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かつて「象牙の塔」のように見られていた大学院は昨今、以前より身近な場所になりつつあるかもしれない。この頃は社会人入学や大学院生の就職などについての情報が浸透し、議論もなされるようになっているためだ。大学院への入学を選んだ人たちは、どのような人生観やキャリアを考えて決断したのだろうか? ライターの松岡瑛理氏に、自身の体験などを軸に現在の大学院の一面をコラムとして綴っていただいた。
私が「入院」するまで
「もうこれからの人生、やりたいこと隠して生きるのやーめた」
2012年、夏。2年弱勤めたWebメディアの社内メールマガジンで、私は会社を辞め大学院に入学する(俗に「入院」という)ことを宣言した。
入院先は、一橋大学大学院社会学研究科。大学院と聞いてMBAだのロースクールだのをイメージした人は「社会学……? 行ってどうすんの?」と拍子抜けしたかもしれない。そもそも、文系にとっては院進学という選択自体、学部卒業後の進路としてあまり一般的ではない。退職当時は転職でも留学でもなく「大学院」という、傍から見ればよくわからない場所に進むことを奇異な目で見られたりもした。
会社も仕事も決して嫌いではなかったし。しかし修士課程修了後に入社した身として、心のなかでは研究以上に面白いことはないという確信に至っていた。
退職から約1年が経ち、現在の私は大学に籍を置きながら週刊誌などでライターとしても活動している。ずばり、大学院とはどんなところなのか。昨今は特に大学院を出たあとの悲惨な実態について話題にされることが多い。今回はまず、そのような世間から見た大学院論を紹介したうえで、大学院生自身は現実をどのように捉えているのかについて二段階でレポートしたい。詳しい方には「何をいまさら」と思われる話もあるかもしれないが、大学院をよくご存知ない方には実態の一側面をご紹介するレポートとして、「入院」を考えたことのある方には、進学の参考材料としてお読みいただけることを願っている。
お寺でも、フリーター生産工場でもないぞ
具体的な話に入る前に、まず大学院の制度について簡単に触れる必要があるだろう。大学院は学問の専門性をきわめ、かつ研究者を養成することを主な目的とした研究機関であり、通常修士(マスター)課程(2年)と博士(ドクター)課程(3年)からなる。大学院生は通常研究したいテーマに沿って特定の研究室(ゼミ)に所属し、指導教官のもと、修士(博士)論文を書き上げることを目指す。修士課程を修了後、民間企業に就職する院生も多いが、研究職を志す場合は博士課程への進学が必須だ。
制度面を含めて大学院が何をするところなのか自体、世間でどれほど認識されているかはあやしい。社会学者・佐藤郁哉氏は論文のなかで、大学院に進学した1965(昭和40)年当初、東北に住む母親と知人の間で以下のような会話が交わされたと記している。
「お宅の息子さん、大学出られたそうだけど、今どこにお勤めなの?」
「いえ、あの、大学院に行っておりまして」
「……そりゃあ、なんとまあ、結構なお寺さんに……」
大学院を知恩院の如きお寺の仲間と勘違いしてしまう程度には「大学院」は一般になじみのない言葉であったということだ。こうした光景は1980年代初頭まで全国各地で見られたのではないかと佐藤氏は指摘している。
それから時を経て、大学院を取り巻く社会的状況は変わった。1965年当時、大学院の在籍者数は約3万人足らずであったのに対し、2013年8月時点で公表された在籍者数は約25万5千人。人数だけを見れば「大学院生」という肩書を持つ人々は8倍以上にも増えているのだ。背景には1991年、大学審議会の答申「大学院の量的整備について」のなかで大学院生を2000年までに20万人に引き上げる必要性が主張され、全国の大学で入学定員の拡大が行なわれたことが関係している。
院生の人数増は、裏をかえせば就職におけるパイの奪い合いの熾烈化を意味している。こうした状況を背に、2000年代後半からは大学院生、ないし院修了後の人々の就職状況をめぐる悲惨な境遇が、大学内外でさかんに論じられるようになった。2007年に『高学歴ワーキングプア』を公刊した水月昭道氏は大学院博士課程を修了者の就職率はおおむね50%程度、2人に1人はフリーターなど非正規雇用者としての労働に従事していると指摘。仕事がなくコンビニ店員や、パチスロで生計を立てる博士の姿を自嘲的に描く。
研究者の濱中淳子氏も大学院生の就職難の背景に、企業からの「大学院生=実務で使えないオタク」というレッテル貼りがあると指摘し、院生は明確なキャリアイメージがもてない時間のなかで苦しんでおり「進路に対する考え方をあらためることは必要」と続ける。
かつては認知度の低かった大学院がやっと知られるようになったと思ったら、今度は「オタク」あるいは「就職難民のフリーター」……。振れ幅が大きすぎて「ほんまかいな」と首をかしげたくもなる。たしかに、研究職を目指す人々の就職難があることは事実だろう。けれども、その「悲惨な現状」を過剰に描きすぎている感が否めない。
続けて、こんな疑問が湧く。大学院生だって、進学前にこうした現実を見聞きしないわけはないだろう。世間からも奇特な目で見られるのを承知の上で、彼・彼女らはなぜ進学を選ぶのだろう?
以下、私が大学院界隈で知り合った3名の人々の声を通し、大学院生自身が現実をどう捉えているかに迫りたい。結論を先取りすると、年齢もキャリアも異なる3人は「進学に後悔はない」という点で一致していた。はたしてこれは「たまたま」なのだろうか。彼・彼女らがそのように語る背景を以下、見ていきたい。