• 2021/07/31 掲載

「不安一掃へ必要だった」=独自の緩和提案―西村元日銀副総裁

時事通信社

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日銀が、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が日本を襲った2011年1~6月の金融政策決定会合の議事録を公表した。西村清彦・政策研究大学院大学特別教授は当時、副総裁として4月28日の会合に臨み、震災直後に続く2度目の金融緩和を独自に提案。結果は否決されたが、西村氏は今でも「不安心理の変化へ必要だった」と振り返る。未曽有の危機下での政策判断について聞いた。

―4月に資産買い入れ基金増額を提案した理由は。

地震と津波に続き、原発をめぐる問題が大きくなる中で、日本の将来に対する(社会の)全体的なマインドが大きく悲観に傾いた。このマインドを変えることが極めて重要だった。単に基金を増額するだけでなく、「日銀はあなたたちとともにあるんだ」という状況を作り出すことが必要だった。

―1対8で否決された。

3月に増額した効果が分からないのに、なぜ必要なのかという意見があった。過去の震災の経験から、(生産や物流の混乱による)供給制約が解消するにつれて経済は元に戻るという「ウィッシュフル・シンキング(希望的観測)」も強かった。結果的に7月以降、追加緩和せざるを得なくなった。今でも(提案は)正しかったと思っている。

―5月会合では再提案しなかった。

短期的には(個人消費などが)少し戻ったように見えたので矛を収めることは論理的に正しかった。だが、それ以上に私は副総裁であり、執行部としての責任があるので(全体の方針に)反対を続けることには慎重にならざるを得なかった。

【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答える元日銀副総裁の西村清彦氏=27日、東京都港区

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