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- 2019/01/28 掲載
「ITの根本にあるのは『愛』」元ギタリスト現コンサル 松永エリック匡史の2030年予測
連載:2030年への挑戦
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中学生で芸能界に入り、バークリー音楽院で学ぶもITの道へ
──もともとミュージシャンをされていて、現在はITコンサルタントという異色の経歴をお持ちです。まずは、これまでの経歴について教えてください。松永氏:中学3年生のとき、芸能界にギタリストのスタジオミュージシャンとしてデビューしました。スタジオミュージシャンの仕事は、譜面を渡されたら、それをきちんと演奏することです。スタジオは利用時間が長いほど料金がかかるので、できるだけ短時間で完成度の高い演奏をすることが求められるのです。
また、ステージも結構「穴」が開くんですよ。たとえば、インフルエンザでギタリストが休んで、急きょ呼ばれて演奏したこともありました。演歌からロック、アイドルまで、何でも演奏しましたね。
──かなり若くしてデビューし、活躍されていたのに、その後かの有名なバークリー音楽院に進学されていますね。
松永氏:芸能界にはいたのですが、海外のアーティストへのあこがれが強かったし、とにかく音楽を深く学びたかったんです。レジェンドに直接学びたくて、米国のバークリー音楽院に行きました。
バークリーでは、とにかくロジックを勉強させられました。多くの方は「音楽は感性だ」と言われますが、より重要なのはそのベースになる「ロジック」です。特にプロで活躍するなら、ロジックは不可欠です。こうすれば悲しい曲になる、こうすれば人々が感動する……といった厳然たるロジックがあるのです。もともとバークリーは“バークリーメソッド”と呼ばれるジャズやポピュラーミュージックをロジックにしたことで有名になった大学ですしね。
──それが、いまやITの世界で大活躍されています。身を転じたのは、何がきっかけになったのでしょうか?
松永氏:普通は憧れのアーティストのライブに行ったら楽しいでしょう。ところが私は職業病でしょうか、ライブに行ったら機材や音楽のコード、使われている技術などが気になるようになり、次第に音楽を楽しめなくなってしまいました。音楽を楽しめなくなったら生きていけません。そこで、やめる決心をしたのです。
その後、青山学院大学英文科に入り直し、英語の教員免許を取得しました。音楽家ではない“普通”の仕事に就きたかったのです。回り道が多かったので卒業したのは1992年、25歳のときです。年を取っていたので物は試しで就職活動をしたら、“この木なんの木”で有名な日系の大手ITベンダーに合格し、システムエンジニアとして就職することになったのです。
Macintosh SE30がきっかけでコンピューターに興味を持ち、ITの世界へ
──そもそも、ITやコンピューターに昔から興味をお持ちだったのでしょうか。松永氏:実は、当時はコンピューターにはまったく関心がありませんでした。オタクのおもちゃだと思っていたんですね。それが、1980年代後半に登場したMacintosh SE30に出会った瞬間に変わりました。
初めてSE30を見たとき、なぜかドキドキが止まらなくなったのです。恋しているような感覚。何だかよく分からないけれど、夢をかなえてくれる魔法の箱に見えてしまったのです。そこから急に、コンピューターがこれまでとは違うモノとして私の中に入ってきたのです。
──そこからは、ずっとITの世界でキャリアを重ねてこられたのですね。
松永氏:ええ。初めて就職した大手ITベンダーでは、銀行系のシステムを開発しました。MVS、VOS3上で動くPL/IからCOBOL、FORTRAN、Cとプログラミングを学びました。プログラミングは本当にクリエイティブで楽しくて仕方なかった。
当時はコードを書くことからネットワークの簡単な設計まで幅広くやらせていただきました。そのうちコンピューター同士を結ぶネットワークの重要性に気づきました。そこで、ネットワークをさらに追求したくてAT&Tに転職しました。グローバル企業に対して世界中にネットワークを構築する仕事は、最高にエキサイティングでした。
そして、AT&Tでネットワークを勉強すると、今度はその背後にあるビジネスそのものが面白くなってきて、ビジネスコンサルタントとしてアクセンチュア(当時はアンダーセンコンサルティング)に移り、野村総合研究所、日本IBM、パートナー(役員)としてデロイト トーマツ コンサルティング、PwCコンサルティングとコンサルタントとしてキャリアを積み重ねてきました。2018年6月には独立し、縁あって企業のデジタル化を支援するアバナードでデジタル最高顧問を務めています。
「データハブ」になる企業がこれからのビジネスを制する
──本連載では、2030年を1つの指標として設定し、さまざまな方に未来を語っていただいています。2030年に向けて松永さんが考える、企業が生き残るために必要な条件は何でしょうか。松永氏:仕事柄、企業のトップの方々とよく話をしますが、「まだ自分たちは大丈夫だ」という意識があるように思います。しかし、グローバルでの企業の時価総額を10年前と現在で比較したら、とても安心していられないはずです。
にもかかわらず、大学生が行きたい会社のトップ10は、私が学生の頃とそれほど変わっていません。これは本当に不思議です。日本人には、どこかに「人と違わないこと」を良しとする価値観があるのかもしれませんね。
しかし、時代は大きく変わっています。これからは「データハブ」になる企業がビジネスを制します。GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)やネットフリクス等々、我々個人のデータも含めてどこが牛耳るのか。そのデータを制した企業が世界を変えていくと思います。
──日本企業は“ものづくり”に強いけれど、ソフトウェアには弱い。あるいは、目に見えないモノには価値を見出さない傾向が強いとも言われます。
松永氏:もはや“ものづくり”は「データハブ」を構築するための手段になっています。データを取得したりアウトプットしたりするための手段なのです。
しかし、そもそもソフトウェアだってモノです。高精度なアルミの削り出しに職人技が必要なように、プログラミングにも高度な職人技が求められます。ですから私は、日本人がソフトウェアに弱いは迷信で、「日本人はプログラマーに向いている」と思っています。
問題は、いつからかプログラマーはコンサルタントが作った設計書に従い、ただコードを打つだけの作業員になってしまった。そこを変えなければなりません。これは世界的な動きです。
そもそも、イノベーションは優秀なエンジニア達が起こしてきたのです。マイクロソフトは「Tech Intensity」(注1)と呼び、イノベーションの表舞台に技術者たちが立つように呼びかけています。イノベーションの源泉である創造性は、技術の根幹を成しているのですから。それが世界の潮流です。したがって、プログラムを書くことは、もっと高く評価されるべきなのです。プログラミングはクリエイティブな仕事なのです。
【次ページ】なぜ松永氏は「ITの根本にあるのは『愛』」と考えるのか
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