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- 2010/10/15 掲載
【守屋 淳の古典戦略ビジネス応用】第3回:IBMも陥った「眼低手高」の罠 ~西欧の戦略書のバイブル『戦争論』に学ぶ
時代の落とし穴にはまらないノウハウ
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西欧のビジネスマンに愛読されるクラウゼヴィッツの『戦争論』
東アジアの戦略書のバイブルを『孫子』とするなら、西欧において同じ地位を誇っているのが、今回ご紹介する『戦争論』です。著者は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、当時ヨーロッパにあったプロイセンという国の軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツ。同時代には有名なナポレオンがいて、彼はナポレオンの軍隊と戦って負け、捕虜になったという経験の持ち主でした。
彼はこうした経験を踏まえつつ、「戦いとは何だろう」「戦いで勝つとはどのようなことだろう」と考え抜き、その思考の跡を『戦争論』に焼き付けて行きました。この『戦争論』も、西欧ではビジネスマンに愛読されているようで、次のような指摘があります。
《投資銀行員はふつう、『戦争論』をこそこそと読むが、それは読んでいるところをひとに見られるのが恥ずかしいからではなく、自分の戦術のよりどころを知られたくないからだ》この著者のマイケル・ルイスはソロモンブラザーズに勤めていた人物ですが、いかに西欧でこの本が読まれているのかがよくわかる一節です。
『ライアーズ・ポーカー』マイケル・ルイス 東江一紀訳 パンローリング
さてこの『戦争論』、戦略的な思考の面に関して、一つ面白い特徴があります。それは、「戦争の遂行法や勝つための手順は、案外単純だ」と考えていたこと。クラウゼヴィッツは、次のように述べています。
「戦闘は、戦争における唯一の手段である。戦闘では、我々と敵対する戦闘力の壊滅こそが、目的達成の手段である」
「戦争ではすべてが至って単純な事である。しかし最も単純な事が実は非常な困難を孕んでいる事がある。このような困難が蓄積すると摩擦が生じる」
あまりに単純であり、平々凡々たる内容なのですが、しかしこの図式は、いざ実現しようとすると、なかなかうまくいかない場合が出てきます。それどころか、不慮の事故や天候の悪化、兵士の不安、病気、不和、混乱などといった要素が折り重なっていって、当初の目論みから大きく外れてしまうことが、戦争の常態だったりもします。これをクラウゼヴィッツは「摩擦」と呼びました。
現代のビジネスでも、読者のみなさんに、こんな経験はないでしょうか。「これは単純な案件だな」「楽勝な話だな」と舐めてかかっていたことが、思わぬ横ヤリや不慮の出来事などで泥沼に陥り、ニッチもサッチも行かなくなってしまう――。まさしくこうした事例と同じ話になるわけです。
つまり、戦略というと何やら華麗な謀略などの頭脳戦を思い浮かべがちになりますが、「そうじゃない、もっと泥臭く地道な話なんだ」とクラウゼヴィッツは強調して止まないのです。
そしてこの構図は、現代のビジネスの世界でも、次のような指摘と重なり合ってきます。
《(業績が悪化する工場に)共通していたのは、工場の清掃が行き届いていない、出勤率が悪い、社員同士で挨拶をしないといった当たり前のことができていないということでした。これは、日本電産の創業者である永守重信氏が、凋落する会社の共通点として述べた言葉です。日本電産は、特に倒産に瀕した工場を次々と買収し、見事に立て直してグループで急成長を遂げていることで有名ですが、その秘訣は、特別な戦略やノウハウにあったわけではありません。
赤字会社を黒字にするのは決して難しくありません。固定費の多くを占める人件費の見直し、といっても切り詰めるのではなく、出勤率を高めて、工場をきれいにするだけで赤字が黒字になります》
『情熱・熱意・執念の経営』永守重信 PHP研究所
「単純で当たり前だったことができなくなってしまった会社に対し、もう一度当たり前をできるようにする教育を施したこと」
に尽きるというのです。この二つに共通するのは、華麗な戦略や計画の立案よりも、単純な基本の実践にこそ、勝負事で成果をあげるカギが隠されているという問題意識なのです。
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