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緊急事態宣言下、日々の生活に必要なものを求めて人々が真っ先に駆け付けたのがスーパーマーケットやコンビニエンスストアでした。たくさんの商品が置かれている光景を見て、安心感を覚えた人も多いのではないでしょうか。イオングループの生みの親、岡田 卓也氏は「小売業は平和の象徴」と表現しています。店を開き、お客さんが買い物に来てくれる──そんな当たり前の社会生活を目指し、奔走した岡田氏。国内外300社を抱え、日本を代表する同社の基礎には、岡田家の家訓がありました。
老舗呉服店の7代目として生まれて
岡田 卓也氏は1925年、三重県四日市で1758年に誕生した岡田屋呉服店の7代目として生まれています。先祖は三河武士で、治田郷で鉱山開発の責任者をしていましたが、鉱山が枯渇したことで武士を捨て、四日市で商売を始めたと言われています。
「岡田屋の初売りに並ぶお客さまの行列の長さで、四日市周辺の景況感がわかる」(『小売業の繁栄は平和の象徴』p23)と言われるほど地元に根付いた老舗だけに、5人続けて女の子が生まれた岡田家にとって、岡田氏は待望の跡継ぎでした。
岡田氏は父・六世惣右衛門を2歳、母・田鶴を10歳でと早くに両親を亡くしています。ですが、大切な跡継ぎだけに岡田屋の店員や姉たちに大事に育てられたおかげで「あまり寂しいとは思わなかった」とのちに語っています。岡田屋の歴史や、その後のイオングループの経営にもつながる岡田屋の「家訓」なども店員や姉たちから教えられています。
学生時代の岡田氏は、試験の成績を教室に貼りだすことに反発して、仲間と一緒に紙を破り捨てたり、修身の試験に白紙で出すなど「富中の岡田」と呼ばれる少し問題児でした。運動は大好きで小学校では少年相撲、中学では野球部でキャッチャーを務めています。
大学は父親と同じ早稲田大学に進んだものの、学徒出陣で在学中の1945年3月に和歌山県の橘部隊に入隊、鉄拳制裁やこん棒で頭をぶん殴られるという経験もしています。物資も乏しく、心もとない日々だったと語っています。
戦時中、岡田屋呉服店を守った姉・千鶴子
その間、父親、母親、そして一番の上の姉も亡くなった岡田屋を懸命に支えたのが、2番目の姉の千鶴子氏でした。
千鶴子氏は岡田氏が14歳の時に23歳の若さで岡田屋呉服店の代表取締役に就任し、戦時中の経済統制下に家業を守り抜いています。当時をこう振り返っています。
「私が岡田屋を引き継ぎ大変でしたねという人があるが、一口でいえば生きることで一生懸命でした。バカな時代でもありましたね。贅沢は敵だといって、西陣織の金糸、銀糸を抜き販売したものでした。戦後間もない頃には売る品物がない。京都にちり紙があると聞けば買いに行きました。名古屋の堀川に木材があるのでそれを買って下駄をつくって売りましたところ乾燥不良で下駄が反って全部返品になったことがあります」(『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』)
1945年6月、激しい空襲に遭い四日市市は焼け野原となり、戦争中、千鶴子氏が懸命に守った岡田屋呉服店は、土蔵だけを残して焼け落ちてしまいました。
千鶴子の一言で乗り越えた戦後の危機
同年9月、四日市に戻ってきた岡田氏は大学に復学届を出すとともに、姉の千鶴子氏や叔父たちとともに店の再建に取り組むことになりました。
店もなければ、売るものもありませんでしたが、岡田氏と千鶴子氏は岡田屋の商品券を持っている人には現金を返すことを決断。仕立てなどの預かり品は、京都で買い求め、すべて現物で弁償することで岡田屋の「のれん」を守っています。
あちこち探し回ってやっと見つけた材木をリヤカーいっぱいに積んで引いてくるなど、自らかき集めた資材で1946年3月、岡田屋呉服店は開店にこぎ着けますが、その少し前の2月に行われたのが新円切り替え(注1)でした。
注1:戦後のインフレ進行を阻止するために政府が行った施策。5円以上の日本銀行券を強制的に金融機関に預け入れさせ、既存の預金と共に封鎖、生活費や事業費などに限って新銀行券による払い出しを認めるという非常措置。
この時、第一次世界大戦後のドイツ、ワイマール共和国での狂乱インフレについての知識を持っていた千鶴子氏は、年明け早々に「今ある現金でどれだけでもええから商品を仕入れなさい」(『小売業の繁栄は平和の象徴』p37)と指示。
1月に手持ちの旧円で大量に仕入れた商品を新しい店で販売したことで岡田屋呉服店にはたくさんの新円が入っています。岡田氏はのちに「もしこの時、商品を仕入れず、旧円を後生大事に抱えていたとしたら、岡田屋はどうなっていたか分からない」と胸の内を明かしています。
千鶴子氏はその後も同社の人事部門を担当、「教育は最大の福祉なり」(『小売業の繁栄は平和の象徴』p79)という信念を貫く「ジャスコの精神的支柱」だったと岡田氏は評しています。
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