売上9割減、星野リゾート情シス部門の“生き残り”をかけた5つの取り組み
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わずか4名だったIT部門、現在は30名を超えるチームに成長
1914年、長野県軽井沢に最初の旅館を開業し、今年で107年を迎えた星野リゾート。ラグジュアリーな滞在を叶える「星のや」や温泉旅館「界」、ファミリーリゾート「リゾナーレ」、都市観光を楽しむ「OMO」、ルーズで新しいホテル「BEB」など、多様なサービスを展開する同社では、事業の成長とともにITシステム管理を担う情報システムグループのあり方も大きく変容してきた。情報システムグループ グループディレクター 久本 英司 氏は、次のように話す。「数年前は、わずか4名の社内スタッフとパートナーメインの体制でした。しかし、DXを実現するには自前化(=内製化)しかないという信念の下、現場からの異動、中途キャリア採用を積極的に行ってきたことで、今では総勢30名越えの社内でも有数のビッグチームとなっています。メンバーは軽井沢、東京、京都を拠点に活動中です。昨年からはエンジニアの採用も積極的に行い、システムの内製化をさらに進めています」(久本氏)
現在は、開発・改善・インフラ構築・運用など、幅広いタスクを自社で行う体制を構築しているという。同社が、ここまでITの自前化にこだわった理由は何か。また、ITの自前化を進める過程で起きた新型コロナウイルス感染症に、同社はどう対応したのか。
売上9割減、“生き残り”をかけたIT部門の5つの取り組み
星野リゾートの2020年は、忙しい年になる予定だった。過去最大の新規開業を控え、新たな顧客体験を実現するソリューションの導入、宿泊予約基盤システムの再構築など、新規プロジェクトが多数計画されていた。コロナ禍の影響も3月までは限定的だった。ところが、4月の緊急事態宣言で一気に緊張感が高まり、インバウンドゲストが99%減になり、各施設の売上も9割減にまで落ち込んだ。
「同業者の破綻が増える中、代表の星野佳路より『18カ月の生き残り戦略』が発表されました。創業以来最大の危機でしたが、必ず終わりのある危機であり、終息した暁には旅行需要が爆発すると予想し、ワクチンが広がるまでの18カ月の間、会社を存続させる方法が検討されました。緩和期に5割程度の売上を取り戻し、徹底的にコストダウンすることを目指しました」(久本氏)
具体的には「現金をつかみ離さない」「復活に備え雇用を維持する」「CSブランド戦略の優先順位を下げる」という3大方針の下、やるべきこととやらないことを明確に打ち出した。さらに、マイクロツーリズム商圏の創出など新しい取り組みも行った。
「こうした環境下でIT部門ができたことは5つあります。大浴場混雑可視化やGoToトラベルキャンペーンなど『緊急対応案件への対応』、新決済システムへの対応やギフト券、ふるさと納税などの『現金をつかむ案件への対応』、新業態へのチャレンジや監視カメラ構築自前化などの『新たなチャレンジに後れをとらないこと』、年間5000万円以上のコスト削減などの『情報処理費用の全社的なコスト削減』、年間2000万円以上のコスト削減などの『サーバ費用の見直しによるコスト削減』です」(久本氏)
短期間でいくつもの新たな施策に対応できた理由について、久本氏は「危機下での代表の強いリーダーシップ」「明確な戦略と明確な行動指針」「フラットな組織文化」の3つを挙げる。
「IT部門は迅速な対応力を試されました。中長期戦略を白紙にし、サバイバルモードの行動指針を策定して、目まぐるしく変わる優先順位に対応しました。それができたのは、変化前提のケイパビリティの備えが間に合ったことが大きかったと思います」(久本氏)
試行錯誤を経て見出したITケイパビリティの道筋
変化前提のケイパビリティとは、変化を前提とした開発体制、自前化できる組織、変化に強いプラットフォームの採用、経営陣のITへの理解、迅速な経営判断プロセスなどを備えているということだ。かつての情報システムは専任担当者が少なく、事業の足かせになることも少なくなかった。2003年から紙業務の IT 化が始まり、事業拡大に伴う新規開業施設への支援体制の強化、全業務のIT化などを進め一定の成果を出せてきたが、2013年のオフショア開発の失敗からITの進化が滞ったことで事業の足かせとなり、停滞の時期を迎えることになった。
「こうした中、2015年からIT戦略を立て、再び事業の牽引役となることを目指してITケイパビリティの装備と、それを実現するための組織作りを始めました。堅牢性、変化力、俊敏性、リスク対応力など、デジタル化の能力を身につけて、デジタルビジネスの担い手になることを狙ったのです」(久本氏)
その取り組みは、マイケル・ポーターの「競争戦略」に則り、「1.生産性のフロンティアを達成する」、「2.トレードオフを伴う独自の活動を選択する」という2つの考えに沿って進められた。
「生産性のフロンティアを達成する」という考えを、同社は「ITケイパビリティを備えること」と定義した。その取り組みの一環として、オンプレミスの予約システムをAWSに載せ替えてマイクロサービス化に取り組み、機能拡張の過程で PaaS、SaaSの採用も進めた。
また、開発体制もDevOpsを取り入れるべく2017年に外部コンサルタントを入れて検討し、プロセスを学び、ツールも理解して、計画を立てて実現を目指した。ところが、これがうまく行かなかったという。
「開発者が外注で請負契約では無理だという当たり前の事実に気づくのに、1年かかりました。そこで、2018年に『事業に共感し、自らの力で事業をよくしたいと考えるエンジニアであること』を最重要視して、内製化・自前化に向けたエンジニアを初めて採用しました。それまでの開発体制を解体し、ゼロからパートナー選びや体制作りを進めました。2019年からは経営層の理解の下、エンジニアを積極的に採用していきます」(久本氏)
同時に経営の意思決定プロセスの整備も進めた。経営者、事業責任者、IT担当者が同じテーブルについて議論し、ときにはシステム仕様についても話し合ったり、システム投資を判断する会議体も作ったりした。こうした取り組みが、コロナ禍でのスピーディな意思決定の要因となっている。
競合に打ち勝つため「全スタッフIT人材化」を推進
マイケル・ポーターの「競争戦略」における2つ目の考え「トレードオフを伴う独自の活動を選択する」では、「全スタッフIT人材化」を掲げて取り組みを進めた。「競合のグローバルチェーンに打ち勝つ重要な施策は、現場スタッフ全員がIT人材になることです。そのための仕組みを情報システムグループが整えていきました。我々が競合に劣っているのは、予算が限られていることとIT化が出遅れていることです。そこで『現場自らがIT人材となり、進化させられる会社』という"ありたい姿"を描き、進化を支えるプラットフォームを採用して、フラットなカルチャーとサービスチームと呼んでいる現場のサービススタッフによって現場主体のITによる業務改善を行うことを目指しました」(久本氏)
現在、IT部門のメンバーは、サービスチーム/現場出身者が16名、ソフトウェアエンジニア/ITインフラ専任者/IT運用専任者、ビジネスコンサルタントが12名という陣容で、増員目標はそれぞれ5名、8名を設定している。さらに高い専門スキルをユニット内で育成し、2021年からは新卒採用で4名を増員する計画だ。
デジタルの力を活用し、「旅は魔法」を実現する
星野リゾートでは、今後もDXの取り組みをさらに加速させる予定だ。久本氏は経済産業省のDXレポートに記されているDXの定義に触れながら、同社の取り組みを次のように説明する。「製品やサービスの変革を我々のビジネスに置き換えると、『宿泊体験そのもの』や『宿泊体験に対して間接的に影響を与えるもの』に関する変革です。それには業務そのものや組織、プロセスを同時に変えることが重要であり、DXも競争戦略の1つだと考えています」(久本氏)
そのうえで「世界最高のデジタル宿泊体験の提供」「デジタルを最も上手に活用した運営力の獲得」といった新たなゴールを掲げ、他業界と観光業の顧客体験上の競争や観光市場内での差別化に取り組んでいくとした。
「システムを進化させるは、現場のリアリティと現場の力を最大化する必要があります。そのために、ビジネスプロセスを正しく捉え直す基盤の整備、全プロダクトのDevOps化、運用の土台の品質管理徹底など、ITケイパビリティとして足りていないビジネス基盤の整備に取り組みます。さらに全スタッフのIT人材化に向けて、ガバナンスとサポートの環境整備、DXに対するマインドセットの変革、価値観・組織文化とのリンクも進めたいと考えています」(久本氏)
星野リゾートは「旅は魔法」というミッションを掲げている。デジタルの力を活用し、現場とともに旅を魔法にするため、同社の情報システムグループの挑戦は今後も続く。