一橋大学 楠木教授が断言「今、未来を見通すカギは“人間の本性”にある」
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先を見通すには「what」を明確化せよ
2020年が始まった頃は、まだ海の向こうのニュースだった新型コロナウイルス。だが、その感染はまたたく間に世界に広がり、日本でも緊急事態宣言発令下の一斉休校や在宅勤務など、かつて体験したことのない“日常”が次々に押し寄せてきた。もちろんビジネスも例外ではない。外出制限や人との接触回避を余儀なくされる中で、飲食業や小売り業を始め、多くの企業が打撃を受けている。リモートワークが広がり、ワークスタイルが変わりつつあることで、ビジネスモデルも大きな変革を迫られている。すでに「ウィズ/アフターコロナ」に向けて、世界中の企業やコンサルタント、研究者が新たな道を模索中だ。
とはいうものの、この未曽有の事態に直面して、これから先どのように自分たちの仕事や企業戦略を考えていけばよいのだろうか。
国際企業戦略や企業競争戦略に詳しい楠木 建氏は、「最も重要なのは、“what”をはっきりさせておくことです。そこが明確になっていないと、その先に何をするにも判断できません」と語る。コロナ禍という未知の事態に浮き足立つことなく、事象を正確に認識・把握し、その上で適切な対応を考えることが、未来を正しく見通すカギになるという。
客観的なデータこそが事実
楠木氏は、今回のコロナ禍の本質を「危機というよりは騒動だ」と定義する。1918年(大正7年)に日本全国で起こった米騒動では、米の価格の高騰に不満を募らせた人々が、各地で米問屋を打ち壊すなどの行動に出た。だが、この騒ぎの背景には、一部の人々による投機的な行動があり、それが米価の暴騰を招いて民衆が過激な行動に走った。楠木氏によると、新型コロナウイルスに関連する一連の騒ぎもほぼ同じ構造だという。「米騒動の本当の原因は、実際に米が足りなかったのではなく、当時の日本ではすでにコモディティ市場がかなり発達していたことにありました。いくつかの要因が重なって米市場で投機的な行動が生まれ、一時的に急激に米の価格が上昇した。つまり、実際に米がなくなって食料“危機”に陥ったのではなく、人間社会のメカニズムが生み出し、人々の脳内で増幅した不安が引き起こした“騒動”だったのです」(楠木氏)
その意味で今回の新型コロナウイルスによるさまざまな事象も、「騒動」と楠木氏は定義する。その根拠として、感染者数と死者数を挙げる。
特に日本の場合は、欧米に比べて死者数が少なく、10万人あたりで見ると0.79人。1957年に猛威を振るったスペイン風邪はケタはずれで700人、1957年の「アジア風邪」だと6.13人。毎年の季節性のインフルエンザと比べても、2018年は2.63人で、いずれも新型コロナウイルスより多い。それ以外の疾病や事故による人口10万人あたりの死者数を見ても、水難事故は1.21人、落雷では0.002人。
以上のデータから、日本における客観的な新型コロナウイルスのリスクは、「落雷よりは怖いが、水難事故よりは死ぬ確率が低い」と考えるべきだと楠木氏は結論づける。
「とかく目につく事象を“騒動”に仕立てるのは、近代社会の1つの特徴です。現代は情報の伝達スピードが非常に速い。それが今回の騒ぎを加速しているとも言えます。しかし、客観的な数値で比較すれば、その恐怖の多くは米騒動と同じく人々の想像力が生み出した“騒動”です。私たちがこれから先をきちんと見通していくには、そうした空想や妄想ではない事実、つまり“what”を明らかにすることが、重要な第一歩になるのです」(楠木氏)
現状において「時間はリスクではなくクスリ」
楠木氏は「今回のコロナ騒動は、人間の命の大切さが世界的に普遍の価値として定着しつつある現代だからこそ、これだけ大きな問題になっている」と指摘する。伝染病騒動の根源にあるのが、実は「人命を尊重する意識の高まり」というのは、これから先を考える上で非常にポジティブな要素だ。それに同じ災難でも、自分たちを標的に攻めこんでくる戦争と異なり、ウイルスは積極的に攻撃してくるわけではない。感染防止に努めて、こちらから状況に適応していけば事態は有利に運ぶことすらできる。「手洗いやマスク着用など公衆衛生のための基本動作を徹底する」「社会的距離を確保する」「リモートワークに切り替える」「個人情報を積極的に提供する」。私たちが取るべき対応は、繰り返し行政や医療の専門家から言われてきたことと変わらない。
「このように、なすべきことは極めて単純で誰でも実行できます。ソーシャルディスタンスやリモートワークも、最初の頃こそ抵抗があったと思いますが、すでに日常の生活スタイルになりつつあります。人間の適応力はバカにできません」(楠木氏)
さらに希望となるのは、この騒動は「いつかはわからないけれど、いつかは終わる」ということだ。とりわけ新型コロナウイルスは疫学的な研究の対象であり、その情報や知識は時間の経過とともに確実に増えてゆく。「この問題の解決において時間はリスクではなくクスリ」だと楠木氏は強調する。
「人間の本性」を軸に考えよ
とはいうものの、やはり目に見えず治療法も確立されていない新型ウイルスに、この先どう対応していけばよいのか不安は残る。楠木氏は、相手が不確実なものだからこそ、「人間の本性」を基準に考えてみることが解決の糸口になると示唆する。世の中がどんなに変化し混乱している時でも、人間の本性、つまり、本来的な欲求のありようは変わることがない。よって、不確実な未来を考えるには「人間の本性」が確実なよりどころになるのだ。
もちろん今回のように大きな騒動が起きると、「今こそ激動期だ」と言い立てる人が大勢出てくるが、彼らは変化するうわべの現象だけを見て騒いでいるにすぎない。事象の本質や背景を理解するには、「動かない軸足=普遍的な視座」があって初めて人間の本性についての深い理解と洞察が可能になるのである。
こうした考えを踏まえて楠木氏は、おそらく現在のコロナ騒動が治まっていけば、だいたいのことは元通りになっていくと見ている。ビジネスは目先の変化に振り回されることなく、人間の本性に根ざして「変わるもの」と「変わらないもの(元に戻るもの)」を見極め、機会と脅威に対応するべきだと指摘する。
では、コロナ騒動の「その先」に向けて、実際にどんな事が起きてくるのだろうか。「人間の本性」という軸足に立って予測していこう。その例として楠木氏は、「オンライン飲み会は消えるが、リモートワークは定着していく」と語る。
「なぜなら、オンライン飲み会は人間の本性に反しているからです。やはり本当に楽しいのは、みんなで顔を合わせて酒を飲み語り合う場そのものです。コロナの制約がなくなれば、また居酒屋やレストランに集まるようになるでしょう」(楠木氏)
一方で、リモートワークが定着すると見るのは、やはりそれが人間の本性に沿ったものだからだ。
「人間というのは、面倒なことは避けたいと思います。毎日の通勤や、用があってもなくてもオフィスに出るのは大変な手間であり面倒です。それが今回、仕方なくリモートワークをやってみたら、十分に使えることがわかった。この体験が『会社には毎日行くもの』、『仕事はオフィスでやるもの』という思い込みを打ち破った意義は大きいと思います」(楠木氏)
星野リゾートが証明している「人間洞察」の重要性
楠木氏は今年5月、星野リゾート代表取締役社長の星野 佳路氏と話した際に、同社がコロナ終息後の国内旅行需要が急増すると予測して、現在の人員を手放すことなくその重要に即応できる体制づくりを固めていると聞いたと明かす。「すでにコロナ禍が終息しつつある台湾では、海外旅行に行きたくても渡航できない人たちが、代わりに国内旅行に殺到していて、星野リゾートが現地で経営するハイエンドリゾートにもかつてない予約が入っていると伺いました。そこで星野さんは、同様の現象が日本でも起きると見て、今から用意を進めているというのです」(楠木氏)
星野リゾートはこれまでも、「旅行に行きたい」という人間の欲求(=本性)をとらえるビジネスを一貫して手がけてきた。現在のような混迷した状況の中でも、その軸足が揺るがないからこそ、ぶれない未来の判断ができると楠木氏は評価する。
最後に楠木氏は、「ウィズ/アフターコロナ」を見通す上で最も大切なものは「人間洞察」だと断言する。
かつてスティーブ・ジョブズ氏は、テクノロジーとリベラルアーツの両軸が交差するところにイノベーションが生まれると語った。これを楠木氏は、人間そのものについての理解があってこそ、初めて価値や意味のあるイノベーションが実現できると解釈してみせる。
楠木氏は「今は非常に大変な時期ですが、この『コロナ騒動』を人間と社会について深く考える機会ととらえて、ぜひその先にある未来に向けて進んでいきましょう」と力強く呼びかけて締めくくった。