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西武ホールディングス(HD)が、プリンスホテルなど約31施設を外資系ファンドに売却する。プリンスホテルは西武鉄道創業者の堤康次郎氏が終戦後の混乱の最中、困窮した旧皇族から土地を取得してスタートした事業であり、80年代にはバブル経済の代名詞にもなった。同ホテルは日本の戦後史おいて特別な存在感を放っており、まさに日本の「土地神話」を体現していた。
西武鉄道の事業の本質は不動産
西武HDは、旗艦ホテルである「ザ・プリンスパークタワー」をはじめ、各地のプリンスホテルやレジャー施設など31施設を売却する。金額は1,500億円程度になると見られ、買い手はシンガポールの政府系ファンドである。
現代のホテル事業は、土地所有者とオペレーションを行う事業者を分離するのが一般的であり、ホテル事業者が土地も保有する経営スタイルは採算が合わないとされる。ヒルトンなど海外のホテルチェーン各社は、オペレーションやブランド貸しに徹することで高収益を上げている。超一等地に土地を保有しつつ、そこでホテル事業を行うという同社のビジネスモデルに限界が来ていることは明らかだった。
この議論はずっと昔から行われていることなのだが、なぜ同社は土地の保有にこだわり続けたのだろうか。その疑問を解く鍵は、同社が成長した経緯と、土地担保主義という日本独特の経済モデルにある。
西武鉄道は、軽井沢の不動産開発で巨万の富を築いた実業家、堤康次郎氏が既存の鉄道会社を次々と買収して作り上げた企業である。堤氏は東急電鉄創業者の五島慶太氏とライバル関係にあり、両氏は激しい争いを演じた。ともに強引な経営手法で知られ、堤氏は「ピストル堤」、五島氏は「強盗慶太」の異名を取ったほどである。
堤氏は元来、不動産が本業であり、東急の経営手法は、鉄道を軸に沿線に娯楽施設や新興住宅地を開発するというものだった。つまり表面的には鉄道会社に見えるかもしれないが、両社の事業の根幹はすべて不動産にある。「土地神話」という言葉からも分かるように、戦後の日本において土地は絶対的な価値を持っていた。銀行融資も土地担保で実施されることがほとんどであり、国内経済はすべて土地を中心に回っていたと考えて良い。
戦後復興に伴い、土地に莫大な価値が生じることを早くから見抜いていた西武鉄道と東急電鉄(堤氏と五島氏)が急成長するのは、当然の帰結だった。
困窮した旧皇族から強引に土地を取得
西武鉄道が鉄道事業と並行して実施したホテル事業についても、土地というキーワードで理解するとビジネスの本質が見えてくる。
プリンスホテルは、終戦後、経済的に困窮した旧宮家や旧華族から邸宅を買い取ってスタートした事業だが、その手法はかなり強引なものだったと言われる。戦争中に行われた無謀な財政支出によって、終戦直後から日本は猛烈なインフレに見舞われた。土地はインフレになっても価値を維持するが、現金は物価が上がるとみるみる減価していく。つまりインフレが進んでいる時には、支払いをできるだけ後に伸ばしたり、借金した方が圧倒的に有利になる(借入額を後に返済した時には実質的な価値が下がっている)。
だが経済の仕組みに疎い旧皇族はこのカラクリに気付かず、生活資金が必要だったこともあり、都心の一等地にある邸宅を著しく不利な支払い条件で堤氏に売ってしまったと言われる。その後、堤氏が格安で手に入れた土地はインフレによって莫大な価値を生み出し、堤氏はこともあろうに、その土地に「プリンスホテル」という名称のホテルを建てた。
西武鉄道の事業の本質が不動産であることは、同社がいびつな資本構成だったことからも見て取れる。
西武鉄道は上場企業だが、以前は株式の半数近くを握るコクド(旧国土計画)が実質的支配者であり、西武鉄道の事業に必要となる土地をコクドが保有するケースも少なくなかった。だが、コクドは堤家のプライベートな企業であり、経営実態について外部から伺い知ることはできなかった。
今のガバナンス基準では、上場企業に極めて大きな影響を及ぼす親会社が非上場で十分な情報公開を行っていない場合、市場から相当なプレッシャーを受ける。だが当時の堤家やコクドは政界にかなりの影響力を持っており、一連の上場形態がギリギリで許容されていたという指摘もある。
グループのオーナーである堤家は、土地こそが本源的価値をもたらす資産であると捉え、非上場のプライベート企業を通じて西武グループを支配していた。
【次ページ】西部HD「プリンスホテル売却」の理由とは
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