0
会員になると、いいね!でマイページに保存できます。
日立ハイテクノロジーズではグローバルIT戦略の一環として全社的なIT基盤の統一を図ってきた。それを成功に導いたのは、小さく始めて大きく育てるアプローチだったという。日立ハイテクノロジーズの情報システム推進部 ERP推進グループ 部長代理である卜部良基氏へのインタビューをお届けする。
|
日立ハイテクノロジーズ 卜部良基氏 |
卜部良基氏
(Yoshimoto Urabe)
日立ハイテクノロジーズ
情報システム推進部
ERP推進グループ
部長代理
1982年に大学卒業後、日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)入社。
1999年~2002年にドイツ駐在。
2002年4月より、情報システム推進部ERP推進グループ部長代理に就任。
早期にERPビッグバン導入へ始動
2001年10月、グローバルなネットワークを持つ日製産業の商社機能と、世界トップレベルの技術力を有する日立製作所の計測器グループ、半導体製造装置グループのメーカー機能との統合により誕生した日立ハイテクノロジーズ。事業統合により、計測器および半導体製造装置事業を含めたナノテクノロジー事業における製造・販売・サービスの一体化を実現し、その名のとおり、最先端の技術分野を舞台としたハイテク企業として、さまざまな分野で事業を展開している。
1982年、同社の前身となる日製産業に入社し、当時配属された業務部門でそのITとのかかわりをスタートさせることになった卜部氏。今でこそ情報システム推進部ERP推進グループの部長代理として全社的なITプロジェクトを主導する立場にあるが、当時はワープロが課に1台あるかないかの時代である。コンピュータに詳しいスタッフもほとんどいない中、事務のOA(オフィスオートメーション)化の流れを受けてプロジェクトに投入されたのを機に、その後も数々のプロジェクトを推進してきた卜部氏は、「自らが手がけたプロジェクトの改善効果を通じて、非常にクリエイティブな面白い仕事だなと感じた」と言う。情報システム部門での開発・運用経験だけでなく、むしろ販売、経理など、企業の根幹となる業務をエンドユーザーの立場で長年経験してきたことは、卜部氏の大きな強みでもある。その強みを生かして主導してきたのが、同社のERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)ビッグバン導入プロジェクトだ。
小さく始めて大きく育てるアプローチが勝因
同社はグローバルIT戦略の一環として、1995年頃から全社的なIT基盤の統一に向けて検討を開始。これは、メインフレームを撤廃し、オープンシステムに完全移行するという大規模なプロジェクトである。ERPという概念すらまだ十分に浸透していなかった時期に、同社は早くもERPの先駆けであるSAP R/3に目をつけた。評価にあたった卜部氏は、当時の印象を次のように話す。
「よくこれだけの業務をひとつのパッケージにまとめたなと思いました。設定によっていろんな機能を実現でき、機能間の連携を実にうまくやっているなと。我々がメインフレームでやれば3~4年かかることを、ひとつのパッケージで実現しているのだからすごい。」
SAPの導入を決定した同社は、あえて日本からではなく、海外からの段階的な導入アプローチを選択。アメリカの現地法人がすぐ使えるパッケージを求めていたこともあるが、理由はそれだけではない。
「いきなり日本で導入するにはビジネスプロセスのギャップが大きく、現場の抵抗感も大きいだろうと判断したのです。組織もそれなりに大きくなりつつあり、それを抑え込むのにかなりの時間がかかることも予想されました。日本人は細かいところまで気にしないと許してくれませんから、日本からスタートするとどうしても(プロセスが)重くなる。アメリカなら本社より規模も小さく、よりシンプルなビジネスプロセスでいけるだろうと。
日本は慣れ親しんだ環境を『変える』ことに非常に抵抗を示します。アメリカはもっと実利的で、画面が変わってもやることは同じ、慣れの問題だと思ってくれるんです。新しいものを受け入れる感覚が一番優れていると思います。」
こうしてアメリカでの導入経験をもとに、ヨーロッパ、シンガポール、そして最後に日本へと展開。特に大きな混乱もなく、2003年3月には日本での本稼働を迎えることができた。卜部氏は言う。
「最初から大風呂敷を広げると、あとで閉じられなくなることも考えられます。プロジェクトを計画する際には、小さくシンプルにスタートして大きく育てていくようにしています。」
このポリシーこそが、同プロジェクトを成功に導いたといえる。しかし、文化が違えばIT導入に対する理解の示し方も異なるとはなかなか興味深い。
もちろん日本での導入にあたっては、メインフレームのシステムにあってSAPにない機能をどこまで取り込むか、その切り分けにはかなりの労力を費やした。現場のニーズにも耳を傾けつつ、EDI(電子データ交換)、旅費精算、帳票、業界独自の非常に細かい管理を必要とする材料取引のソリューション、この4点の移行に注力した。特に日本の帳票文化を変革するのは容易ではなく、月間30万ページにも及ぶ出力を3万程度に削減できたものの、完全なペーパーレス化が難しい現状もある。また、外部の取引先も含めたEDI連携のテストには膨大な時間を要した。
関連タグ