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  • 2021/02/03 掲載

元ソフトバンク 達川光男氏に聞く指導者の心構え、「甲斐キャノン」はどう生まれた?

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プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの正捕手、甲斐拓也選手は、その強肩から「甲斐キャノン」の愛称で野球ファンに知られる存在だ。彼の素質を見出して育てたのが、2017年からの2シーズンの間、一軍でヘッドコーチを務めた達川光男氏だった。広島東洋カープの捕手として活躍し、引退後は監督やコーチを歴任。現在は野球解説者として活動する達川氏に、甲斐選手の飛躍につながった「言葉」と、指導者として大切にしてきた心構えを聞いた。

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達川 光男氏

「日本一になっても退団」ヘッドコーチ達川光男の遺産

 福岡ソフトバンクホークスは2010年以降、リーグ優勝6回、日本一7回という強さを見せてきた。リーグ優勝よりも日本一の回数が多いのは、現在のプロ野球にはクライマックスシリーズが採用されており、リーグ優勝しなくても日本シリーズへ出場するチャンスがあるからだ。その「逆転勝利」は、2018年のことだ。ヘッドコーチは達川光男氏だった。達川氏はヘッドコーチ就任要請を受けたときのことをこう振り返る。

「2016年のパ・リーグは、日本ハムがソフトバンクを破って逆転優勝。日本ハムの大谷翔平選手がメジャーに行く前でしたね。クライマックスシリーズでも勝って、日本シリーズでは広島を破って日本一になった年ですね」

 その裏では、ソフトバンクが次シーズンに向けて動いていた。

「ソフトバンクが敗れた翌々日に、工藤公康監督から電話がありました。『達川さん、ヘッドコーチになってもらえませんか。好きなようにやっていいですから』と」

 達川氏は要請を受諾し、契約を交わした。それは異例の内容だった。

「リーグ優勝して日本一になったら、永遠にソフトバンクでやってくださいという契約を提示されました。でも、お断りしたんです。調子者の私は、このチームなら絶対優勝できるなと思ったものですから、変えてもらいました。勝負事には勝ち負けがあることはわかっていたんですけどね」

 達川氏のほうから申し入れた条件はこうだ。報酬をアップする代わりに、もし優勝しなかったら即座に辞める。達川氏が見込んだ通り、就任1年目の2017年はリーグ優勝と日本一を達成した。

「その年はすんなり優勝しましたが、次の2018年はリーグ優勝できなかったんです。日本シリーズでは広島を相手に日本一になったんですけど」

 日本一になりながらも、達川氏は約束通りに任期満了でホークスを退団。そして、ホークスにとてつもない「遺産」を残していった。コーチとして才能を見出した捕手、「甲斐キャノン」こと甲斐拓也選手だ。

意識の差が結果の差になる。日本一を強く意識してスタート

 達川氏がホークスのヘッドコーチとして秋季キャンプに入った初日のことだ。

「みんなの前で、色々なことを言わせてもらいました。まずは、意識の差が結果の差になる、という話をしました」

 達川氏は、目標は日本一、とにかく意識したプレイをしながらやっていこうと選手たちを鼓舞した。この言葉はレスリング 金メダリストの登坂絵莉選手の言葉「意識の差が結果の差」「目標あって結果あり」に共感して、心に留めていたものだ。

 もう1つ達川氏が一番強く言ったというのが、監督批判や首脳陣批判があったら即刻二軍に行ってもらうか、辞めてもらうという宣言だった。その背景には、選手・監督・経営者として足跡を残した故・根本陸夫氏から常々言われていた言葉があった。

「プロフェッショナルの仕事とは何かというと、窮屈な環境の中でいかに仕事ができるか。自分の思うようにいかず不平・不満がある中でもやっていくのがプロフェッショナルだという言葉です。批判したら二軍行きの話は、工藤監督とも相談していませんが、私の野球観を工藤監督にも知っておいてもらいたくて言いました。ただ、今思えば偉そうだなぁと思います(笑)」

 そしてもう1つ、「礼儀は鎧(よろい)、礼儀は人を守る」という話をしたという。

「同じぐらいの成績なら挨拶できるやつを使う、と。3人ぐらい挨拶できない選手が秋期キャンプにいたので、彼らの目を見ながら話してたら、みんな次の日から人が変わったように挨拶をしだしたんですよ(笑)」

 こうしてスタートした秋季キャンプ。チーム全体を見たところ、戦力は目を見張るものがあったという。

「外野手も内野手も、全部普通にやれば絶対勝てるなと思いました。ただ、1つだけ弱点だったのがキャッチャーです」

 当時、計算が立つ経験豊富な選手は、みな移籍してしまっていた。キャッチャーは若手ばかりだ。その中に、甲斐選手がいた。


「拓也」から「甲斐」へと変わった日

 達川氏から見た甲斐選手はフットワークがよく、細かい動きができる。そして、特に動体視力が良かった。取るのが難しいとされる千賀滉大投手のフォークボールを取れる数少ないキャッチャーでもあった。打力も期待できそうだった。

「これは使い物になると思って、色々なコーチに聞いてまわりました。この甲斐はいいじゃないか、なんで推薦して使わんのや、と。みんなバッティングが悪いとかリードが悪いとか、いろいろ悪いことばかりを挙げました。悪いのがわかっとったら、それを直すのがコーチの仕事じゃないのかなと」

 達川氏が甲斐選手を気に入った理由はもう1つあった。その当時の甲斐選手は、「拓也」で選手名の登録していたのだが、こんなふうに問いかけたという。

「日本中の誰に聞いても“タクヤ”でわかるのは?」
「木村拓哉です」
「お前はいくら頑張っても木村拓哉に勝てんから。甲斐というのは、12球団探しても誰もいないぞ」

 この会話の後、甲斐選手は登録名を変えるため、すぐに行動したという。

「ゼネラルマネージャーから、来年から甲斐にしますと連絡がきました。なんと素直な子なんだと思いましたよ」

 そして、甲斐選手の集中的な育成が始まった。

凡事徹底を絵に描いたような男

 キャンプの朝食は、6時から8時半の間に取ることになっている。8時過ぎに寝癖が付いたまま朝食会場にやってくる選手もいるが、甲斐選手は休日以外、毎日6時にやってきた。そのことがなぜわかるのか。球団から食事面も見るよう任されていた達川氏は、選手よりも先に現れ、6時前から柱の陰で食事をしていたのだ。

「おばちゃんに怒られましたよ、お願いですから6時前に来ないでくださいって。甲斐はヒゲを剃って寝癖をとって、おそらくシャワーも浴びてキチッとしてきたんではないかな。最初に彼を褒めたのは、朝早くから一番に来て必ずしっかりごはん食べることでした」

 時が経ち振り返った甲斐選手は、そんな細かな点まで見てくれたことが、とてもうれしかったと、達川氏に明かしたそうだ。こうした甲斐選手の日常を見て強く思うのは「凡事徹底」の大切さだという。

「当たり前のことを当たり前にするのではなく、当たり前のことを人ができないくらいに一生懸命やることを凡事徹底というそうです。凡事徹底を絵に描いたような男が甲斐拓也でした。本当に一生懸命で、練習もやめろと言うまでやりました」

 こうして日々、甲斐選手の様子を気にかける達川氏の目には、彼が何か不安を感じているように映ったという。本人に聞いたところ、「いつ2軍に落とされるのだろうか」という恐怖がつきまとっていたのだ。彼はそれまで、1軍の試合にはほとんど出場していなかったのだから、そういう心境になるのも無理はないだろう。

「私も偉そうに言いましたよ。心配するな、ワシがおる間は、絶対に二軍に落とさんから。落ちる時は一緒に落ちよう」

 それからというもの、少々失敗してもいいと気持ちが楽になったのか、思い切ったプレーが見られるようになったという。


成功した人は「必ず」努力している

 「フィギュアスケートの羽生結弦さんが “努力はウソをつく。でも無駄にはならない”と言ったときに、重い言葉だなあという感じがしました。プロ野球界でも、努力した人が成功するとは限りませんが、成功した人は“必ず”努力しています。一人前になった人は“必ず”がつくんです」と達川氏。凡事徹底の人、甲斐選手を表しての言葉だ。

 ナイターのホームゲームなら、普通は早出の練習でも13時からのところ、甲斐選手は11時には球場入りするという。そして、その日の対戦相手に関する映像を1人で見て研究するそうだ。

「今年の日本シリーズを見ても、徹底的に研究していたのが分かりました。キャッチャーのリードで重要なのは、記憶力と感性です。記憶力は経験ともいえます。ピッチャーの千賀のストレートをブルペンで受けたら、今年一番だとわかって、思い切って攻めることができたと聞きました。

 研究を試合で実践した甲斐は、試合後に必ず反省会をします。みんなほとんど帰っているんですが、その後に道具をきれいに磨いて、そしてお風呂に入って帰る。ということで、来るのは一番早く、帰るのは一番遅い。ロッカーも本当に綺麗です。ここまで成長したのは、やっぱり凡事徹底。正直の頭(こうべ)に神宿る、辛抱する木に金がなる、ですよ」

野村克也氏も認める歴史に残る捕手に成長

 南海ホークスでキャッチャーとして首位打者に輝くなどの大記録を打ち立て、のちに日本球界を代表する監督としても活躍した野村克也氏。ソフトバンクホークスの歴史をさかのぼれば、かつて南海ホークスの時代があった。つまり野村氏は、甲斐選手の大先輩にあたる。

「ホークスのエースキャッチャーの番号は、ノムさんの19です。私は甲斐の背番号について、ノムさんのモノマネでご本人に“ノムさん、19でいいですか?”って聞いたら、喜んでいましたよ。甲斐もノムさんも同じ母子家庭です。お母さんを楽にさせようと頑張って活躍する選手は多いとも話してくれました」

 その後も甲斐選手は実績を積み重ね、2020年シーズン。野村氏以来、ホークスの捕手では誰もつけることのなかった19番をついに受け継いだ。最後に達川氏は、ビジネスの世界で活躍する読者に向けて、大好きな言葉を紹介してくれた。

「“出迎え3歩、見送り7歩”。お客さんには、いらっしゃいませ。買い物してくれようが、してくれまいが、わざわざ時間を割いて商談に来てくれたのだから、ありがとうございました。私はいつも、この気持ちを大切にしています」

 最後まで、ユーモアたっぷりにエピソードを話してくれた達川氏。同氏の心構え、そして甲斐選手の飛躍の物語は、スポーツ、ビジネスに限らず成功を目指す者への大きな示唆となるだろう。

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