- 2010/12/22 掲載
【山本貴光氏インタビュー】コンピュータという道具をもっと身近に感じるために(2/2)
『コンピュータのひみつ』著者 山本貴光氏インタビュー
大切なのは“目標”設定
――インターネットの登場前と後でコンピュータの大きく変わったことも本書では書かれていますし、科学技術の発展に応じてコンピュータそのものの仕組みが変わっていくのであろう、ということも記されています。山本さんとしては今後どのような変化を期待なさっていますか?山本氏■ハードに関していえば、それこそ量子コンピュータや並列化のようないろいろな技術が今後とも開発されていくと思います。言うなれば、処理速度の向上と記憶の効率化の問題ですから、技術的にどこまで進められるかという話です。これはこれで刮目していきたいと思います。他方で、そうしたハードを使うためのインターフェイスをどうするかが大きな問題だと思っています。インターフェイスとは、ユーザーがコンピュータに対して命令を与えたり、コンピュータからの報告を受け取る入力装置や画面などのことです。大雑把に言えばハードとソフトの2つの側面があります。
ハードのほうは、NintendoDSやiPhoneやiPadで普及しているタッチパネルや、Xbox360用のキネクトのように身振りだけで入力する装置、もう少し先端的な話ではブレイン・マシン・インターフェイス(脳波による入力装置)といったデバイスの話があります。これもまた技術の進展によって、いろいろな工夫が施されていくでしょう。問題はソフトのほうです。とりわけ画面表示を中心としたOSやソフトのインターフェイスです。いまは、ユーザーがOSやソフトの複雑な使い方をなんとか覚えるという方向で使っていますが、必ずしも覚えやすくはないし、手放しで使いやすいと言える状態でもありません。最大のネックは、使い手次第で、同時に複数の命令を受け付けられるようにしてあるデザインです。
もちろんこの仕組みは、すでに使い方をマスターしている人にとっては便利です。でも、いろいろな人のコンピュータの使い方を観察していると、初心者ではこれが壁になることが少なくないのですね。ゲームを作るときにも、こうしたインターフェイスの設計には毎回悩まされます。それだけに、とても気になるところなんです。ここでは詳しく述べる余地はありませんが、このインターフェイス設計の問題は、人が新しい知識をどう学び、習得するかという学習や教育の問題にも深く関わっていて、まだまだ工夫や革新の余地があると見ています。これは、人々がコンピュータをもっと面白く使おうと思えるようにするためにも、大事なポイントだろうと思っています。
――プログラムについて触れている箇所で「コンピュータに何をさせたいのか」という“目標”を設定することが大事と書いてある点が非常に興味深かったです。これはプログラム以外でも当てはまるお話のように感じますが。
山本氏■おっしゃる通りだと思います。ソフトウェアが少なかった時代は、パソコンに何かさせようと思ったら、そうしたソフトを自分で作るのが当たり前だったので、「コンピュータに何をさせたいのか」ということは、あまり問題になりませんでした。いまはコンピュータが当たり前のようにいろんな場所にあるので、その辺りがちょっと分かりづらくなっています。中には「とりあえずパソコンを使ってみようか」という関心から手にされる方もいると思います。インターネット上には、テキストや動画や音楽をはじめ、無数のデータが蓄積されていますし、用途別にいろいろなアプリケーション・ソフトも揃っていますよね。それだけに、とくに目的を持っていなくてもなんとなく使えます。もちろんそうした使い方で問題はありません。
でも面白いことに、コンピュータほど使い手の態度や欲求が問題になる道具もないのですね。ほかの道具なら、あらかじめ用途が絞られています。だから、車を使おうという人なら、いざ使うときになって「はて、何をしたらいいか分からない」ということはありません。洗濯機で何をしようかと迷う人もいません。でも、コンピュータはそこが決定的に違います。言えば当たり前のことなんですが、いろんなことができるし、用途は限定されていないわけです。道具の側で用途を限定していないということは、使い手が決めてくれということです。コンピュータは、使い手が何かをしたいと思うことで初めて使える道具です。じゃあ、自分なりに使おうということになるわけですが、ここでコンピュータをどの程度理解しているかということが壁になります。理解の程度に応じて使いこなせる度合いも変わるからです。
理解の度合いが低いと、誰かが用意した仕組みを使う段階にとどまらざるを得ませんが、せっかくこんなに面白い道具なのだし、もっといろいろ活用しませんか、とお誘いしたいと思うのです。とはいえ、受け身的な使い方の段階を抜けて、もっと能動的に使うためには、やはりある程度コンピュータの中身を理解する必要があります。今回は、「コンピュータについて、とりあえずこれだけ押さえておけば、あとは応用できる」というコンピュータ理解のサヴァイヴァル・キットのような本を作りたいと思ったのでした。この本で提案した「コンピュータの見立て方」というのは、コンピュータという装置全体を見通すためのミニマム・エッセンシャルズなのです。
――『コンピュータのひみつ』や『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『ゲームの教科書』(共著、ちくまプリマー新書)など、デジタル関係のお仕事が多い一方で、山本さんは『心脳問題』(共著、朝日出版社)や『問題がモンダイなのだ』(共著、ちくまプリマー新書)などの人文学とも関わる領域でも旺盛に活躍なさっていると思います。今後のお仕事のご予定や、これからの“目標”をどう設定なさっているかお教えいただけますか?
山本氏■目下はエリック・ジマーマンとケイティ・サレンの共著『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンク クリエイティブより上下巻で刊行予定)の翻訳に取り組んでいます。これはコンピュータ・ゲームにとどまらず、ゲーム全般について、より面白いゲームを作るにはどうしたらよいかということをいろいろな角度から論じた実践的なゲーム・デザインの教科書です。差し当たっては同書を無事に出すことができたら、いったんコンピュータやゲーム方面の仕事は一段落したいと思っています。
別の方面では、ここのところ「新たなる百学連環」と称して、メソポタミアや古代エジプトなどの古代文明からこちら過去5000年分くらいの学術(学問と技芸術)全体の歴史がどう変遷してきたかということについて考えています。「百学連環」というのは明治の啓蒙思想家の1人、西周が西洋の学術全般について講義した際のタイトルです。昨今の経済状況の影響か、大学のような場所でも分かりやすい実用性に目が行きがちであるような印象を持っています。哲学や文学を典型とする人文学の規模縮小や衰退はその現れでしょう。同時に、さまざまな領域で専門分化が進んで、畑違いの人同士の話が通じにくい状況も深刻化していると思います。数学や物理がちっとも分からない文系研究者や哲学や歴史の素養を欠いた理系研究者はその例です。
この2つの傾向は、要するにある種の合理性を目指す動きだと思うのですね。実用重視というのは、身もふたもないことを言えば「それでいくら儲かりますか」という経済合理性の追求ですし、専門化というのは、差し当たって自分が選んだ領域だけをやってあとは捨てるという効率面での合理性の追求です。でも、「そんな合理性で大丈夫か?」と人ごとながら心配にもなります。もっと長い目で見た合理性というのもあるのではなかろうか。といっても、これはいまのところ感じや勘のようなものに過ぎないので、それならというので、西周のひそみに倣って、まったく及ばずながら世界の学術5000年史をできるだけ鳥瞰してマッピングしてみようというわけです。
しばらくは、これを無限遠にある目標と思って、いろいろやっていこうと画策しているところです。近いところでは、雑誌『考える人』(新潮社)で文体をめぐる連載を始めますので、ご覧いただければ幸いです。このたびは、ありがとうございました。
文筆業・ゲーム作家。1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。コーエーでのゲーム制作を経てフリーランスとなる。著書に『ゲームの教科書』(馬場保仁との共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満との共著、ちくまプリマー新書)、『心脳問題』(吉川浩満との共著、朝日出版社)など。共訳書にジョン・R・サール『MiND 心の哲学』(朝日出版社)がある。コーエーで企画者/プログラマーとして携わったゲームは『That's QT』『戦国無双』『三國志VII』ほか多数。
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