『ものすごい言葉 次のリーダーのために』著者 多根清史氏インタビュー
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実在の政治家や思想家から漫画やアニメのキャラクターまで幅広い人物の名言が取り上げられている『ものすごい言葉 次のリーダーのために』(ソフトバンク新書)が刊行された。リーダーや指導者に関わる言葉を中心に集め、そして論じた内容となっている本書について、その狙いなどを著者の多根清史氏に伺った。
「苦い良薬」としての凄みを帯びた言葉
――『ものすごい言葉』では、指導者・リーダーに関する名言が中心として扱われていますが、その狙いを教えていただけますか?
多根清史氏(以下、多根氏)■名言本は「普通の人のより良い生き方」というのが本流となっています。今日という日が確かで、明日に不安がない時代はそれでもいい。しかし、失われた20年の後にある今となっては、現状に甘んずることは底の見えない深遠に引きずり込まれることを意味しかねない。
年収300万円でやりくりして当座を凌いでも、来年は200万、100万に落ち込む事態が杞憂とは言い切れない。名言は本能から生じた危機感を麻痺させ、安楽死を助ける「心の麻薬」であってはならないはずです。指導者は「今さえ凌げればいい」という考え方とは対極にいるもの。人々から指揮を任され、道しるべのない荒野で明日を探そうとした生きざまから発せられた言葉は、決して口当たりのいいものではない。
かといって、シニカルな現実を追認するだけでは人は付いてこない。しっかりと地に足を付き、這いずってでも明日をつかもうとするしぶとさ。その凄みを帯びた言葉は、容赦のない現実に打ちのめされ、夢見心地な名セリフにつかの間憂さを晴らす人たちにとって、「苦い良薬」になるのではないでしょうか。
――読んでいて、取り上げられている人物が幅広いと感じました。実在の政治家であるスターリンや大平正芳から、漫画のキャラクターである海原雄山のような人も挙げられています。これには理由があるのでしょうか。
『ものすごい言葉』
多根氏■読者の方々に入り口をたくさん用意する、ということですね。ドラマであれ小説であれ、ある物語を「自分の物語」として捉えられるきっかけは、まず感情移入できる人物はいるか、その中に自分を重ねられるキャラクターが居るかという点です。どれほど傑出した人物であれ、すべての人が共感できる資質を備えてはいません。
また、ある方面で規格外の人物は、それと引き換えに何かが欠落していやすい。列強を向こうに回して1歩も退かなかった政治家は、家族を顧みないろくでなしかもしれない。天下無双の剣豪は、人間関係の根回しをしているヒマがあれば素振りをしている「変人」ということもある。歴史上の偉人や賢人を偶像化せずに、幅広く俯瞰することで、長所と欠点を合わせ持つ1人の人間として相対化してほしいんですね。バイキング方式で「ものすごい言葉」をあれこれと摂取し、栄養のバランスを取りましょうと(笑)。
漫画のキャラには、そうした生のドラマは確かにない。しかし、何百万もの人々を魅了したベストセラーの人物たちは、作者の人格の欠片や、彼らが接した実在の人物、書物で触れた桁外れのキャラクターたちの息吹がいきづいているもの。我々の心に足跡を残したという意味で、彼らも会ったことがない過去の人物と同じぐらい「実在」していると思います。
――名言集が昨今多く出版されていますが、そのような傾向についてはどうお考えですか?
多根氏■読者サイドからいうと、向精神薬ではないんですが、摂り過ぎに注意というところでしょうか。明日を生きる活力をもらうため、「名言」を読むクスリにするのはいい。でも、名言本ばかり読みふけってニセの達成感に浸ってしまうのは危険です。後世に語り継がれ、広く人口に膾炙する言葉を発しているのは、何かを成し遂げた人物ばかり。お手軽に「真理」に飛びついて、自分の人生をただの道草だとすっ飛ばしてしまっては本末転倒でしょう。
また、書き手としては、名言は「劇薬」であることを自覚すべきではないでしょうか。名言の後ろには、実際に偉業をなした人生の重みがある。その七光りをかざして、筆者は「私が言った言葉じゃない」と無意識に逃げを打ってはいないか。発言者によっては相当偏ったこと、特殊なケースをあたかも普遍的なことのようにドヤ顔で言ってる場合もある(笑)。そこを無批判にスルーして、神棚に祭りあげてはいないか。批判すべきは批判し、その言葉が発せられた背景を解説した上で、読者に判断を委ねる。執筆中、そのように自問自答を繰り返しましたが、狙い通りに仕上がっていれば幸いです。
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