- 2020/01/11 掲載
肺がんステージ4を宣告された僕が「死に直面して」教わったこと
ステージ4の肺がんと診断された日
「病気の名前は、肺がんです」2016年9月1日、人生が変わった。都内にある大学病院の狭くて薄暗い廊下から診察室に入ると、白衣を着た医師が座って待っていた。
「えー、こんにちは、担当をさせていただきます、か・け・が・わ、と申します」
眉間に深いシワが刻まれ、苦悩が顔に張り付いたような50代半ばの男性だった。
「刀根です。よろしくお願いいたします」
「えー、検査の結果なのですけれども……」
掛川医師は言葉を選びながらも、僕の肺の状況を淡々と、そして詳しく説明し始めた。
「これ、あなたの左胸です。ここのところ、ちょうど鎖骨のちょっと下あたりに1.6センチほどの影が写っています。これですね」
彼の指差すCT画面には、他とは明らかに違う白い塊が写っていた。
「それと肺の中の空気の通り道というのがですね、この真ん中の黒くなっているところなんですけれど」
と言って胸の画像で真ん中に黒く写っている通り道を指差した。
「これが右と左の肺に分かれていく、2本に分かれていくちょうどこの小股のところに、赤いところがあります。ここも怪しい」
彼の指差した分岐点が不気味に淡い赤色を放っていた。
「僕の場合、進行が早いんですか?」
「それはわかんない。わかんないです。ただ、えー、偶然の機会に見つかったものですでにリンパに入り込んでいると考えますと、進行がんではあります」
「5年生存率は?」
「4期として考えますと、3割」
「3割……」
「ということになろうかな。ただもうそれはお薬によって全然変わってくる。どのお薬が使えるかによって」
「手術はしなくても大丈夫なんですか? これを取るとか?」
「しない」
掛川医師は断固として言った。
「してもしょうがない?」
「しょうがないんじゃなくて、しないほうがいい」
「それはどうして? 身体に負担がかかるから?」
「そうです。私たちは取れるもの、取りきれるものが手術の対象なんです。リンパの流れに入っているということは、全身に、見えないとこに、顕微鏡でしか見えないようながん細胞が血管、もしくはリンパの流れに入り込んでいると考えます。ですから病期によっては手術の終わった後に抗がん剤の治療をね、追加するということもあります」
「んー」
僕は父から手術をしたほうがいいと言われていた。父は何度も手術ができないか確認してくるように僕に釘を刺していた。手術をすることが一番安心だと思っていたのだろう。掛川医師は話を続けた。
「最初からわかっている場合には、手術はしないほうがいい」
「最初から抗がん剤でやったほうがいいということですね?」
「そう」
「このまま何にもしなかったら、どうなっちゃうんですか?」
「今、想像できることはですね。症状として現れるものの一つとして、骨のところが痛くなってくると思います。それとリンパに入り込んでいる場所が空気の通り道の脇なので、咳が出ると思います」
「咳は時々出ていますね」
「病気による咳の場合は止まりません。時々ってレベルじゃなくなってきちゃうと思います」
「……」
「進行するとね。胸に水がたまってきます。そうすると息苦しくなってくる、というようなことが出ると思います。だから治療はしたほうがいいと思います」
「治療しなかったら、どのくらいで死んじゃうと思います?」
「んー、どんぐらいでって言ってもね……。それは神様しかわからないです。ただ、比較的まだわかった段階がひと月なので、なんとも申し上げられないんだけど、最初の月を入れて三カ月以内になんらかの症状が出ると思われます」
最初からずっと室内にいた若い研修医が僕を悲痛なまなざしで見つめていた。きっとなんて言葉をかけていいのかわからなかったのだろう。だが、なぜか腹が立った。肺がんステージ4の宣告をするときの実例にされてしまったような気がしたからかもしれない。
診察室を出て暗い廊下を通ると、古い長椅子に咳き込んでいる人たちがたくさん座っていた。「こほこほこほ」「げほげほ」ひっきりなしに咳が聞こえる。みんなこんなに咳をしていたっけ? 目の前に広がる世界が冷たいモノトーンのように、僕には感じられた。そこは診察室に入る前と、明らかに違う世界になっていた。
病院を出て電車に乗ると、僕は急に落ち着きを失った。スマホでステージごとの生存率をネット検索すると、指が震えていることに気づいた。ステージ4の5年生存率は掛川医師の話と違い10%以下だった。1年生存率が30%だった。気を遣ってくれたのか……。1年以内、死ぬ確率が70%……。目の前が暗くなった。
がんによって何を得て、どう変わったのか
この話を掛川医師としたのが2016年9月。そこから2017年7月20日までの323日間にわたり、僕の身に不思議な奇跡が起きた。その全記録については弊著『僕は、死なない』に譲り、ここでは、ステージ4のがんにかかった立場から、僕ががんとどう向き合ったのか「生還への道」の一部を紹介していこう。さて、2020年現在、幸いなことにがんは再発することなく、今日に至っている。体重も6キロほど戻り、あの骨と皮のようだった身体にも筋肉と脂肪が戻ってきた。先日、定期健診のときに主治医の井上先生に聞いてみた。
「先生、今、僕の身体にがんはないと思うのですが、これは寛解(注:全治とは言えないが、病状が治まっておだやかであること)ではないのですか?」
「そうですね。極めて寛解に近い状態、まあ寛解と言っていいでしょう」
井上先生はそう言って嬉しそうに笑った。そう、今、僕の身体の中にはがんの影は全くない。体力的な理由でボクシングのトレーナーは辞めたけれど、研修講師の仕事はまたできるようになった。
ふと、街中を歩いているとき、闘病中のあの息苦しさを、階段を上っているとき、あの股関節の痛みを、電車に座っているとき、あの坐骨の痛みを思い出すことがある。平穏な日々を過ごすなかで、懐かしいような痛みとともに、ある疑問が頭にまたたくことがある。がんの宣告を受けてからがんが身体から消えるまでの11か月間の、あの筆舌に尽くしがたい体験はいったいなんだったんだろう、と。あれはいったい、なんだったのか?
あのとき、まるでロールプレイングゲームのように次々にステージが変わり、そのたびに多くの人と出会い、多くの体験をした。僕はがんによって何を得て、どう変わったのだろう。がんは僕にどんな景色を見せたかったのだろう。僕の〝魂の計画〟は何を経験したかったのだろう。
僕がたどってきた道を思い起こすと、暗闇の中の細い糸の上を歩いてきたように思う。この1本の糸がどんなプロセスだったのか、僕の体験を僕なりに振り返ってみた。
肺がんステージ4宣告で「恐怖」に心をつかみ取られた
肺がんステージ4の宣告を受けて、僕は眠れなくなった。恐怖に心をつかみ取られてしまった。頭の中では医師の顔が浮かび、声が鳴り響き、死の不安に取り憑かれた。僕の心の中は死の恐怖でいっぱいになってしまった。この状態は苦しい。がんの宣告を受けた方は、おそらく皆こういった経験をされているのではないかと思う。幸いなことに僕は心理学の知識があったために、この恐怖を心の外に出すことができた。ジェンドリンという心理学者が開発した心理療法に「フォーカシング」というものがある。身体の中にある言葉にできない〝感じ〟をキャッチし、言葉に変換して身体から排出する方法だ。
僕は枕に顔を押しつけ、身体の中を走り回っている感情を言葉にして叫んだ。大声で、最後の1滴まで残さないように、叫んで叫んで、叫び尽くした。叫び終わった後、心地のよい疲労感とともに、心の中にゆとりが生まれた。今まで心の中のほとんどのスペースを占めていた〝死の恐怖〟が身体の外に排出された。心の中に隙間ができることで、ゆとりが生まれたわけだ。
こうして僕は肺がんステージ4という大きな壁に、やっと冷静に向き合うことができるようになった。僕は思う。恐怖を抱えたまま前に進むのはしんどい。恐怖に首根っこをつかまれたままでは、前に進めない。これはがんだけでなく、全てのことに言えると思う。自分の中に恐怖や不安、あるいは重苦しい何かがあるとき、それを心の外に出すこと。
それは絵として紙に描いてもいい、文字にしてもいい、言葉にしてもいい、叫んでもいい、何かを叩いたり蹴ったりしてもいい、投げつけてもいい、とにかく自分の中にある「ネガティブな感情エネルギー」を外に出すこと。それがきちんとできていないと、足がすくんでいいスタートを切れない。
【次ページ】目の前に危機が迫ったとき、人間が取る行動は2つだけ
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