、特攻さえ、それぞれの時代では法の名のもとに執行される社会の常識でもあったはずだ。
ハッキングについては、さらに相対性が顕著だ。たとえば、インターネットは国が管理すべきものだと主張する国にとって、ネットの検閲や敵対勢力へのサイバー攻撃・諜報活動・不正アクセスは、体制を維持するための正義であり国益にかなうものでもある。しかし、攻撃をされた側にしてみれば、違法であり主権・人権の侵害以外のなにものでもない。
話を単純化すれば、サイバー攻撃やハッキングは、する側にとっては正義になり得るが、される側にとっては正義でもなければ、受容できるものでもない。
【次ページ】国も法執行機関も利用する民間企業のスパイウェア
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