天才プログラマー登氏に聞く、日本が「海外に負けないICT技術」を生み出す方法
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テレワーク難民を救った「シン・テレワークシステム」
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う未曾有の緊急事態宣言。人流抑制を図るため、企業や自治体は急きょテレワークの導入を迫られた。だが、技術やコストなど、いくつもの課題を乗り越えなければならず、環境構築に苦慮した企業も少なくない。そんな中で登場したのが、2020年4月から運用を開始した「シン・テレワークシステム」だ。無償で即日利用可能なこのシステムは、企業を含めて15万人のテレワークを支えている。開発したのは、NTT東日本と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)だ。同システムの派生物である自治体テレワークシステムは、400の市町村で最大4万人が利用している。
ごく短期間で、しかもわずか65万円の費用で開発したとされ、IT業界の常識からすれば考えられないことである。
これを可能にしたのは、全世界で500万ユーザーを有するオープンソース「SoftEther VPN」をベースとなるシステムに採用したこと、そしてその開発者でもある登 大遊氏の尽力によるところが大きい。
メディアが「天才プログラマー」と呼ぶ登氏は、筑波大学産学連携准教授を務めながら、NTT東日本の特殊局員、IPAサイバー技術研究室長という肩書も持つ。登氏が「SoftEther VPN」の開発を始めたのは、筑波大学在学中の17年ほど前のこと。それからの積み重ねがあったからこそ、コロナ禍で迅速に「シン・テレワークシステム」を作ることができたという。
登氏は、「OS、クラウド、通信、セキュリティなどのプラットフォーム技術や産業を自ら生み出せるICT人材がいないことは、産業面、行政面、またサイバーセキュリティや安全保障面からも日本の大きな問題です」と危惧する。
では、企業や行政などはどのようにして人材を育成すべきなのか。登氏の考えを聞いた。
日本のICT産業は江戸末期状態
登氏はまず、日本のICT産業の現状について次のように指摘する。「日本はこれまで、造船、鉄鋼、自動車、半導体など、色々な産業技術で世界トップになってきました。すべて自国で思いついたのではなく、西洋から輸入した技術をもとに、試行錯誤を繰り返して、いつの間にかオリジナルよりも優れたものを作ることができるようになったわけです。日本が科学技術において、他の国より早かったことはほとんどなく、30年遅れるのは当然です。日本のICTは江戸末期のような状態です。遅れているとの批判もありますが、他の分野でも遅れるのが当たり前だったわけですから、あまり心配する必要はないのです」(登氏)
現在では、アマゾン ウェブ サービス、グーグル、マイクロソフトといったクラウドのメインプレイヤーも外資系だ。これらの技術を使って、日本の重要なシステムが動いている。
これを登氏は船にたとえ、「他の国から買ってきた船舶で事業をしている段階です。このままでは大きな戦艦を作って戦争に勝つことはできないわけです。自国で造船場を作らないといけないのです。やはり遅れているものの、他の産業と同じく最後には洗練されて外国に出て行き、喜ばれて使われるようになるでしょう」と話す。
そして、OSやサイバーセキュリティも、日本で作ることができれば国際競争力の低下や国内の経済問題を解決できるだろうと期待をかけている。
“いたずら”を怠らない組織が成長する
こうしたものを作るには、プログラムコードが必要だ。世界レベルの製品を作るプログラマーの頭の中は、「カオスでもなく単純でもない、すごくギリギリのところ」になっていると登氏は語る。ところが管理者は、「わかるように説明しろ」「属人化を排除しろ」と求め、実験的な取り組みを「ガバナンス上問題がある」と禁止する傾向が強まっている。「ゼロリスクもカオスも、最終的に破綻します。ゼロリスクは、イノベーションが起こらず、必ず破綻します。“いたずらレベル”が0だと崩壊するのです。“いたずら”を決して怠らない健全な組織がどんどん成長します。マイクロソフトやアップル、UNIXそのものの開発者の伝奇や論文を読むと、いたずらをぎりぎりの線でやっています。それ以上やるとカオスに差し掛かって破綻する直前のところを狙っているのです」(登氏)
だが登氏は、日本企業も同じようにギリギリを狙う必要はないと語る。絶妙なバランスを保つ中庸的なところを取るのが正解だというのだ。それは、日本人は組織病のせいで出せるべき力の10分の1しか発揮できていないからだという。「海外の ICT 先進国は本気で最高率でやってあの程度です。我々日本人は普段から10分の1の力くらいでやっていて、何とかやっているので、本気になれば10倍出るものと思います。外国をあまり恐れる必要はないと思います」と登氏は話す。
マイクロソフトやアップルも、たどると“あそび”がある
登氏は筑波大学1年生時の2003年に、“インチキあそび”として「けしからんソフト」のSoftEtherを作った。すると「VPN性能が強すぎる」「簡単すぎて危ない」「自治体システムの一方向ファイアウォールを貫通した」といった理由から、セキュリティ上悪影響だという意見が経済産業省に寄せられる。同省は登氏に、配布停止を要請する事態となった。しかし、その後2007年には、配布停止を要請した経済産業省から大臣表彰を受けることになる。さらに2020年には、「SoftEther VPN」と「シン・テレワークシステム」の研究開発に対して総務大臣表彰を受けた。
自律的なコンピューターネットワークの実験環境を自力で勝手に構築しようとすることを黙認し、その環境の上で彼らが自由に技術開発できるようにすれば、自然に人材が育ち、技術が生まれる。それが登氏の考えだ。
「ビジネスにつながらなくても、“あそび”でやっていることがすごく重要です」と登氏は話す。マイクロソフトやアップルなども、創業や技術の歴史をひもといていくと、“あそび”や“いたずら”から始まったエピソードに行き着くのだという。
エンジニアが本当に学ぶべきこと
製鉄は、原材料を投入して高炉の中で複雑な反応が起きて生成物ができる。高炉に相当するのが生産手段であるが、ICTの場合は、いくらサーバを買ってきても作れない。「人間の頭脳でお金を知識に変えて、知識を頭脳に変えて、蓄積して自分たちの思考回路を書き換える必要があります」と登氏は説明する。日本人はソフトウェアや通信だけを勉強しようとするが、登氏はそれでは不十分という仮説を立てる。
「経営、工学、政治、法律、哲学、生物、化学、物理と、全然関係ないようなものを全部読む必要があります。そうすると、コンピューターとまったく関係ないように見える政治的なシステムや、哲学の色々な概念の中に出現するトポロジとコンピューターの中のシステムソフトウェアの中のトポロジには、相似形があることがわかります。したがって、ソフトウェアを開発していて困った時にヒントが生まれるつながりは同じなのです。だから無関係と思われる異なる分野について知っていれば、ソフトウェアの複雑な構造を思い浮かべるときに、非常に有利だと思います」(登氏)
インターネット、コンピューターを支えている仮想化、仮想メモリ、OSの仕組み、セキュリティなどの仕組みを、当時の発明者たちが1から思いつくことは無理だったはずだと登氏は推測する。「彼らはエンジニアのふりをして、他の勉強をしていたからこうした発想をし、実現できたのだと思います」と話す。
「アヘンを吸うな、頭脳を使え」
もう1つ登氏が主張するのは、「アヘンを吸ってはいけない」ということだ。これは、「問題から目を背けて、頭脳を使わずに今までのやり方を繰り返すな」という意味だ。「既製品を買ってきたり、従来のルールに基づいて実行したり──こうした組織やビジネスは長続きしません。世の中が変動して複雑性を増す時にそれを続けると、過労死するか、または“おっさん”になります。おっさんは自分がアヘンを吸って、ほかの社員にも勧めてくるのですが、実際のところ仕事はしていません。会社の問題でもありますし、各個人の人生の問題でもあります」(登氏)
それを踏まえて登氏は、もう1つの選択肢を示す。
「問題に直面して、複雑な新しいやり方を発案する、すごく苦痛を伴う“頭脳を使うという方法”があります。これが先ほど説明した頭脳の強化によって、できるようになるのです。アヘンに対応する言葉で、私は“かぶれ”と呼んでいます。日本のICTは結局、本質的につらいことをやっていないのです。OS、ネットワーク、セキュリティ、クラウド技術といった現代社会の基礎を作ってこられた世界中の方々は、みんなつらいことをやっているのです。問題に直面して頭脳を使って自分たちで考え、解決してきたのです」(登氏)
では、明日からどうすれば「かぶれ」に向かう道を進むことができるのだろうか。登氏は、普通の10倍の生産性を実現する必要があると話す。
「ちりも積もれば山です。1つあたり50%の生産性向上が見込めると考えれば、約20項目で10倍ぐらいは上がるのではないかと考えています」と登氏は話し、下図のように具体的な生産性向上につながる工夫を例示してくれた。
「90年代にインターネットで色々な“あそび”を通して勉強した人が、今の日本のICTを支えています。我々よりももっと若い世代がこれから育つ環境を整えることで、これから30年間の日本におけるICTとセキュリティ技術の生産手段を産業化できると思います」(登氏)