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これまで取り上げてきた『孫子』『戦争論』では、それなりの戦力を揃えられることが前提となっていた。しかし実際の戦争やビジネスの現場では、十分な戦力を揃えられないケースも多いだろう。とくに中堅・中小企業の場合、大手ライバル企業より戦力的に劣った状態で戦っていかなければならないのが常だ。こうした弱者の立場で“勝ち進む”ために知っておきたいのが、今回ご紹介する「ゲリラ戦」「遊撃戦」の戦略である。
弱者が強者を倒すにはどうすればよいか
前々回、前回と『孫子』『戦争論』という戦略の二大古典を取り上げましたが、実は両者には一つ重要な共通前提があります。それは、
「自前でそれなりの戦力を揃えられること」
に他なりません。
『孫子』でいえば春秋時代の呉、『戦争論』でいえば18~19世紀西欧のプロイセンという強国の実力を背景にして、孫武とクラウゼヴィッツは戦略を組み立てていました。だから、これは当然のことです。しかし同時にこの前提からは、
「では逆に、自前でそれなりの戦力が揃えられない場合はどうしたらいいのか」
という疑問が浮かんでくるのも確かです。また、もう少し敷衍するなら、
「そもそも弱者が強者を倒すには、どうすればよいのか」
という戦略の根幹にかかわる話にも繋がってきます。
そして20世紀に入り、この疑問に応えようとした人物が奇しくも洋の東西に現われました。それがイギリスのT.E.ロレンスと、中国の毛沢東・朱徳という二人組。
まずT.E.ロレンス(1888~1935)ですが、彼は映画『アラビアのロレンス』の主人公としてよく知られています。アカデミー賞作品賞も受賞しているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
時は第一次世界大戦、ドイツ帝国と同盟を結ぶオスマン・トルコの弱体化を、イギリスは画策していました。陸軍省の情報部やアラブ局に勤務していたロレンスは、トルコの支配下に置かれていたアラブ人の反乱によって、トルコ軍を撹乱したらよいのではないか、と提案するのです。
実際にロレンスは、預言者ムハンマド(マホメット)の血筋であるハーシム家のファイサルとともに反乱を企てます。そして、鉄道の破壊によってトルコ軍の物資輸送を寸断し、さらには軍事拠点のアガバを完全に奪還、最終的には聖地エルサレムを陥落させたのです。彼はこの時の経験を元にして、いわば「ゲリラ戦」を理論化した最初の一人となりました。
もともとゲリラ戦のような戦い方は、クラウゼヴィッツの『戦争論』などでも「小戦争」としてすでに取り上げられていました。ロレンスは、いわばこの戦い方を精緻に理論化して、「弱者が強者を倒す戦略」とした確立した立役者だったのです。
実際ロレンスは、『エンサイクロペディア・ブリタニカ(ブリタニカ百科事典)』の1929~1957年度版まで、ゲリラ戦の項目の執筆者として名を連ねていました。その翻訳の一部は、
この稿の最後に付しておきます。
さらに、ほぼ同じ時期、中国でゲリラ戦とほぼ内容の同じ「遊撃戦」を提唱したのが毛沢東(1893~1967)と朱徳(1886~1976)の二人だったのです。
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