- 2006/07/20 掲載
【世界のビジネス事情】ロシア経済の現状と今後の課題
【マネジメント】この論文は、ビジネスインパクトvol.4に掲載されたものです
ロシアは日本の隣国であるが、現代の若い日本人にはほとんど知られていない国であるようだ。ロシアと言えば、一般の日本人が思い浮かべるのはシベリアの寒さ、毛皮の帽子、コザックダンスなどで、無限の天然資源やその歴史、文化、学術などについては、わずかなことしか知らない。
ロシア共和国の前身であって、その歴史を閉じたソビエト連邦は1917年に社会主義革命で生まれた国である。革命当初から資本主義諸国に囲まれていたから、一国だけの社会主義の独立を存続するために、軍事的、政治的、経済的な強国を建設しなければならなかった。世界で例がなかった強度に中央集権的な計画経済システムが生まれ、この経済体制によって、第2次世界大戦によって大きな被害を受けたにもかかわらず、戦後、ソ連はアメリカに次いで第2の経済大国になったのであった。しかし、経済的にも軍事的にもアメリカと競争できる国になったが、計画経済体制は平和時においてうまく機能しなかった。そのため経済は停滞し、規律の低下を止めることができなかった。ブレジネフに次いで85年に登場してきたゴルバチョフは、計画経済を合理化して経済の回復を図ったが、この政策は失敗した。
続いて91年に、エリツィンが思い切った自由化によって市場経済化を推進しようとした。経済全体を、国家の中央集権による統制と管理体制から、市場原理に基礎を置く経済システムに完全に変革することによって、経済状態を劇的に改善しようとしたのだ。だが急速な市場経済化は、物価の上昇や生産の低下などの問題を生み、一時は破局的経済状態とも憂慮された。この間、ソ連邦はその幕を閉じ、ロシア共和国が誕生したが、ソ連邦時代より複雑な財政、金融、対外債務、経済構造、資本投資などの問題を抱え、事態はなかなか改善しなかった。
そうしたなか、00年5月、新しい指導者プーチン大統領が登場した。プーチン政権は欧米諸国に対して政治的、経済的に対立するのではなく、仲間入りの道を選択した。国際的な協力による新しい枠組みを作り、経済再建を最優先に目指したのだ。
その結果、現在ロシアのGDPは6年連続でプラス成長を見せ、財政黒字、貿易黒字、国民所得は上昇、失業者も減少したことで、プーチンの経済政策には一定の成果があったと評価されている。確かに、表面的には市場経済への体制転換がうまく行われているように見えるが、反面で、ロシアの「市場経済」は西側のそれとは全く異なるという印象も受ける。ロシアの経済状態は、「豊かさの中の危機」と特徴づけられているのだ。
本論文では、そうした現在のロシア経済の特徴、さらにその問題点について考えてみたい。 懸念される国内総生産成長率の鈍化、止められないインフレーション、その理由とは
1998年8月に「金融危機」という手痛い経験をしたロシア経済は翌99年以降追い風に支えられ、非常に高い主要社会経済実績を示している(表1参照)。

経済的好調に貢献した主な要因としては、
1 中東の政治的経済的不安定状況によって自然資源の国際価格が高騰。その影響を受け、ロシアの主な輸出品(03年では輸出総額の59%を占める)である石油と石油製品からの貿易収入が増大、燃料産業が高成長を遂げたこと(図1参照)
2 国民所得増によるロシアの国内需要の増大(消費ブーム)
3 最近は政治・経済面での安定的な発展により固定資本投資が拡大していること
などが挙げられる。

こうした理由から経済が安定し、高い実績を見せていることは事実である。しかし、経済の好調に伴って次のようないくつかの問題が発生してきている点も見逃せない。
第1に、ロシアの総生産が最近高い成長率を示していると評価されているが、実質的にはまだ比較的高いインフレーションが続いている点だ。ロシア政府は04年にインフレ年率に関して03年の12%から04年に10%にまで減少するという目標を立てたが、達成はできそうにない。11月の世界銀行分析によれば、04年にロシアのインフレ率は11%前後になるという見通しだ。原油輸出から巨額な外貨がロシアへ流入しているから、政府が安定化基金に外貨を蓄積しても、輸出外貨収入強制売却比率の引き下げ(03年7月に25%、04年11月から10%)措置を取っても、インフレに抵抗ができなかったのだ。国民の所得増大、貯蓄と融資の仲介役としての銀行業界の能力不足、中央銀行と中央政府の市場経済に関する調整知識と経験不足が原因となり、物価上昇に歯止めをかけられないでいる。
第2の問題は、国内総生産成長率の鈍化である。90年代に市場経済に転換したロシア経済は激しく落ち込んだが、99年以降急激な成長を見せていた。しかし、今年の実績を見ると、国際市場原油価格が高値に推移しているにもかかわらず、経済成長が鈍化する傾向が高まっている。その理由は何であろうか。
ソ連時代は、一国だけの社会主義だったので経済力を強調するために「生産のための生産」という戦略が取られ、消費財生産より生産財および国防軍事財生産の方が重要だった。ロシア経済は経済力を高めて、世界で最も高い成長率を達成して見せた。しかし、50年近く続いていた急速な経済成長も、その後は停滞せざるを得なかった。構造的な問題が多発し、発展条件は外延的、すなわち、資源、労働力、資本などの投入を量的に拡大することから、内包的、すなわち、資源利用の効果上昇、生産性向上などに変わり、この変化にロシア経済体制は対応できず、急速な成長の刺激を失ったといえよう。
90年代に入ってからは、総生産全体、鉱工業、農業だけでなく、その他の分野も激しく落ち込んだ。
90年の生産を100にすれば、98年の生産規模は鉱工業全体が45、燃料工業が65、機械製作業が35、軽工業が12にまで減少してきた。市場経済に加えて、経済体制転換による貿易自由化が認められ、品質のいい、比較的安い輸入品がロシア市場に入り、輸入品があふれ、国内向けの商品生産産業は破産寸前状態までに陥ったのであった(図2参照)。

しかし、98年8月にロシアで起こった金融危機後、資源輸出志向型の産業も国際市場での資源価格の高騰に伴い生産を回復し、国内向けに生産をしている産業も急速な発展を遂げた。その理由は、金融危機を契機に国内通貨であるルーブルの対米ドル為替レートが約4分の1の水準まで下落し、輸出から得る利益は増大し、逆に輸入品の価格は何倍にも上がり、国産品の生産産業界が復活したのだ。燃料産業、自動車産業、建設、建材工業、食品工業など全般にわたって好調時の勢いを回復したといわれている。
しかし、残念なことであるが、こうした国内向け生産産業の成長ブームは長く続かなかった。ロシア国民の所得増大によって最近3~4年間購買力は急増している。03年の実質可処分所得は前年比116・5%増、04年1月~10月までの所得増は前年同期比109%とロシア国家統計委員会は発表している。
97年から03年の8年間で、国民の平均所得は54・2%上昇したことになる。しかも同時期に工業生産とサービス生産は合わせて35・9%しか増大していない。もちろん、この時期にはインフレーションの影響もあったが、所得増大幅はこれより大きいので、超過分が輸入品の購入に向けられたことは間違いない。国民の多くが、時代遅れで低価格でしか輸入品との競争ができない国産品より、最新の機械、機能的、デザイン的に優れた電気製品、乗用車、食料品まで、安物ではなく、高級で品質のいい製品を買うことができるようになったわけである。にもかかわらず、国内向け消費財などの生産企業は依然として資金、投資、新技術・ノウハウ不足で生産転換ができず、生産量は低下しつつあるのだ。

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