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今や世界190カ国、約2億人の人々が視聴する動画配信サービス「Netflix(ネットフリックス)」。映画の見方だけでなく、映画の作り方にも変革をもたらした同社は今でこそ、その影響力に注目されていますが、創業からの数年間は巨大なライバルを相手に生きるか死ぬかの戦いを強いられています。成長の起爆剤となった事業を切り捨て、社員の3分の1を解雇するなど、つらい決断を迫られた時期にも強いリーダーシップを発揮したのが共同創業者のリード・ヘイスティングス氏です。同氏の歩みとともに、ネットフリックスの猛進劇の秘訣に迫ります。
名門育ち、一族の伝統を無視して進学
リード・ヘイスティングス氏は1960年、米国上流階級出身の父ウィルモット・ヘイスティングス・ジュニア氏と、同じく名門出身の母ジョーン・エーモリー・ルーミス氏の長男として米国のボストンで生まれています。
裕福な家庭で子ども時代を過ごしたヘイスティングス氏は、マサチューセッツ州ケンブリッジにある幼稚園から高校までの一貫校バッキンガム・ブラウン&ニコルズで学び、大学はハーバードかエールに進学するという一族の伝統を無視してメーン州にあるリベラルアーツスクールのボウドイン大学に進み、数学に熱中しています。
大学を卒業した1983年、非営利団体の平和部隊に入隊。数学教師としてアフリカ南部のスワジランドで3年間過ごした後、スタンフォード大学大学院に進み、コンピューターサイエンスの修士号を得ています。
最初に起業した会社は4年で上場、ランドルフ氏との出会い
卒業後、IT企業のアダプティブ・コーポレーションでソフトウェアの開発などに従事しますが、3年足らずで退社。1991年、30歳でピュア・ソフトウェアを設立し、ソフトウェアのトラブルシューティングツールを開発して成長を遂げ、4年後の1995年には株式上場を果たしています。
事業は順調に成長し、翌年、ヘイスティングス氏はボストンの社員9人足らずのソフトウェア会社エイトリア&インテグリティを買収します。同社の創業者の1人が、のちにネットフリックスを共に創業するマーク・ランドルフ氏です。
ランドルフ氏は「買収後は退社させられる」と覚悟していたそうですが、ヘイスティングス氏からマーケティング責任者としてピュア・ソフトウェアの成長を支えるように依頼されています。
ピュア・ソフトウェアはシリコンバレー企業特有の長時間労働は当たり前、スピードに執着するプレッシャーの強い職場でしたが、それまでにいくつものスタートアップ企業を経験してきたランドルフ氏から見ても、新しいボスとなるヘイスティングス氏は「非常に熱心で頭の切れる男だと感じた」(『NETFLIX』p49)といいます。
同社は順調に成長を続けますが徐々に売り上げが低迷し、1997年4月、ヘイスティングス氏はピュア・エイトリアルをラショナル・ソフトウェアに5億8,000万ドルで売却。数カ月後にヘイスティングス氏もランドルフ氏も会社を去ることになりました。
始まりは「高額な延滞料」への違和感
会社の売却によって大金を手にしたヘイスティングス氏は当初、お金を教育分野の慈善活動に使うことを考えていました。一方でランドルフ氏は、1995年にサービスを開始して2年後には株式公開を果たしたアマゾンの成功を見て、「書籍以外の何かを扱うアマゾンのような新事業」を立ち上げたいと考えていました。
ランドルフ氏が思いついたのが「良質な顧客サービスと翌日配達を組み合わせる」サービスでした。そのアイデアをヘイスティングス氏と話し合う中で2人が目を付けたのが、アマゾンが扱う書籍市場と同規模を持つレンタルビデオ業界です。
当時、レンタルビデオ業界にはブロックバスターとハリウッドビデオという大手企業がいましたが、いずれも実店舗だけでインターネットを使ったビジネスには手をつけていませんでした。
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