東 浩紀氏、村上裕一氏、李 明喜氏、浅子佳英氏インタビュー
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領域を越えた知のネットワークをいかに作るか
――そうしたサロン的な場の必要性は、いつ頃から感じられていましたか?
東氏■ それはすごく前からの問題意識ですね。僕が大学の研究者からフリーの批評家になったのは、要は大学に話の通じる友人がいなかったからです。例えば僕はSF好きなんですが、サークル活動は苦手で学生時代はネットもなかったので、単に一人でSFを読むしかなかった。専攻の表象文化論では、SF読んでる人もアニメ観てる人もいなくて、30代直前、つまり『動物化するポストモダン』を書く直前になってから、初めてサブカルチャーとかジャンル小説が好きな連中に大量に出会ったんですね。だから、「なんだ、こっちのが話合うじゃん」みたいなところで仕事を変えたという面があるんですよ。
ただ、僕の場合は同時に哲学とか現代思想も知ってるので、ジャンル小説とかエンタメの世界の狭さ、というか独特の排除意識にも居心地の悪さを感じていました。だから、オタク系のエンタメが好きで、でも世の中について思想的に考えていて、ちょっとコンピュータやネットも好きで、みたいな人間が、何故こんなに見つからないんだろうと10年間くらい考えてたんですよ。そういう点では、若い人がどうこうというのは最近になってからの考えで、もともとは同世代でも上の世代でも何でもいいから、Googleとミシェル・フーコーと綾波レイの話が同時に理解できるという基礎条件を満たす奴だったらもう誰でもよかった(笑)。でもそういうレベルでさえ、今まではほとんどいなかったんですよ。
――そうした問題意識は、「波状言論」以来の東さんのこれまでの試みの系譜にも通底していたように思うんですが、今は状況が変化しつつあると?
東氏■ そうですね。00年代中盤にised(東氏が中心となった「情報社会の倫理と設計についての学際的研究[Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society]」の略称)を開いていたときも同じような考えでやっていたんですが、ネット上のコミュニケーションの話と現実政治はあまりにも離れていると思われていて、まだ当時ではうまくいかなかった。僕の感じ方では、ここ1~2年で劇的に状況が変わってる。その劇的な状況の変化を象徴するものの1つが、この研究会なんです。今までだったら全然うまくいかなかったのに、2009年に始めてみたらどんどん人が集まりはじめて、実際に出版社とかも作れるようになったし、放送したら数千人も観てくれる。今回の発表でのショッピングモールとニコニコ動画というテーマの取り合わせについても、つい最近まで僕しか関心を持つ人がいなかったのに、これだけ多くの人が普通に受け止めているという状況の変化には、僕自身がビックリですよ。
つまり共通するのは、消費社会のリアルなライフスタイルに根付いた、新しい思想の可能性ってことに尽きるんです。僕がやってきたことの系譜って。リアルな都市や政治の問題を論ずる言葉とネットやサブカルチャーを語る言葉の間には、心の障壁みたいなものがこれまでは根強くあったんですが、本当に今その壁が急速に壊れてきている。実際、最近のニコニコ動画でも政治番組が多くて、そういうメディアが子供の遊びだとは誰も思ってない状態になりつつあるのですが、それだって1年前には考えられなかったじゃないですか。
まあ、今日の放送をニコニコの画面でチェックしていると、前半のショッピングモールの話はみんな神妙に聞いてたのに対して、後半のMMDの話になると「こんなの思想の話なの?」という非常に既視感のあるコメントも当然ついてはいます。ただ、そういう空気もあと半年くらいで変わってくるのかもしれない。新しい状況に対応する新しい知の流れというのが、大学でも出版でもない別の形で組織され始めた、ということだと思っています。
――そうした障壁がなくなって各ジャンルの知的関心がつながってきたからこそ、コンテクチュアズへの浅子さんや李さんのご参加があるように思います。それぞれのご専門のデザインの立場から、東さんの仕事に接点を持たれて、こうした思想的な活動の場に入ってこられたのはどういう経緯だったのでしょうか?
浅子氏■ 例えば、今回の発表のようなショッピングモールへの興味を形にできたのは、やはり東さんが『ギートステイト』(東氏、作家の桜坂洋氏、エンジニアの鈴木健氏が2045年の日本を社会学や情報技術などの視点を通して描き出そうとしたプロジェクト)などで取り上げられていたからです。僕が専門にする建築界隈の文脈では、ショッピングモールというものをまともな分析の対象にすること自体に、非常に障壁がありました。要はショッピングモールのような凡庸な施設は、単に消費の構造に流されて作られているだけで、そこに建築的な意義など無いし、ましてや公共性を考えることにつながるような論点などは、まったく皆無だったのです。そういう建築界の固定観念も、藤村龍至さんなどの登場によって徐々に変わりつつはあるんですが、やはりそう簡単には変わらない。そういう状況をもどかしく感じていたところに、自分がやりたいと感じていたことを最も明確な形で言い当ててくれていたのが、東さんの仕事だったんですね。
李氏■ 僕の方は、熱心とはいえなかったかもしれませんが、かなり以前から東さんの読者でしたから、とくに『動物化するポストモダン』とかを読んだときに、これはサブカルとかゲームとかの話だけではなくて当然デザインの領域でも適用できる話だと感じていました。で、さっき東さんがずっと周囲に話が通じなかったとおっしゃいましたが、立場も領域もスケールも全然違いますが、僕もデザインの現場の中で同じように感じていたんです。つまり、僕自身はネットもサブカルも人文系のことも同じように関心があって、その延長でデザインも語れるということが当たり前だと思っていたんだけど、それが伝わる場がまったくなかった。
で、僕はデザイナーとしてそういう場を地道に作っていたのですが、その1つとして、インテリアからシステム、コンテンツまで含めた場作りを全部デザインする「d-labo」というプロジェクトを手がけて、そこで行われるトークイベントの初っぱなに東さんにご登場いただいたんですね。ちょうど北田暁大さんの対談『東京から考える』が出た半年後くらいのときだったので、「六本木から考える」というテーマで企画したのが、直接の最初の接点でした。
――では、「MMD」の発表をされたように、ネット環境が当たり前になっている村上さんたちの世代にとっては、東さんの仕事はどう感じられていたんですか?
村上氏■ 僕が東さんを初めて知ったのは『ゲームラボ』での連載でした。ちょうど斎藤環さんと砂さんと東さんが書いていた頃です。当時僕は高校生だったんですが、美少女ゲームのジャンルが急速に勃興しいて、僕らはそこにすごくコミットしていたので、あまりにも鮮やかに僕たちの人生みたいなものを説明していた東さんの仕事に、すごく衝撃を受けたんですね。「何なんだコレは!」という(笑)。で、2005年くらいに大学でイベントを主催して、作家の滝本竜彦さんと一緒に東さんを呼んでイベントをやったのが、最初の接点でした。
東氏■ 「信者乙!」のコメントが今おれの網膜にダーっと流れてるよ(笑)。
村上氏■ いや、でも本当にそうだったので(笑)。もちろん哲学方面の仕事やテクノロジー方面の仕事にも刺激を受けてたんですけど、美少女ゲームについてまともに語っていたのは東さんだけだったという貧困な事実がありますから。僕は契約社員という立場でコンテクチュアズに参加していますが、出資メンバーの李さんや浅子さんに比べると一回り以上若いので、一緒に働いているのが異常なくらい感覚の違いはあると思います。ただ、東さんが「波状言論」なり「ゼロアカ」なりで自分をハブにして人を集めて動かすことに熱心になった時期が明らかにあって、そこで感化された僕みたいな若者って、すごくいっぱいいると思うんですよ。それが今の盛り上がりの背景にあるんじゃないかという気はしますよね。
東氏■ あと、今のこの状況について見逃せない要素としては、Twitterがあると思うんですね。Twitterがすごいのは、例えば僕の昔から知り合いに渋谷慶一郎という音楽家がいますが、はっきり言って互いの仕事に詳しいわけじゃないんですよ。守備範囲も離れてるし。なんとなく互いにリスペクトを抱きながら同時代に生きているんだけど、面と向かって話すと照れるからバカな話しかしない間柄ってあるじゃないですか(笑)。でも、そういう距離感での関係にTwitterってすごい力を発揮するんですよね。Twitterでの緩やかな挨拶みたいなものが「なんとなくつながってる感」を出していて、普段はみんな別々の方向を向いてるんだけど、時々は同じことも喋る、そしてそれを大勢のギャラリーが目撃できる、みたいなコミュニケーション。そんなインフラがネット上にできたということが、すごく大きい。もしこれがTwitterのない時代で、メーリングリストだけで新批評研究会を維持していかなければならなかったとしたら、自分たちで会社を立ち上げて『思想地図bis』を出そうなんていう動きは、決して出てこなかったと思うんですよ。